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 クラブ「ripple ring」。
 その日志帆がいつもより遅れて店の裏口を入ると、既に来ていた自分以外の皆が着替えないままそこに集まっていた。そろそろ開店準備もしなければいけない時間のはずなのに、舞さえも難しい顔で椅子に座っている。
「おはよーございますう」
「遅いわよ志帆」
「すみませんっ、あの......何か.....?」
 志帆が聞くと、舞の代わりに和恵が厳しい顔で答えた。
「ちょっとやっかい事が起きてるらしいのよ」
「やっかい事?」
「........半田さんと成井さんが行方不明なんですって」
「え.......」
 敦子や敬子もいつもの快活な表情はなく、沈んだ顔でそこに佇んでいる。
「ほんとなの、それ」
「こんなこと嘘ついてもしょうがないでしょ」
「教昭が連絡とってるんだけど、2人とも一昨日から連絡がないのよ」
 吐き捨てるように言って横を向いた和恵の後を舞が受けた。大きくため息をつく。
「今までこんなことはなかったのよ、成井くんはともかく半田さんはマメに連絡入れてくれてたって言うし。最近空気がおかしいし、もしかしたら万が一、ってことも......」
「!」
 比較的いつも冷静沈着な志帆も、さすがに動揺してふらついた。その身体を和恵が支える。
「隆もここのとこめったに来ないわ。当たり前とは言っても、あの人さえ動かないといけない状況なの、だから私達がしっかりしなきゃ」
「う、ん.......」
「いい?だからね、今はあんた達で揉めてる場合じゃないのよ、敦子さんも敬子さんも」
「.........」
「分かってるわよお、そんなこと」
「もしなんかあったら、ほんとに神波さんどころじゃないんですからね」
 珍しく押しの強い和恵の言葉に舞はやり取りを聞きながら安堵した。もともと仲間だし、どす黒い展開にこそならないものの3人の間で多少神波を巡っていざこざがあったようだ。それ自体はまあ別に普段ならよほどの事がないと構わないのだが、今は事情が違う。
「向こうとも連絡とれないしね......」
「まだですか。誰ひとりとしてとれないなんて、おかしいんじゃないですか」
「そうね」
 向こうとは言わずと知れた石橋組のホステスの事。定期的に会ったり連絡をとっていたりしていたのだが、最近は極端にその機会が減っていた。ホステス間にはそれなりの条約があってこうしているとはいえ、一応敵同士の関係。そう深く探ることもさすがに出来ない。過去にどういうことがあったかも、人づてとはいえみんな知っている。
「まさか、ってことはないですよね?」
「まさかって?」
 黙ったままの舞に聞いた敬子に志帆がさらに質問する。敬子はぼそりと言った。
「.......考えたくないけど、また繰り返しなんじゃないかってことよ」
「そんな......」
「それはないとは考えられない。そうでないことを願ってはいるけどね。ただ、私達は表面上はこうでも敵。あの、石橋組のよ」
「舞さん......」
「ずっと同じ立場だと思ってた。だから今まではこうやって情報交換もしてきた。でも最近は状況が違うわ。成井くんが憲武さんの元に来てからはそうでしょう。詳しくは聞けないから分からないけど、間にやっかいが増えたのは港さんや水尾さんとこの話からなんとなく分かる」
 言ってから、舞は改めて4人を見渡す。
「いい?とりあえず、いきなり向こうの誰かから連絡があってもやたら話しないで。出来れば少しずつ遠ざかった方がいい。やっぱあっちから見たらうちらは友好的だったと思うから、急に態度が変わればおかしいと思われる」
「はい」
「組のお陰で生きていられるのは向こうも私達も一緒。私と和恵は教昭と大原くんのこともある。だから憲武さんのことだけ考えなさい。もし何かあったら報告してくれると嬉しいけど、無茶はしないでね。私達は女なんだから、出来ることをすればいいの」
 神妙な顔で4人が頷く。ひとまず開店準備に全員を向かわせてから、舞はひとり腰掛けると天井を見上げた。
「私達に今出来ることって、何かしらね.......」

