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3

 

 

「さて、と」
 二人が去ってから、石橋は再び椅子に腰を下ろした。煙草に火をつけてから足をどっかりとデスクに乗せる。
「お前はどうする。お前が敵になるのはちとやっかいだが、俺はもう自分の側に人を置いておく気にならん。特に、お前はな。死にたきゃ俺が引導渡してやるし、まだやりたいことがあるってんなら見逃してやるよ」
「........」
「今日で、俺がどういう人間かよく分かっただろう」
 ゆっくりと煙を吐いて、石橋は成井を見た。
「お前が前に言った通りさ。俺は憲武が羨ましかったんだ。それは多分憲武もそうだったと思う。だがお互いどうやってもお互いのようには生きられん、相手を否定することで少なくとも俺は生きていたんだ。だから憲武がああなった以上、今の俺が生きる理由はない。かと言ってあいつの後を追う程馬鹿じゃない。なら、他の生き方を見つけるしかないんだ。それにはシュウも平山もお前も巻き込めない。俺はその程度の人間だよ」
「...........」
「くだらねえと思っただろう?俺を。あんな風に狼狽するなんてな」
「......そうですね」
「相変わらず遠慮のない奴だ」
 そうは言うものの石橋はたいして気にせずに笑う。
「正直、ショックでしたよ」
「それは済まなかった」
「俺は貴明さんが好きでした。貴明さんについて行けば俺はやりたいことが全て出来たし、貴明さんは俺をやたらに大事にすることもしないかわりに俺の存在を否定することもしなかったですから」
「.......」
 成井は自分のデスクへついてパソコンを起動させ、何やら作業をしながら話し続けた。
「憲武さんに対する言動も、くだらないと思いつつも興味本意で見てましたよ。俺には存在しない感情でしたから。とにかく根底の感情はどうであれそれで貴明さんが楽しいなら、そして俺はそのために人を殺してもいいのなら、それでよかったんです。でももう、それもおしまいですね」
「ああ」
「貴明さんの側には、もういられません」
 暫くして取り出した書類とパソコンを抱えると、紙の束を石橋の前にばさりと置く。
「今後、何かのお役に立つかもしれませんから」
「そうだな。有り難く貰っておく」
「じゃあ」
「今度会ったら、間違いなく俺は殺すぞ。お前もそうだろう」
「さあ、どうでしょうね」
「ひろ美ちゃんに宜しくな。幸せにしてやれよ」
「..........」
「お前にだってあるはずなんだ、その権利が。俺はこれでもお前達だけには幸せになってもらいたいとずっと思っていたよ。きっとお前も幸せになれる」
 成井は微笑んで、静かに部屋を去っていった。

 

 

 

