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4

 

 

「うっそ、雨降ってる?」
 シャワーを終えて部屋へ戻って来たひろ美はわずかに開けておいた窓から聞こえる雨音に声をあげた。干したばかりの洗濯物を慌てて取り込む。
「あーあ、また洗い直しかしら」
 ぶつぶつと言って取り込んだ衣類を再び洗濯機に放り込み、濡れた髪を拭いているとドアを叩く音が小さく聞こえた。こんな夜遅くに自分の部屋を訪ねてくる者はただ一人しかいない。いつものように返事を返す。
「開いてるわよ」
 しかしドアはなかなか開かなかった。普段ならノックもせずに入ってくることさえある相手である。もしかして自分の思う訪問者ではないのかと不思議に思ってドアへ近付いてそっとそれを開く。
 果たして立っていたのはやはり成井だった。
「どしたの、入っていいわよ」
「......ああ」
「やだ、濡れてるじゃない、風邪ひいちゃうから早く」
 急いで成井を中に入れ、ジャケットを脱がせる。肩にかけていたタオルで髪から落ちる雫を拭き取ってやりながらひろ美は言った。
「雨ん中ずっと歩いてたんじゃないの?身体冷えてるみたい」
「.....そうだな」
「まだお湯あったかいから入っちゃえば?」
「うん.......」
 珍しく生返事な成井に首を傾げる。
「....どうしたの?どこか具合でも悪い?」
「いや、そんなことはない」
「何か飲む?それかお腹すいてるなら作るわよ」
「じゃあ、酒」
「はいはい、ちょっと待ってて」
 キッチンへ立つひろ美の後ろ姿を成井はぼんやりと眺めた。やがてグラスと自分のビールを持って戻って来た彼女がテーブルにそれを置いて向かいに座った瞬間、いきなりその腕を掴む。
「一浩?」
 動きを封じてもう片方の手でグラスを掴んで中身を一気に飲み干すと、成井は彼女を抱きかかえてベッドに投げた。その上にのしかかって首筋に顔を埋める。
「ちょ.....一浩....待っ...」
 ひろ美の訴えにも成井はやめず、彼女を押さえ付けるとあちこちに唇を這わせた。その度に彼女はびくりと震える。慣れていることで力づくの抵抗はしないものの、その指先は軽く成井のシャツを掴んでいるのだが。
「一っ.....ん.....」
 ふと成井が動きを止めた。わずかに息を弾ませて成井を下から見上げ、ひろ美は驚く。今までに見たこともないような真摯な瞳で自分を見つめる成井。
「.....どう.....したの.....?」
「ひろ美」
「はい?」
「抱いていいか」
「え......?」
 小さな声にひろ美が聞き返すと、成井は乱れた彼女の髪を直しながらもう一度言った。
「抱いても、いいか」
 いつもとは違う成井に一瞬戸惑うが、それでも気にしないふりをして笑って腕を伸ばすと成井の首に回して笑う。
「あたしの身体は一浩のものよ。いつでも一浩の好きにしていいわ」
 ネクタイがするりと床に落とされた。

 

 

 

