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形ばかりの半田の葬式を済ませて数日が過ぎた。木梨の落胆ぶりを見て、大原と神波はせめて最後に一度だけ半田の顔が見たいとごねたが、それは高久によって叶わなかった。
『俺だって見たくなかったよ』
ただその一点張り。あまりに強情な高久を星野も嗜めようともしない。
「.......大原」
「あ、は、はいっ」
「茶」
「はいっ」
重苦しい雰囲気の中の木梨の声に、大原がすっ飛んで行った。それをちらりと見てから、星野が口を開く。
「.......まさかとは思ってたが、最悪の事態になっちまった」
「............」
「半田は成井に殺られた。証拠が残ってる訳じゃないし、最期の姿からは考えにくいが、それしかない」
「成井さんが........」
最期の姿。それは誰が見ても半田が自らビルから飛び下りて命を絶ったように見えただろう。しかし、実際は違う。
「現にいくら連絡とろうとしても全然繋がらねえ。持ち物も消えてる。ついでに、半田のもな」
「え」
「憲武さんしか聞いてないフロッピーがあったんだと。でもそれお前ら探した時なかっただろ、どうもあいつ半田から聞き出して持ってきやがったらしい。あいつならそんくらいたいした手間じゃないだろう、あの、成井一浩ならな」
星野は忌々しく成井の名前を吐き捨てるように言った。
「全部計算ずくだった、んですか......」
「そうだな。まあ、憲武さんや俺らの性格を熟知してのことだろうよ。情けかけたのがあいつにとっちゃビンゴだったってことさ」
「くっそ........」
高久が机を拳でどんと叩く。
高久は比較的成井に心を許していた。一部作られた話ではあったが、過去の成井の境遇に心から同情し、救おうとしていた。おちゃらけて見えても本気で本来は他人を心配する優しく男気のある性格。そんな自分の性格が災いしたことと、裏切られたという事実が高久の拳に力を込めさせる。
「急にここに来てあっちが持ち直してきたのも、成井だろう。もともとそういう理由でうちに入って来たんだろうからな」
「............」
「うちも出来る限りの修正はしてる。港さんとこの奴が走り回ってくれてるよ」
星野は高久の肩を抱き、落ち着かせるようにして座らせてから、ゆっくりと全員を見渡した。
「いいか。これがおそらく最後の幕開けだ。あっちは本気で仕掛けて来る。俺がひとりひとりについてやることが出来ねえのが辛いが、とにかく気をつけろ。特に、成井にだ」
「はい」
「半田の弔いだからな。やるからには負けはしねえ。いくら向こうが精鋭揃いでも、数ならうちが勝ってる。手負いの虎程恐ろしいものはないってこと、思い知らせてやるんだ」
「ホッシー」
それまで項垂れていた木梨が突然口を開いた。立ち上がって星野の隣へやってくると、しゃがみ込んで全員を見上げる。
「無茶は、してくれるなよな」
「..........」
「ごめんなあほんと。俺が出ても、まだ足りないんだよ。大原や神波まで駆り出さなきゃいけないの、すっごい辛いんだけど」
「憲武さん」
「俺は大丈夫だから。半田ちゃんのことは忘れて、でも忘れずに頑張るよ。ここまで来て綺麗ごと言うのはヤワかもしれないけど、みんな自分が信じるもののために頑張って」
木梨は言ってから辛そうに笑った。
「悔しいけどよく分かったよ、血の流れない革命がどんなに難しいか。それでも俺は、貴明に銃を突き付けてやる。今度こそ、終わりにしてやるよ」
「...........」
「ホッシー、ちょっとみんな頼むな。俺港っちんとこ行ってくるから」
「あ、はい、お気をつけて」
微かに笑みを残して木梨は足早に事務所を後にする。星野は少しの間何か考え込むようにして木梨の消えて行ったドアの方を見ていたが、やがて決心したように視線を戻した。
「高久、大原についてとりあえず続けろ。神波は俺とだ。マジでやらんと、やられるからな」
「分かりやした」
鋭い目で前を見つめる。
「生きるぞ、憲武さんのために」