 木梨の葬式を済ませた数日後。
 今後を港に任せて、星野は事務所に高久と神波を呼び寄せた。しかし何か話をするわけでもなく、項垂れてソファーに座り込んでいる。どう声をかけたものか二人には皆目見当がつかなかった。
 木梨が死んだ。しかも宿敵ではなく枝の新人のものの手にかかって。
 いや、この際誰がやったかなどどうでもいいことだ。星野にとって木梨の死とは自分の力が及ばなかった、ただそれだけのこと。
 これで3度目か。
 星野は力なく拳を握る。
 知恵を守れなかった。自分の存在のために知恵は死んだ。飯塚を殺した。敵とはいえ自分が守る者のためにひとりの前途ある若者を殺した。仕方のないこととはいえ自分が知恵を守れていたならば石橋と木梨が対立することもなく、半田も大原も、そして飯塚だってこんなに早く死ぬことはなかったかもしれないのだ。
 そして木梨。
 自分を赦してくれた彼のために一生を賭けるつもりだった。彼の情けに救われた命を、彼に差し出すつもりで戦っていた。それなのに、守れなかった。あの人を。
 どうして命令を振り切ってでも側にいなかったのだろう。そして自分は生きている。もう守るべき人はいないというのに生き長らえているのは、何故だ。
「......ちくしょうっ........」
 側にいた神波がびくりとする。
 もう生きていても意味がない。死にたい。死んで詫びたい。でもそれすら星野には許されない。それでも生きなければならないのを星野は分かっていた。生き抜くことが大事な者を守れなかった自分への罰。
 俺がひとりで背負わなければならないもの。
 いつか運命に従って命が尽きるまで背負わなくてはならないもの。
 償うことがもう叶わないのならば、抱えて生きていくしか方法がないのだから。
「星野さん......」
「神波ぃ」
 星野は俯いたまま言った。
「今回こそは俺に俺自身を責めさせてくれよな。間違いなく俺のせいだ。俺が殺したんだ。俺はあの人のために、それこそ両手両足がなくなろうともあの人を守らなければならなかったのに」
「でも.....」
「お前らに責任はないよ。憲武さんの命令に従って手を出すなと言ったのは俺なんだ。矛盾してると言われても俺はあの人を最後まで守るべきだった。しかし、出来なかった。仇を打つことさえ出来なかった。先にやられちまったよ。あの人を最も良く知る、憎むべき戦友にな」
「..........」
「憲武さんはな、石橋が羨ましかったんだと思うよ。石橋のやり方は酷いことは酷いが、それもこういう世界で生きるには必要なことだ。彼はそうやってのし上がった。憲武さんはしかし、そうすることは出来なかった。憲武さんらしいやり方でここまで来た。友である石橋を、石橋自身を否定することで生きてきたんだ。長い間対立してきたが、それはそれで二人には誰にも分からない友情だったんじゃないかと俺は思っている。だから、もしかしてこうなったことでいちばん悔しいのは俺なんかより石橋なんじゃないか、ともな」
「友情......」
「これから、どうするんすか」
 遠慮がちに高久が切り出すと、星野はゆっくりと顔をあげる。
「憲武さんがいなくなった以上石橋が攻撃してくるとは考えにくいし、そうするともうここは続けても仕方がない。俺は憲武さん以外に仕える気はないし、お前らもきっとそうだと俺は思っている」
「.......ええ」
「俺には死んで憲武さんに詫びることも出来ない。馬鹿だと思うかもしれないが、俺には生きるしか術がないんだ。俺の使命は憲武さんを守ることだったのにな。もう、守るべき人はいないのに、それでも生きるしかないんだ.....それしかあの人に顔向けできる方法がないんだ」
「..........」
「だが、お前達の人生は自分で決めろ。俺がこれから行く場所には、連れていけない」
「!」
「憲武さんの孤独と比べたらたいしたことじゃない。あの人は3人も大切な人を失っているんだから。知恵......あの人の妹だ、俺の婚約者だった......それと、半田、大原」
「半田さん......大原......」
「憲武さんのために半田は生きたよ。大原も。その二人も俺は守れなかった。部下である前に二人はあの人の大切な友人と息子みたいに思ってたヤツだ、その命も守れなくてこれから何ができるんだって言われそうだけどな、それでもやらなきゃいかん」
