2
「た.....貴明.....」
友美子が俺を見て急いでシーツをたくし上げた。
そんときのシチュエーションなんて言わなくても分かるだろう?もちろん吉野と友美子は仲良くおしゃべりしてたわけじゃねえ、ベッドで二人ともすっぱだかさ。ちょうど一戦やり終えましたってとこだな。吉野は友美子の肩抱いて優雅に煙草なんか吸ってやがってさ。
「何しに来た、のよ......」
「......別に。やらせてもらおっかなーと思って来てみたら、先客がいたわけだ」
「.......」
友美子をちらりと見てから、吉野に視線を移す。
「よお」
「石橋、さ......」
「偉くなったもんだなあ、先輩の女勝手に寝とるとはよお?ま、そいつは正式にゃあ俺の女ってわけじゃねえが先に手つけたのは俺だしなあ、断りくらいは欲しいよなあ」
「.........」
こうなるのをどっかで予想してたのもある。吉野が友美子を多少なりともそういう視線で見ていたのも知ってたし、ここ最近憲武のことがあって二人して俺を気にかけていたようだから、自然とここへ辿り着くのも間違っちゃいない。
憲武。
どいつもこいつも憲武だ。
俺が間違ってるって言うのか?憲武が正しいか?
恨んだって死んだヤツは帰って来ない?そんなの当たり前じゃないか。じゃあ残された奴はどうしろってんだ、一瞬でもそいつを憎まずにいられるってのか、しかも近くで生きてられるってのか。
冗談じゃない。汝の隣人を愛せよってヤツか?
この世界でそんな綺麗事が通用するか!
「あなたが......あなたがいけないのよ!最近すっかり荒んじゃって、まるで人間じゃないみたいなんだもの!知恵の肉親は憲武さんであってあなたじゃないわ、あなたがいらいらしたって仕方のないことじゃないの!」
「........」
「知恵だって星野さんのこと恨んだりしてないわよ」
「そんなのどうしてお前が分かるんだよ」
「.........」
「俺は星野に対してむかついてんじゃねえ、憲武に対してなんだよ。俺と憲武の考え方の問題であって、それについてお前らに口出されるのは心外だ」
「だって石橋さん、憲武さんは......」
「黙れ吉野」
俺はポケットに手を突っ込んでベッドに近寄った。二人を見下ろす。
「別にどうでもいい」
「?」
「友美子は俺の女じゃない、お前が吉野んとこに行きたかったんなら俺にそれをとめる術なんぞないし、お前の勝手だ。ただ」
その時憲武の顔がちらついて、俺は思わず口元で笑ったよ。
「吉野、お前は憲武みたいにヤワじゃねえと思ってたが、それは勘違いだったようだな」
「.......」
「お前もどうせ一緒だ。情にしがみついて生きてる。組兄弟以外のもんはこの世界で守るべきものじゃない、守ってる余裕なんか持っちゃいられねえんだよ。そんなんで生きてられるほど甘くない」
「じゃあ....じゃあ石橋さんは今守りたいものがひとつもないと言うんですか!?」
「少なくともお前らが思うようなものはないね。あるのは組への忠誠心と、自分の正義だ。俺がやらなきゃやられるんだ、人になんて構っていられない。そこを犯そうとする奴は俺が全てぶっ殺す。......俺の行く手を邪魔するもの、余計な情を持ち込んでくるもの、俺の存在を否定しようとするもの、全てだ」
俺がポケットの中で撃鉄をあげるのと、吉野が友美子を庇うように身構えるのがほとんど一緒だった。重なる二人の姿に、あいつの顔も重なって見えた。
憲武!
たった1発で事は済んだよ。二人とも心臓を貫かれてベッドに倒れた。あの世でせいぜいやりたいだけやれよ。今生で最期にやれてよかったか?
俺は二人に一瞥もくれずにそこを出た。事務所への道をゆっくり戻りながら俺は決心したんだ。
あいつが邪魔だ。あいつの生き方、あいつの考え方、存在全てが俺の行く道の妨げになる。あいつがそうであるように、俺はどうやったってあいつのようには生きていけない。そう考えることさえおぞましい。長い間あの家の中で俺は生きてきたのに、やっと俺は気付いたんだ。他人なんか信じられない。自分以外は信じられない。浮わついた感情を抱えては生きていけないんだと。それなら、俺の目の前から消すしかない。急ぐ必要はない、今は一応同じ組の人間だ。ゆっくり時間をかけて、憲武が最も苦しい方法で殺してやる。お前が信じる何もかもを足げにしてぶち壊して、最後にお前自身を消してやる。俺の全てでお前を否定してやる。俺は、お前がそんな人間であることが我慢ならないんだ。
それが俺の生き方さ。こんな俺にも残る、最後の友情の証だよ。憲武。
そして、偶然にもその直後に内部抗争が起きてあいつと別れて、世話役が組長と共に消えてっからは俺は成井を連れてあいつを殺すべくひと旗あげたってわけさ..........