神波は自分と大原の住むアパートへの道を急いでいた。これからは忙しくてそうそう事務所から帰れなくなる。星野がそれを気遣って二人分の荷物を取りに行かせるべく配慮してくれたのだ。若い自分達をこれでもかと心配してくれる高久と星野に、少々胸が痛くなる。
冨永商店の前を通り過ぎたところで、神波は自分より少し前を歩くみきの姿を見つけた。一瞬声をかけるかどうか迷ったが、もう辺りは薄暗い。怪しまれて逃げられるのも癪だと思ってその背に向かって声をかける。
「みきちゃん」
「.......あ、神波、さん」
「久し振り.....でもないか。店でたまに会ってたっけ」
立ち止まったみきの隣へ足早に駆けて行くと、神波は少し笑った。
「そうですね、でも、最近凄くお忙しそうだから」
「うん、まあ」
一度二人きりで会ったあの日から、同じようなことはもうなかった。神波はそれなりに忙しく、またみきも学校とバイトの両立で手一杯。それでも店で会って話をしたりするだけでもお互い十分満たされていた。
「送るよ」
「え、でも......」
「もう暗いし。俺、ちょうど家帰る途中だから」
「すみません、忙しいのに」
「大丈夫だよ」
二人並んで歩き出す。ここのところの重苦しい空気に浸透してしまっていた身体が、少しだけすうっとする感じがした。
「こないだ言ってた課題はどうだったの?」
「あ、お陰様でなんとかあがったんですけど。なんか、先生にヤケに気に入られちゃって、それともう一品コンクール用に出品することになっちゃったんです」
「すげーじゃん」
「もしかしたらそっちの道へ開けるかもしれないコンクールだから嬉しいんですけど。寝る暇もなくて大変です」
「いいなあ、才能が役に立つって凄い事だよ。頑張ってね」
「ありがとうございます」
みきは嬉しそうに微笑んだ。分厚いスケッチブックを抱える手に、あの時の指輪。
暫く取り留めも無い話をして、やがて二人はみきのアパートの前に着いた。
「すみません、ほんとわざわざ」
「いいっていいって。ついでなんだし」
「......あの........」
「何?」
「もしよかったら、寄って行って下さい」
「.........」
みきの言葉に神波は黙り込む。彼女はぎゅっと荷物を抱え直して手を振った。
「あ、えと、お忙しいですよね、すみません」
「や、まあ、そうなんだけど......」
「ほんとごめんなさい、時間割いていただいて。ありがとうございました」
「みきちゃん」
顔を赤くして去ろうとするみきの腕を軽く掴む。
「あ、あのっ.....!」
意を決して、口を開く。
「.......今まで言えなかったけど、ちゃんと言うよ。俺、みきちゃんのこと、好きだよ」
「神波さん.......」
「ほんとはもっと、お互い知りたいし、それに今ちょっとごたごたしてるから少しは休みたいなんて思う。でも、俺頑張らないとなんだよね」
「..........」
ゆっくりと腕を離して、神波はズボンのポケットに手を突っ込んだ。
「それに......今の心理状態だと、なんか、自分に自信ないから」
「神.......」
「俺は、君を傷つけたりしたくない。だから、もうちょっと時間がたって、お互い余裕が出来たら、また誘って」
みきは顔を赤くしたまま、こくんと頷く。
「........ごめんなさい。ほんと、今大変なのに」
「大丈夫だよ。俺もほんと、ちょっとは休みたいんだけどこればっかりは」
「半田さん、亡くなられたんですよね........」
「あ......知ってたんだ」
「ええ、店長が電話してるのちょうど聞いてしまって」
「そっか。じゃ、俺そろそろ行くから。また」
「はい。......あ、ちょっと待って下さい」
歩き出そうと背を向けた神波を引き止めて、鞄から一枚のポストカードを取り出す。
「これ、私の師匠が出してるんです。絵やりながらバンドやってギター弾いてる、面白い人なんですけど」
鮮やかな原色を多用した、しかし何故か痛いカラフルなイラスト。その下に、手書きの小さな英文。
『Do
you find the
trurh?』
正に、今それを探している最中だ。
「神波さんに、あげようとずっと思ってて」
「.....ありがと」