「星野さん!」
「高久」
 星野は立ち上がると、少し笑って高久を見つめた。
「長い間ありがとうよ。お前が俺を慕ってここへ来てくれた時、俺はほんとに嬉しかった。お前の明るさは、有り難かった。一生忘れない。お前はちとおっちょこちょいなとこはあるが、要領がいいからどこでもやっていけるだろう」
「星野さ.....そんな.......」
「心配すんな、なんとか生きてくよ。もう会うことはないかもしれないがな。敵として向かい合っても、俺はお前のことは殺せない」
「星野さぁん........」
 ぼろぼろと泣き出す高久の頭をぐしゃぐしゃと撫でてから、星野は神波を見、ゆっくりと強く抱き締めた。
「ごめんな、神波」
「ほ......」
「最後まで面倒見てやれなくて、すまん」
「.........」
「寄り道したが、お前はきっと元へ戻れるよ。ここで経験した何もかもがきっとお前を強くしてくれる。大丈夫だ。居場所のないヤツなんてどこにもいないんだ、必ずどこかにお前のいるべき場所があるから、これから頑張って高久に声かけた時みたいに一人でやってみろ。お前は若いんだから」
「そん.......俺はこの場所こそが自分が存在していてもいい場所だと思っ........」
「人生にはいろいろある。ここがまた分かれ道だ。お前はまだ進めるよ。俺は、もうこれ以上行くことは出来ないけどな」
「俺......俺、分かりません.......これからどうすればいいのか.....」
「神波」
「ここへ来た時だってどうすればいいか分からなかったんです......最初関口さん達にボコられた時だって、もうここで死んでしまってもいいやって思ってた。それが......それがあの平山、さんに助けられて、お前はここにいるべきじゃないって言われて、そしたら逆に腹が立って生きてやろうって.....思った」
「..........」
「それから.....高久さんに会って、星野さんに会って、俺は救われました。俺でも生きていていいんだって、生きていればこそ何か見つけられるんだって.....そう思って......だから、救ってくれた星野さんのために俺は何かしようって、ずっと自分のためだけに生きて来たものを誰かのためにって思ったんです......なのに、そのあなたを残してだなんて、無理です........これからひとりっきりで何を探して生きていけばいいのか........」
「人はもともと独りなんだよ、神波」
 笑って、身体を離すと強く肩を抱く。
「ここへ来た時だって最初はひとりでやってやろうって思ってたんだろう?それが偶然俺達と会えた。誰と会うのも別れるのも生きてりゃ何度と経験することなんだ。俺と出会ったのもここで生きた時間もお前の人生の大事な宝になってそれがいつか役に立つ。お前はもっと先へ進んでお前自身でお前の真実を探せ。俺の役目はここでおしまいだ。........俺が引き込んだんだから、責任持ってどうにか一人前にしてやろうと思っていたが......さすがにこれ以上重い荷物は背負い切れねえ」
「う...........っ、く.......」
 星野は神波から離れると懐から自分の財布を取り出してわずかばかりの札とカードを二人のポケットに押し込む。
「さあ、行ってくれ。俺は最後にここを片付けてから修羅の旅への準備をしなくちゃならない。その前に少し一人になりたいんだ」
「ほし......のさ.......」
「行け!!」
 怒鳴られて、高久は一瞬強く星野を見つめてから勢い良く走り出ていった。それを見送ってから、星野は神波の背中を押す。
「お前も行け。気をつけてな」
「.......お世話に.....なりました........」
「お前のことも忘れないよ。お前のこれからの人生が良きものであるよう、祈っている」
 神波はいつからか溢れていた涙を手の甲でぐいっと拭った。そして、荷物を取ると星野に深く頭を下げドアへ向かって歩き、最後に一度振り返る。
「さようなら、お元気で.....!」
 もう一度頭を下げると、ゆっくり、次第に速度を速めて神波は走り去った。

