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5

 

 しんと静まりかえった道にコツコツと靴音が響き、止まる。成井はゆっくりと重い鉄のドアを手前に向かって引いた。1階のバーには誰もおらず、整然と椅子がテーブルの上に重ねられている。それを見回してからカウンターに入り、目についたボトルを手にとった。
「.......最後に、ちょっと貰おうかな」
 蓋を開けてそのまま口をつけて中身を3分の1程飲み、2階の事務所への階段を昇る。階段の終わりのところで一旦止まるとふっと息をついていつも通りにドアを開けた。
 ふと、身体より先に鍛えられた感覚が鋭い何かを感じ取る。だが成井は敢えて無駄に反応することをやめてそのままそれを受けた。
 ヒュンと頬を風がかすめ、同時に聞き慣れた銃声が一発。小さな痛みが走って後ろの方で何かが壁に埋没する音がした。成井はそれを振り返ることなく、ただ前をまっすぐ見据える。
 石橋が座ったまま銃口をこちらに向けていた。
「........何しに来た」
「.........」
 薄く立ち上る硝煙の間から突き刺さるような鋭い石橋の視線。成井は臆せずにこりと笑ってさっさと開け放たれたままのドアを閉めるといつものソファに腰を下ろした。相変わらず銃口を向けたままの石橋を見上げる。
「今後何か貴明さんのお役にたてればと思いまして」
「言っただろう、もう関わるなと。俺は例えお前でも容赦しないぞ」
 成井は視線を下ろして懐に手を入れた。さすがの石橋も緊張して腕に力が入るが、それを読み取った成井は石橋を見ずに笑って手を振る。
「安心して下さい、貴明さんの思うようなものじゃないですよ」
「........」
「それに、俺にはあなたを殺すことは出来ませんから」
 取り出されたのは1枚の茶封筒だった。石橋の方にそれを押しやるようにしてから、改めて彼を見上げる。
「.......俺を、殺せないだと.......?」
「ええ」
「俺がお前を撃つとしてもか」
「貴明さんが今俺を殺すとしたら、それには理由があるでしょう。もう現れるなと言われたにも関わらずこうして目の前にいるんですから。でも、俺には貴明さんを殺す理由がありません。貴明さんは俺にとっては大切な人ですし、俺が殺したいと思う人間じゃない」
「お前が殺したい人間ってのは何だ。お前が今まで殺ってきた奴らと俺は、どう違う」
 成井はちょっと考えるように首を傾げた。
「そうですねえ......まず生理的に嫌いな奴、それから俺の行く手を邪魔する奴。俺の考え方や生き方に反対する奴、あとは無闇に俺の領域に侵入しようとする奴。貴明さんはこの中のどれでもないし、なにより俺は貴明さんが好きですからね。あなたの行く手を阻むような不粋なことはしたりしませんよ」
「......ふん」
 口元で笑ってから石橋はゆっくりと腕を下ろす。
「ま、お前がその気ならとっくに殺られてだろうしな」
「かもしれませんね」
「お前の腕は重々承知している。俺こそお前を殺せない」
 その言葉に成井は少なからず驚いた。
「そんなことはないでしょう」
「腕だけの問題じゃない。もし今までと状況が変わらなかったら俺はお前を側に置いときてえくらいなんだ、お前がいちばん俺を理解できるからな」
「俺より、憲武さんの方がよく御存じでしょう?」
「......憲武はもういねえよ。だからお前しかいない。腕は申し分ないしパイプも幅広く持ってる。俺がこれから始めるコトはお前がいりゃあ相当スムーズに進むと思う。だが、お前はもう俺とはいられないんだろう?」
「...........」
「しょうがねえよな、あんな不様な姿見られちまったんじゃお前に見限られても文句は言えん。普通の奴だったら俺はその時点で真っ先に始末するし、敵になるってんなら阻止するだろう。しかし俺はやはりお前はもったいなくて殺せない。お前も俺と敵対しようって気持ちは微塵もないようだ」
「.......ええ。だから、来たんです」
「俺に殺されるとは思わなかったのか?.....ああ、俺に簡単に殺られるお前じゃねえか」
「それならそれで、とも思ってましたけど。ただ、もう一度貴明さんに会いたくて」
 石橋は幾分不思議そうに眉をあげる。
「最後に貴明さんにお願いがあるんです。俺は今まで貴明さんに逆らったことないですけど、もう現れるなという命令をあえて破って来ました」
「............」
「ついでに俺は貴明さんに我侭言ったことなかったですが、最後にどうしてもお願いしたいことがあるんです。聞いていただけますか」