神波が受け取ったのを見てから、笑みを浮かべて、だがしっかりと前を見つめる。
「私も、神波さんのこと、好きです。もっと、神波さんのこと知りたい。あなたの探す真実が早く見つかること、お祈りしてます」
「ありがとう、じゃあ」
「お気をつけて」
「ばいばい」
手を振って、神波はその場を後にする。今になって急激にあがってきた脈を押さえるように貰ったカードをジャケットの懐に大事そうにしまって、家への道を急いだ。
事務所では、星野の代わりに枝への品物の渡し役を引き受けた大原が何度も説明を受けていた。
「お前ツラでなめられそうだけどな、ちゃんと名前名乗ってな」
「はい」
「もう港さんには話通ってっから。俺が宜しく言ってたって、くれぐれも伝えてくれよ」
「分かりました」
「高久、送ってってやって」
「うす」
高久が先に立って出ていく。その後に大原は着いて行き、ドアの前で振り返った。
「じゃ、行って来ます」
「頼んだぜ」
頭を下げて外へ出る。高久が乗り込むのを確認してから、大原は助手席に回った。頭を縮めるようにして中へ身体を入れる。
「.......ほんとは俺が行きゃいいんだけどな、今憲武さんひとりだから、星野さんに早くあっち行ってもらわねえといけねえからよ」
「大丈夫ですよ」
指定された場所への裏道を走りながら、高久は固い座席に身体を預けた。揺れる車体に預かったケースをしっかり抱えて身体を揺らす大原を、ちらりと見る。
若い大原にこんなことまでさせなければいけない状況。普段なら絶対こんなことはさせない。それでも、現在重みで言えば大原より木梨の存在の方が重要なのだ。どうにもならないジレンマに、唇を噛む。
「この先の大通り抜けたら、あとすぐだからな」
「はいっ」
T字路を左へまがって、長く広い大通りへ出る。暫く走って行くと、道の真ん中に人が立っているのが見えた。
「お?」
高久は身を屈めてその人物を見遣る。どこかで見た事のある背格好のそれに、どきりとして目を見開いた。
あの時往来で会った、石橋の人間。黒いスーツの男。
車が近付くのも気にせず、その男はこちらを向くとゆっくりと腕をあげる。高久は大原の頭を押さえ込んだ。
「.......大原、伏せろ!!」
自分も頭を下げながら強くブレーキを踏み込んだのと同時に、頭の上でドンと大きな音がした。バラバラとガラスの破片が飛び散り、男の目前で車が止まる。
「たっ......高久さあん......」
「お前、すぐ行け。俺がなんとかすっから」
「でも.....」
「行け!命令だ!!」
高久の怒鳴り声にびくりとして、大原はケースを抱えたままドアを開けた。銃を撃ったままの体勢の男を気にしながら、ゆっくりと後ずさる。高久は大原を見ながら同時に男を牽制するように見て、自分も外へ出た。やがて大原が走って行くのを確認して、フロントガラスのなくなった愛車を見つめる。
「........折角譲り受けたばっかなのによお、やってくれるじゃねえかよ」
男は腕を下ろして、銃をポケットに仕舞う。
「俺は高久誠司ってんだ、あんたも名あ名乗ってもらおうか」
「.......網野、高久」
低音のその声にぎくっとする。網野といえば、高久クラスの人間なら誰でも知っている代々暗殺者として栄えて来た家の名だ。
「あんたが、あの網野さんか」
「.......心配しなくてもいい。俺は元来面倒くさがり屋でね、石橋さんに危害を加えられない限り滅多に動かないんだ。今ここでお前を殺る気は全くないよ」
「何......だと......」
「さっきの運びのボウヤがひとりになってくれればそれでいい。こっちとしてはお前が運び屋かと思っていたがな、好都合だ。あとは成井が片付けてくれる」
「!!」
網野はすっと携帯電話を取り出し、成井へ1コールだけ鳴らしてすぐにそれを仕舞った。身構えて懐に手を入れた高久を見て、ぼそりと呟く。
「俺の役目はとりあえずお前を引き止めること。それ以外は今んとこどうもしない。ただ、そこから動こうってんなら、相手になるよ」
「く.......っ......!」
「俺の家のこと少しでも知ってるなら、暫くそうしていてもらおうか。高久くん」
ぱらりとガラスの落ちる音がした。