「なあ」
「.....ん......何......」
「お前にやりたいものがあるんだ」
 ライトの下、ベッドの上で向かい合って抱き合ったままふと成井が切り出した。
「あたしに......?」
「ああ。ちょっと、それ取ってくれ」
 示されたスラックスを彼女はその体勢のまま腕を伸ばして取り、成井に渡す。成井はそこから小さな箱をひとつ取り出した。中には鈍く光るリングのピアス。
「どうしたの、これ」
「俺が使ってる弾溶かして作ってもらった。お前にやろうと思って」
「........」
「こんなんじゃなくてもっといいヤツが良かったかな」
 ひろ美は首を振った。
「そんな....大事なものを......」
「大事だからお前にやるんだよ。お前とは人生半分特殊な約束で繋がってはいたが、それでも何かやっちゃいけない訳でもないしな」
「別にそんなのいいのよ。あたしは、一浩がいてくれればそれでいいの。何もいらない。あなたが生きててくれればそれでいい」
「じゃあ尚更だ。こいつは俺が生きる為に必要なもの。俺の証だから、俺の一部みたいなもんだ。同じようにして俺も作ってもらった、ほら」
 そう言って見せた左手に、同じく鈍色の指輪。
「一浩......」
「こいつをお前のここにつけたい」
 指で彼女の胸先に触れる。その感触に軽く肩が揺れた。
「え......」
「俺がやってやるから」
「......ここじゃなきゃダメなの?」
「俺でなきゃ見えない所にしたいんだよ。ちゃんと心臓側だぜ」
 ひろ美はピアスと成井を見比べて少し眉を寄せる。
「痛い、わよね」
「こいつ程じゃないだろうけどな」
 笑って触れたのは左腕の白龍の刺青。
「そりゃあ、そうでしょうけど........」
「こいつは長いことかかったが、こっちは一瞬だ。すぐ済むから。俺に集中してりゃあっと言う間に終わるよ」
「あ......っ」
 思い出したように熱を突き動かされて彼女は胸を反らせた。その間に成井は小さな細い針を指先に持つ。
「やだ....ま、待ってよ......」
「不安なら俺を見てろ。しがみついてもいい。お前に痛い思いをさせるのも気持ちいい思いをさせるのも、俺だけだ。お前の世界には俺しかいないんだから」
「一....」
「違うか?」
 彼女は首を振って白龍を掌で包むように成井の腕を掴んだ。
「そうよ。あたしには一浩だけ」
「それなら問題ないな。俺の事はよく分かってるだろ、無駄なことは一切しない。俺がお前にやることで、意味のないことは何もない」
「.....じゃあね、一浩、開ける時.....」
「ん?」
「開ける時....キス.....してて」
 懇願するような声を聞き、成井は緩く微笑む。
「力抜いて」
「......はい」
「舌、噛むなよ」

 

 

 