「嘘つけ、お前今まで散々あれやこれや言って来たじゃねえか。何が欲しいのどこへ行きたいのって。まあ、ボスなんて名ばかりで実際動いてたのはお前だから仕方ねえけどよ」
「それらは仕事に関するお願いだったでしょう。今から俺が貴明さんにお願いするのは俺個人、成井一浩という人間としてのお願いです。最初で最後になるでしょう、同時に、これは貴明さんにしか出来ないことなんです」
「俺でいいのか。お前を失望させた俺に、そんな大事なこと頼んでも」
「貴明さんだからこそ、お願いしたいんですよ」
 それを聞いて石橋はすっと立つとデスクの前にまわって成井を見下ろした。
「分かった。お前がそこまで言うなら聞いてやるよ。その封筒もそれに関係あんのか?」
「......ええ、まあ。その前に、ちょっと吸わせてもらってもいいですかね」
 成井は言いながらポケットから煙草を取り出す。一本抜き取ったのを見て石橋がすいと腕を伸ばした。
「待て。俺によこしな」
 言うが早いがそれを指先で奪うと唇にはさんで火をつける。一吸いしてから自分も煙草を取り出すと箱ごと成井に向かって投げながら言った。
「お前そっちに火ィつけて俺によこせ。世話役が前線に出る時はこうして火をつけあったもんだぜ」
 成井は無言で煙草を抜くと自分のライターで火をつけて吸う。お互いのそれを渡しあい、ゆっくりと煙を吐き出しながら成井が改めて石橋を見た。
「.......憲武さんの最期、教えてあげましょうか」
「................」
「周りに何人かはいましたけど、浅野を捕らえるのと憲武さんとこの枝の奴等を追い掛けるよう言いましたんで、実際看取ったのは俺だけです」
 石橋が何も言わないのを確認してから、成井は続ける。
「二発目が致命傷のようでした。俺が駆け寄った時にはほんともう虫の息でしたけど、それでも気丈に俺を見て笑いましたよ」
「.....あいつは、何か言ったか」
「はい。まずは俺の腕を誉めてくれました。半田も大原も、殺ったのは俺だってあの人なら分かっていたでしょうにね。それから、貴明さんについても」
「.......」
「俺がお前のように生きることが出来たなら、半田ちゃんも大原もあんな風に成井に殺されることなかっただろう、でも俺はどうしたってお前みたくは出来なかった、だからこそ今俺にみんなはついて来てくれてると思う、半田ちゃん達も俺を恨みはしないだろうと思う、これが俺のやり方だ、俺は命をかけてお前を否定してやる、お前には真似できねえだろう、ざまあみろ..........と」
「何.......」
「俺と貴明さんを混同していたみたいですね、自分を看取るのは貴明さんだってどこかで思っていたんじゃないでしょうか。.......貴明さんも、そうでしょう?」
「かもな」
「それから、俺がお前にいつまでたっても追いつけないようにお前も永遠に俺には追いつけない、俺はまず先に半田ちゃんと大原のところへ行くよ、そう言って息を引き取りました」
「..........そうか」
「会った時から決まってたんでしょうね。あなた達は永遠に引き合い、でも噛み合うことはない。これから何度転生して出会っても、きっと同じように反発する。そう、出来ているんですよ」
「..........」
「俺からすると、この上なく羨ましい関係だとは思いますがね」
「羨ましい?」
「反発するような相手がいるだけいいです。俺にはそんな相手いないですから」
 成井は灰を落として口元で笑った。
「くだらないとは思いますよ。でもそれは俺のせいじゃない、そう生まれた瞬間に遺伝子にでも組み込まれてしまってるんでしょう。俺にはそう思うことがまず出来ない、だからくだらないと思いながらも興味はあるんです。どうして俺は人にこんなに無関心になってしまうんだろうって」
「俺や、ひろ美ちゃんもお前にとってはその辺の石に等しいのか」
「貴明さんは俺を少しは理解してくださってると自惚れてますから、そんなことはありません。ひろ美は......そうですね、あいつは誰とも違います」
「そう思うってこたあ人に無関心ってことじゃないよ、少なくともひろ美ちゃんにだけは心を許せるってわけだ」
「許せていたかどうかは、分かりませんけど......」
「彼女は必死だった。生を受けたその時から全てに見捨てられて、自分が生きていてもいい証拠と存在を確かにしてくれるものを探すのに必死だった。だから簡単に俺達に抱かれもした。そこへ、お前がやって来た」