 

 

 

 神社の脇道の電燈がちかちかと消えそうに光っている。その下を星野は舞の肩を抱いてゆっくりと駐車場へ向かって歩いていた。遠くに繁華街のざわめきが聞こえる。
「.......舞」
「なあに」
「あのコらには説明してきたんか」
「ええ」
 舞は俯いていた顔をあげて少し微笑んだ。
「敬子に全て任せてきたわ。大丈夫、女は強いのよ。暫くは辛いかもしれないけど、ちゃんと次の恋がやってくる。そのうちまた今まで通りわいわい男のとりあいするわ」
「そうか」
「いい男がまた来るかもしれないしね。そうやって街は生きているんだから。うちらみたいな女は一人の男に命賭けるか、それが出来ないならそれはそれであっさり終えて次へ向かうしかないんだから」
「お前は、俺に賭けることを選んでくれたんだな」
「もちろんよ」
 星野に絡めた腕に力を込める。
「それがあたしなりの......知恵さんと、憲武さんへの餞だと思っているから」
 やがて砂利敷きの駐車場が見えて来た。自分の車へ向かおうとして愛車の影に誰かが屈んでいるのが目に入り、足をとめる。
 高久だった。頭を垂れて砂利の上に正座していて、近付く足音にも動こうとしない。
「.........高久」
「高久くん..........」
「こんなとこで、何やってる。見送りに来てくれたんか」
 舞が先に高久に近付く。触れた肩の冷たさに驚いて声を上げた。
「身体が冷えてるじゃない、こんなとこに座ってるから」
「...........」
「ほら、見送ってくれるならちゃんと立ってよ、ね?」
 高久は首をぶんぶんと振るときっと顔をあげて星野を見る。
「高久」
「.......俺.....これからどうするかを考えました。頭悪ィですけど、それでも一生懸命考えたんす。でも、何度考えても答えは変わりませんでした」
「...........」
「俺、星野さん以外の人に仕える気、ないっす」
「言っただろう、俺のこれからの地獄にはお前をつきあわせるわけにはいかないんだ」
「舞さんは連れてっても、俺はダメなんすか」
「こいつはこいつなりのやり方で俺に賭けてくれるんだよ。それに、俺は舞と.....誰とも一生もう結婚は出来ない。舞はそれを分かっててこれまで一緒にいてくれたから、俺としては罪滅ぼしのつもりさ。例え、いつか死なせてしまうことになってしまってもな」
「..............」
「高久、分かってくれよ。俺もお前と別れるのは辛えんだよ」
「嫌です!」
「高久」
「俺だってずっと星野さんを見て来ました。及ばずながら側にいさせてもらって、俺なりに星野さんの背負うものを理解しているつもりです。だから、今の星野さんを置いて俺だけ楽に生きようなんて思いません」
「高久.........」
「俺は女じゃないすから舞さんみたく星野さんのお力にはなれないけれど.......でも、別の形ではなれると思います。なりたいんです。俺の生き甲斐は星野さんと共に生きることなんです、それしかないんです!......自分の力量も省みず、烏滸がましいかも......しれないすけど.......」
 最後は泣き声になって、高久は額を砂利に擦り付けた。
「高久、顔あげろ」
「お願いです、俺を置いていかないで下さい......俺も連れていって下さい......絶対御迷惑はかけません、精一杯やりますから」
「俺はお前を置いていくんじゃないよ。俺に巻き込んじゃいけないから、新しい道を探せと言っているんだ」
「.......」
「な、高久、聞き分けてくれよ」
「........どうしてもというなら、俺をこの場で殺して下さい」
「!」
 星野は息をのむ。
 その声は泣き声ではあったが、今までに聞いたことのないくらい重く静かな声だった。
「これ以外に道が見つかりません。ならば、星野さんに殺された方が幸せです」
 そう言ってそのままの姿勢で懐に手を入れると、銃を取り出して静かに置く。普段は陽気で明るい高久の確かな決意だった。
「............」
「連れて行ってくれないというなら、俺が邪魔だと言うなら、殺して下さい。俺はこの通り何にも出来ないですけど、星野さんに忠誠を誓う気持ちだけは誰よりもあります。このまま別れていつか敵対するとなっても、俺は星野さんを殺せません。だから、そんな事になるまえに、今ここでどうぞ俺を消して下さい、あなたの手で」
 ぽつぽつと雨が落ちてくる中、星野は高久をじっと見つめる。やがて銃を拾い上げると、遊底を引いて中の弾をぱらぱらと砂利に落とした。
「教昭......」
 舞が星野を見ると、星野は舞に笑ってから銃で高久の頭をこつんと突く。
「.........ったく、折角二人だけで愛の逃避行ってやつしようと思ったのによお」
「!星野さん.....じゃあ........」
 笑いを含んだ星野の声。高久が雨と涙でぐしゃぐしゃの顔をぱっとあげた。
「なあ、舞?」
「こんな肝心なとこで邪魔するなんて、でも高久くんらしいわ」
 星野に問われて舞はため息をつきながらくすりと笑う。
「舞、さ........」
「ほらほら立ちなさい、三枚目が台無しよ?」
 舞の言葉に高久はようやく立ち上がった。星野に深く頭を下げる。
「泣くな、馬鹿。そんなんじゃこれからやっていけねえぞ。また一からやり直しなんだから」
「は、はい......」
 シャツの袖で涙と汚れを拭う高久の背中を星野は強くばんと叩いた。
「ありがとな。これからも宜しく頼むぜ、相棒」

 


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