「あ、成井さん御足労様で......!」
成井に頼まれて事件のあったその場を守っていた石田組の参謀松村はやって来た成井の元へ向かおうとして、並ぶ石橋の姿に声を失った。成井がついているとはいえ石橋がこんなところへ出てくる事は滅多にない。松村だけでなく、居並ぶ組員全てが姿勢を正した。
「御足労様です!!」
「御苦労」
石橋は短く言って、側に倒れている木梨を見た。胸に、銃弾が3発。
しばらくぶりに見る憎らしい懐かしい友の顔。その頬は痩せこけて石橋の記憶にある木梨の顔とは全く違ったように見えた。投げ出された血の気のない手。
「木梨側からは来たか」
「は、何人かは殺りましたが1人あいにく逃しまして.....おそらくあちらの本部からもそろそろ人がやって来るかと思われますが」
「そうか、引き止め御苦労。憲武さんを殺ったヤツは?」
「ちゃんと捕まえてあります。連れて来ますか」
「そうしてくれ。そのために貴明さんはいらしたんだから」
「はい」
松村が返事をして去っていくのを確認してから、成井は石橋を見た。この報告を聞いた時と同じ表情で最早抜殻となった木梨を見下ろしている。感情らしきものを出すことも一切ない。ただ静かにそこに佇んでいた。
程なく松村とその部下が別の人間を連れてその場へやって来て、成井に声をかける。
「成井さん、連れて来ました」
両側から羽交い締めにされている色の白い細い男。そこで初めて石橋は木梨から視線を外した。
「ちょっと前にあっちの渡辺んとこに入ったヤツだってことしか分かりませんが....なにしろ自分から口を開こうとしないし、何か言ってもめちゃくちゃで俺らには分かりやしませんで」
「そうだな、そいつは頭がちょっとイっちゃってるみたいだから」
「全く渡辺もどうしてこんなん入れたんだか。どうしましょう?」
成井は顎でくい、と石橋を指した。
「口割らせんのは俺じゃなく貴明さんだから。最大の獲物横取りされちゃったんだからね、そのためにわざわざ出向いたんだから。貴明さんの前にそいつ連れてって」
「はい」
「貴明さん、どうぞ」
「........」
「何かお貸ししましょうか」
「.....いらん」
成井はこの男を処理するべく愛銃を石橋に貸そうかと手を入れたが、低い声で石橋はそれを拒否した。この場に来て初めての言葉、しかもその一言が一瞬で周りを威圧し、石橋を長く知る成井以外の組員達はぎゅっと身を固くする。
「しかし貴明さん何も持っては....」
「いい。別のところにちゃんと用意がある」
そう言ってから木梨を殺ったという男に至近距離で近付いた。
「お前、名前は」
「...........」
「いくら新人のお前でも、俺を知らないわけはないだろう?この石橋貴明がきさまなんぞの名前を直々に聞いてやってんだ、名乗れ」
途端にその男は笑い出した。最初は低く、それから高らかに。組員達はその様にぎょっとするが、成井はふっと息をついて煙草に火をつけた。石橋は変化に気をとめることなく男を見つめる。と、笑いが止んで男はまっすぐ石橋を見た。
「有り難いことですねえ、石橋貴明様が直々に僕の名前を聞いて下さるとは」
男の口調は冷静で、それがさらに周囲をざわつかせる。
「しかも僕を見るためにわざわざ出向いて下さったと。そこまでされてはこっちも名前くらいは言わないと失礼ですかねえ」
「ああそうだ。忙しい中来てやってんだよ、名乗れ」
「浅野吉朗です、年は28歳。各プロフィールも披露しましょうか?」
浅野と名乗ったその男はあくまで冷静に、しかし楽しそうに石橋に答えた。
「結構だ。名前だけ分かりゃあとはひとつしか聞くことはねえ」
「なんでしょう?」
「お前、一応憲武側の人間だろう。どうして殺った」
「............」
「それとも、敵味方区別つかない程頭が電波でいっぱいか」
「........別に、特に理由ってないんですけど......そうですねえ、しいて言えば銃撃ってみたかっただけですかね」
浅野はさらりと言い放つ。
「なんかみんな俺になんか構ってらんないってカンジでほっとかれてて。そしたら偶然銃見つけちゃって、ふらふらしてたらちょうど木梨さんが歩いてるとこに出くわしたんで。別に木梨さんじゃなくても誰でも良かったんですが」
「それだけの理由でか。憲武は一応俺の獲物だったんだがな」
「はあ、それは大変失礼しました。でももうやっちゃったことは仕方ないですよね」
「..........」