「でも最初は自分と同じような人間を見つけたから、その自分が俺を救ってやろうとか考えていたようでしたよ」
「それは女だからだよ」
 そう石橋は言って灰皿を引き寄せる。吸い殻をそこに押し付けて、すぐに新しい煙草に火をつけた。
「女は男と違って身体を捧げることが出来る。彼女はすぐにお前を理解してやり方を変えた。心まで奪おうとは思わない、だからせめて身体だけでも繋がることが出来るなら、とな。お前はどうか知らないが、とりあえず彼女は救われた。何にしてもお前のためになら自分は存在していても構わない、生まれたことを呪わなくてもいい」
「.......可哀想な女ですよ」
「可哀想?お前でも他人が『可哀想』だなんて思うのか」
「俺なんかに全て預けてしまうなんて」
「お前だからだよ。お前じゃなきゃ、きっと彼女は一生あのままだったろう。お前と会ってからの彼女は幸せそうだった。どんな話題でもお前のことを口に出す時は楽しそうだった。逆にお前もな。俺にはそう見えた、だからこそ、幸せになってほしかったよ」
「..........」
「お前は、ひろ美ちゃんを愛していたのか?」
 石橋の問いに成井はふっと笑う。煙草をやめるのと一緒に机に置かれっぱなしの茶封筒を取ると、それを石橋に向かって差し出した。
「開けて下さい」
 中から薄い紙を取り出して、石橋の目が驚愕に見開かれる。
「成井.......お前.........」
「最後に貴明さんが加筆して、あいつに渡して下さいね。貴明さんだからお願いするんです」
「こんなもんを俺に......お前が自分でやりゃあいいだけの話じゃねえか」
「今の俺には出来ませんよ」
「愛してるんだろ?ひろ美ちゃんを」
「ええ」
 成井は優雅に微笑んでそう言った。
「俺にはあいつだけです。今後どう運命が廻ろうとも、俺はあいつ以外にそう思える相手に出会えることはないでしょう」
「そう思うなら、どうしてひろ美ちゃんと一緒にならない」
「貴明さんは思い掛けない形で憲武さんを失った。その貴明さんの近くで俺があいつと貴明さんの言う『幸せ』になろうなんて思いません」
「俺はそんなこと気にしやしねえよ」
「それに、俺は貴明さんがいなければ今頃どうしてるか分からなかったと言うのにいくら何でもそんな恩知らずなことは出来ませんよ」
「.......俺のせいか」
「俺は憲武さんを追い掛けるあなたが好きだった。逆に憲武さんについていたとしても俺はそう思ったでしょう。片割れを失ってしまったあなたとはもういられない。そんな貴明さんを見ていられない。もう、同じ世界にいることさえ、我慢ならない」
「.............」
「憲武さんがいればこその貴明さんだったんですから、ある意味憲武さんを恨みますよ。憲武さんがいれば貴明さんはあのままだった、俺もずっと側にいられた。貴明さんが片割れを失った瞬間、俺も何か失いました。俺は『あなたのために』生きていたんですから」
「.......腑抜けた俺のいる世界には、いられないか」
「はい。俺が好きだった貴明さんは、もういません」
 きっぱりと言って、成井はポケットから愛銃を取り出し銃口を自分の方に向けて机に置く。
「最期の、お願いです」
「........ひろ美ちゃんに、この事は」
「言うわけないじゃないですか。でも、あいつなら分かってくれていると思います。何せ15年も一緒だったんですからね」
「よく出来た女だ」
「ええ、俺にはもったいない位」
「.......最期に惚気やがる」
 石橋は笑って成井の前に半歩間を開けて立つと、黒光りするFBIスペシャルを手に取った。
「ついでに、貴明さんが今後どんなに地下に潜ってもあいつだけは邪険にしないで下さいね。あれでも少しは役に立つと思いますよ」
「ああ」
「それから、俺の身体は真鶴へ」
「真鶴?」
「どうやら俺の故郷らしいんで。あいつの母親という人も」
「分かったよ。他ならぬお前の頼みならこの際なんでも引き受けてやる」
「ありがとうございます」
 かちんと撃鉄をあげる音を聞き、成井は立ち上がってにっこり笑う。
「先に地獄でお待ちしてます。どうぞゆっくりいらして下さい」
「ああ」
「お世話になりました」
「.......またな」
 成井の言葉ににやりと笑うと石橋は成井を引き寄せ、胸に銃口を押し付けると躊躇なく引き金を引いた。

 

 

 成井の身体の重みを確かに感じながら石橋は一瞬目を閉じる。そして、立ちのぼる硝煙と共に静かに天井を見上げた。

 


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