 ひろ美がシャワーを終えて出てくると、成井はベッドにもたれかかって煙草をくゆらせていた。彼女に気付いてテーブルの上のビールの缶をあげてみせる。
「これもらったぞ」
「あら、そんな温いの飲まないで新しいの出せばよかったのに」
「動くの面倒だったんだよ」
「随分ものぐさなのね」
「んじゃ冷えてるやつくれ」
「はいはい」
 彼女はくすくすと笑ってビールを2本取り出すとそれを持って成井の横に座った。成井がプルトップを開けながらなんとなしに切り出す。
「......貴明さんの戦う理由は、もうなくなっちまったよ」
「ええ。聞いたわ」
「憲武さんを殺った奴の命は貴明さんがあっと言う間に終わらせちまった。あの人は感情が盛り上がるのも一瞬だが、片付けるのも一瞬だよ」
「貴明さんは滅多にそんなことしないんだから、間近で見られてよかったじゃないの」
「まあな。いろいろ面白かったよ。だが、一緒に俺達が貴明さんといる理由もなくなっちまった」
 成井はそこまで言ってから灰皿を引き寄せて長くなった灰をとんとんと落とした。
「......シュウさんと平山さんはどうしたの?」
「貴明さんはこれからはひとりで何か別の楽しいことを始めるらしい。もう自分の前には現れるなと俺達を追い払ったが、シュウさんはそうは言われても素直にそうしないだろうな。あの人のことだから、上手い方法で貴明さんに見つからずに貴明さんの近くにいるだろうよ」
「一浩と同じでその道にかけては一流ですものね」
「ああ。.......京ちゃんはどうするのかな、これから」
「何も変わらないわ。あの子もシュウさんと一緒よ」
「そうか」
「シュウさんが変わらないなら京子に変わる理由はないもの。平山さんは?」
「さあな、どこへ行ったかは知らない。とにかく出て行った。平山さんはもともとこういうとこにいる人間じゃなかったんだから、これでよかったんだよ。ただの寄り道さ」
 淡々と平山を語る成井。それを見て伺うようにひろ美は聞いた。
「.....一浩は平山さんが嫌いだったんでしょう」
「んー、まあ有り体に言えば、そういう部類かな」
「遠回しに言っちゃって」
 彼女はビールをくいと飲んでから、成井の肩に頭を預けて言う。
「平山さんて一浩と話す時は明らかに態度から何から警戒してるの。いつも苦い顔して。別の人種と話してるような気分だったんでしょうね、しかもお互い噛み合ってんだかそうじゃないんだか分からないような接し方してるし。お芝居見てるみたいな感じだったわ」
「俺と平山さんとじゃ全てが違いすぎる。生き方も、考え方も。実際いらいらしてたけど、それは多分平山さんもそう思ってただろう。だから少なくとも俺と平山さんはこれでいいんだ、俺は俺の、平山さんは平山さんの思う道をこれから歩いてきゃいいんだから」
「一浩は?」
「........」
「シュウさんはさほど今と変わらないでしょうし平山さんは今後はまあ今までよりは真っ当に生きる道を探していくんでしょうけど、一浩はこれからどうするの?あなたは別に貴明さんの元じゃなくてもやりたいことが出来るでしょ?」
「......でも貴明さんをこのままほっとく訳には行かない。人生半分つきあってんだからな、お前もそうだろ」
「そうね、貴明さんはあたしにとっても特別よ。何せ強姦同然にあたしを抱いた人間なんだから、そんなことしといてあたしの前からも消えたりしたら承知しないわ。あたしはあたしのやり方で貴明さんには関わってくつもり」
「店の他のやつらはどうするんだ?」
「今までと一緒よ。もう憲武さんとこの店の奴らと敵対する理由も仲良しする理由もないけど、向こうがまた交流持ちたいってんなら持ってやってもいいわ。ま、多分そこまで馬鹿じゃないでしょうけどね。うちは一葉はもうすっきりしてるし、智子は最初っから割り切ってる。百恵も幸子もいい男がいなくなっちゃってざんねーん、また次の男探そー、そんくらいよ」
「気楽なもんだな」
「いちいち考えてこんなことしてらんないの。それよりもっと重いことを経験して来たんだから、みんな」
「そうだな」
 成井はそう返して、煙草を灰皿に押し付けた。
「貴明さんのとこに行ってくる」
「........」
「まだやり遺したことがあるからな。新しいスーツ、出して」
「はい」
 ひろ美が立ち上がって着替えを持って戻ってくると、成井はそれを見て口元で笑う。
「これがお前が選んで来たヤツの中でいちばん気に入ってるよ」
 薄いブルウグレイのネクタイ。ひろ美はひとつひとつ衣類を渡して、何も言わずに成井が手早く身支度を整えていくのを見守った。やがて完璧に闇を身に纏った彼は煙草とコルトFBIスペシャルをポケットに入れてドアへ向かう。
 何か言っていくわけでもない、当然愛を確かめる言葉さえない。この瞬間世界中で交わされているだろうそれに二人は興味がないし、二人には必要も理由もない。それよりもっと重要で長い時間が二人を支えて繋げているのだから。
 いつもと同じ。身体を重ねあった先程の熱い空気さえ微塵も感じない。
 全くいつもと同じだったが、ひろ美はその背に向けて小さく名前を呼んだ。
「一浩.....!」
 成井はその声に振り返る。彼女は駆け寄ると無意識に成井の左手に指を絡めた。
「雨、あがったかしら」
「通り雨だからとっくにやんでるよ」
「....そうね」
 たわいもない会話。彼女の行動を咎めることもなく、指を絡めたままで静かに名前を呼ぶ。
「ひろ美」
 シャツの上から左胸にもう片方の手で触れ、ゆっくりと唇を重ねる。少しの間そのままでいて、唇を離すとまっすぐ彼女を見つめて、言う。
「愛してる」
 優しく笑みを残して成井はドアの向こうへ消えた。

 

 

 次第に小さくなっていく階段を降りる靴音。やがて辺りを静寂が占める中、彼女は小さく呟いた。
「一浩......」
 わずかに残る胸の痛み。重ねあった熱の残る身体。触れた指の感触。遺した言葉。その全ての余韻を味わうように目を閉じて、自分で身体を抱き締める。
 もう彼は戻らない。自分のもとには帰って来ない。この世界からもいなくなり、彼の真に求めた場所へと向かうのだろう。
 あなたが思うように生きていてさえくれればいい。
 側にいなくても、そこがあなたのいるべき場所だと言うならば。遠い未来にあたしもきっとそこへ向かう。だからまっすぐそこへ向かって。
 そうすることを、あたしは信じているから。
「あたしも......愛してるわ、一浩.....」
 

 彼女はそのまま床に崩れ落ちた。


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