「だって木梨さんもやたら無防備に歩いてたから、つい。それにあの人ここんとこずっとあなたから逃げ回ってたんでしょ?自分らをまとめるような人がそんな弱いんじゃ、俺着いて行けないですよ。だからちょうどよかったんじゃないですか」
「憲武は、俺から逃げてたんじゃねえよ」
石橋はぼそりと言って浅野の前から離れると、ゆっくりと横たわる木梨の横に立った。少しの間目を閉じた木梨の顔を見つめて、呟く。
「なあ?俺から逃げる程弱くねえよな、お前」
「じゃあ何から逃げてたんですか?」
「それはきさまごときが知ることじゃない」
顔をあげてそう一喝してから、石橋は浅野に向かって言った。
「質問は以上だ。失せな」
「貴明さん!」
「こいつ見逃していいんですか!?」
成井や松村が声をあげる。組員も石橋を驚愕の表情で見つめるが、当の本人は手を振って続けた。小さく笑みさえこぼす
「今はな。今は、見逃してやるよ。聞いたこと答えてくれた礼にな」
周りが困惑を露にする中、ひとり成井だけは石橋の口調の変化を見逃さなかった。
今は。
石橋が言う今とは、本当にこの一瞬だけだ。おそらくすぐにその時は訪れるだろう。しかし武器も持たないままどうやって........?
「へえ、案外優しい方なんですねえ。噂に聞いてたのとだいぶ違うみたいだ」
「噂なんてあてにするもんじゃないぞ。小川、遠藤、そいつ離してやんな」
「は.....でも.......」
「......貴明さんの命令だよ」
浅野を押さえていた二人は戸惑うが、成井に言われてするりと腕を抜く。ふにゃりと笑って浅野が足を一歩踏み出した時だった。
「どけ!!」
鋭い声に組員は一斉に身体を引く。成井が素早く声の方向を見ると、石橋が木梨の懐に手を突っ込んで銃を抜いており、浅野の後頭部に向かって素晴らしく美しい速度と角度でそれを構えた。引き金を引く。
銃声と物体を貫く鈍い音がして反動で浅野の身体は揺らめき、そのままくるりとこちらに顔を向けた。
もう1発。
左目を銃弾が綺麗にぶち抜き、続けて不安定にがくがくと揺れる浅野に向かってリズムよく撃ち放つ。どさりと地面に身体が倒れてもそれは続き、撃たれた顔はもう原形を留めてはいなかった。
「..........」
全弾撃ち終えて石橋はゆっくりと腕を下ろし、組員達が見守る中倒れた浅野には目もくれずに再度木梨を見下ろして銃口を向け、引き金を引く。もちろん弾の入っていないそれはかちんと小さく金属音を立てただけで、石橋はがしゃりと銃を地面に放った。
ふとその銃を成井は見てはっとする。S&W
M36。石橋の愛銃と同じものだ。製造元が違うため一部の細かな造りは違っているようだったが。
「......成井、帰るぞ」
「あ、はい」
「お前らも戻れ。憲武はほっといてもそのうち向こうが持って帰ってくれるだろうさ。それから、そっちのヤツは解体屋にでもまわしときな。こんなとこに置いといても通行の邪魔なだけだ」
「松村、姫野さんに連絡してとりに来てもらえ。今後の指示はそれぞれ上に従うこと」
「わ、分かりました........」
もう石橋は歩き始めている。松村にそう言ってから成井は地面に広がった血の中に煙草を捨てるといつもと変わらぬ石橋の背中を追った。
「成井!」
成井が事務所に戻ってくると中の二人は待っていたかのように成井に駆け寄った。石橋が側にいないにも関わらず小声で問う。
「石橋さんは?」
「下にいます。もうちょっとしてから来るって」
「そうか。........どうだった?」
「憲武さんの銃で、犯人の顔をめちゃくちゃに撃ちまくりました」
「.........」
「まったく見事なものでしたよ」
成井はそう言って笑ったが、それはいつもの皮肉めいた笑みではなかった。シュウが続けて問いかける。
「これから、どうなるのかな」
「.......」
「木梨がいなくなった以上あの組はもうおしまいだろう。それに石橋さんは『木梨憲武』が最終目的だったんだから、今さら残りの雑魚を殺って根絶やしにするなんてこともしそうにない」
「.......ええ。計画はこんな中途半端な形で終わりを告げることになってしまった。多分、今貴明さんがここに存在している理由はもうないでしょう。存在する最大の理由であった戦友は、もういなくなってしまったのだから」
「石橋さんはどうすると思う?俺には到底分からない、シュウだっていつも石橋さんの近くにいたわけじゃないからそこまでは分からないと言う。だが長くあの人を見て来たお前なら....」
平山が聞くと、成井は首を振った。
「確かに平山さんとシュウさんよりは貴明さんを知っているつもりです。でも今日、俺は今までに見た事のない貴明さんの顔を何度も見ましたよ。予想もつかない行動もとりました。だから貴明さんがこれからどうするかと聞かれたら分かりませんが、俺達がどうなるかくらいは想像出来ます」
「お前の想像では、どうなるんだ?」
「.........貴明さんがここに存在している理由がないということは、俺達も同じことでしょう」
平山にもシュウにも二つ選択肢が浮かんで、その場は重く静まり返る。ここを去るか、消されるか。今までの石橋の行動からして後者の確率が大きい。しかし二人とも遠からず訪れるかもしれない死に恐怖はなかった。
(俺は最後まで自分の意志で生きた。死んだあいつの真意はもう分からないが、確かにあいつの求めたものを追うことが出来たと信じている。くだらなくても女々しくてもいい、それが俺のやるべきこと。もう、迷わなくていいんだ)
(俺は最後まで運命と共に生きた。夢見たこともあったが惑わされずにやるべきことを全うした。石橋さんのために貢献し、彼を護った。京子を守った。それでいい)
成井は石橋のデスクに視線を向ける。と、階段を昇る足音が微かに聞こえ、それからドアが開いて石橋が姿を現した。ここを出て行った時と同様何も周りが見えていない表情で成井達の前を通り過ぎ、ゆっくりと椅子に腰掛け、窓の方を見つめる。3人は固唾を飲んでそれを見守った。
石橋の次なる行動を。運命を。自分達の運命を。
暫くして、キイと椅子の音を立てて石橋がこちらを向く。
「終わりにしよう」
石橋ははっきりとそう言った。その顔には、珍しく笑みさえ浮かべて。
「憲武はもういなくなった。計画とは懸け離れたが、木梨組を潰すということだけはとりあえず果たせたわけだ。だが俺が殺したわけじゃない、そうなると俺がここで勝ち誇ることも何も意味がない。意味がないんだ。全て、意味がない」
「...........」
「今日で終わりだ。お前らを解放してやるよ」
「!」
「シュウ」
顔だけ動かしてシュウを見る。
「長い間御苦労だったな。よく務めを果たしてくれた。もうお前は家に囚われることはないよ、勝手にどこへでも行っていい。他の組へ移ってもいいし、京子ちゃんのためにカタギとは言わんでも真っ当な職に就こうってんなら俺がなんとかしてやる」
「.........」
「平山」
石橋は黙り込むシュウを気にせず、続いて平山を見た。
「俺が半ばヤケに引きずり込んだようなもんだったが、まあ期待以上にお前は働いてくれたよ。少なくともあの時死んじまったあいつよりはな。お前は何か探してここへ来た。あいつがどう生きたかったか知りたくてここへ来たんだろう。何か、見つけられたか?」
「........」
「俺が引っ張っといて何だが、やっぱお前はあいつとは違ったんだろうな。短期間で一気に上り詰めて参謀にまでなったお前を見ていても俺は思うよ、お前はここにいるべきじゃない。お前みたいなやつのいる街じゃない。さっさと出ていくんだな」
そう言ってから石橋は立ち上がり、金庫を開けていくつか札束を取り出すとそれをふたつの山に分けてデスクの上に置いた。平山とシュウを交互に見遣る。
「退職金、なんて聞こえのいいもんじゃないが、これで当座の暮らしはなんとかなるだろう。お前らとはおしまいだ、もうお前らの手は必要じゃない」
「石橋さ.......」
「10分以内に身の回り片付けて出てけ。出ていかないなら、今俺がこの場で殺す。これからお前らがどう生きようと勝手だが、もう俺に関わるな。今後俺の目の前に現れても容赦なく殺す。最も、命が惜しくないというなら別だがな」
「........」
先にシュウが動いた。ゆっくりと歩いて札束をとるとポケットにねじ込む。それからドアへ向かいかけて、一度石橋を振り返った。
「.......どうぞ、御自分を大切に.......」
シュウはそう言って、平山と成井を見ずに出ていく。それを見送ってから、平山がわずかながら置いてあった荷物をとってから、石橋に頭を下げた。
「ありがとうございました」
札束を掴んで石橋に背を向けて、成井を見る。
「二度と会うことはないな。お前にも、お前みたいな人間にも」
「......お元気で」
成井の返事にふっと笑うと、平山はサングラスを外してポケットに仕舞い、部屋を出ていった。