 

 

「.....はい、あ、御苦労様っす。......そうですか、分かりました。引き続き頼みますわ」
 高久は受話器を荒々しく置いて、大原と神波に怒鳴った。
「おい、なんかあったか?」
「高久さん、ここ開かないっすよ、鍵かかってて」
 手がかりを求めて半田と成井の机をあさっていた大原が声をあげる。いちばん上の引き出しに鍵がかかっていて、当然ながらどうやってもびくともしない。高久が呟く。
「半田さんこういうとこ几帳面だからなー」
 成井の机で聞いていた神波がそれを見て近寄ってきた。
「大原、針金ってある?」
「え、針金?なんで?」
「俺、これ開けるから。高久さん、あの人の机ん中なんもないっす」
 部屋の奥へ探しに行った大原を見てから、神波は高久に言う。
「そっか、あいついつも持ち物持って帰ってたもんな、持ち物ってほど持ってもなかったし。しかし、お前開けられるんか?」
「多分大丈夫でしょう」
「そんな漫画みたいに上手く行くもんじゃないぜ?」
「任せて下さい」
 そこへ大原が戻って来て細い針金を神波に渡した。
「ほうきんとこの、ちょっと取れかけのやつだけど」
「ありがと、充分充分」
 神波は少し笑ってそれを受け取ると、しゃがんでそれを鍵穴に差し込む。
「族時代の経験がね、役立つもんですよ」
 差し込んだそれを何度か回す。と、かちんと音がしてロックが外れた。振り向いて高久と大原を見上げる。
「完了でっす」
「おお、たいしたもんだ、ありがとよ」
「すげーじゃん」
「今回に限ってはあまり役に立ちたくなかった気ィするけどね。ま、とりあえず」
 立ち上がって高久に場所を譲る。引き出しを開けると、何枚かのフロッピーがそこにはあった。敷かれている書類も確認してから、フロッピーを大原に渡す。
「置きっぱなしになってるくらいだからもしかしたらあんまアテにならんかもしれないけど、とりあえず中身見といてくれっか。情報担当が2人一緒にいなくなっちまって大変だからな」
「はい」
「ったく、しわ寄せがおいらに来るっての」
 ぶつぶつ言って高久は懐に手を入れて煙草を取り出す。が、しわくちゃのそれの中は既に空で、ちっと舌打ちしてそれを投げ、頭をガリガリと掻きむしった。
「高久さん、俺んのでよかったらありますけど」
「いや、いい。ちょっと外出てくるから」
 神波の申し出を制してジャケットを羽織る。
「連絡あったら携帯にっつってな」
「お一人で大丈夫ですか?」
「いいんだよ、お前らは留守預かっててくれりゃそれで」
 ぎこちなくパソコンを操る大原の横に神波は立って、高久を見た。
「憲武さんはいつもの通りだし、星野さんは憲武さんと、今回の事でいつも以上に動き回ってる。おいらが役に立てんのはこんくらいだしな、頑張らねーと」
「.........」
「もしかしたら、最悪の状態も考えないといけないかもしれないしな」
「最悪.......って.......」
「こんな状況だ。あっちのバカがふいを狙ってくるかも分からねえ。お前達はどうか知らないけど、現においらだってあったからな」
「そんな.......それじゃ余計お一人じゃ.......」
「いーんだよ!」
 高久は大原と神波の視線を振払うように声を荒げる。
「.......こういうのはおいら達の役目だ。それにそうそうやられたりしねえよ」
「高久さん」
「今の自分に出来ること、やってくれ。おいらもそうするから」
「.......分かりました」
「じゃ、ちょい行ってくっから。頼んだぜ」
「お気をつけて」
 高久は振り返らずに手だけあげて、ドアを開けると外へ出た。ふーと大きくため息をついてから、止まっている古いクーパーのボンネットを叩いてから乗り込む。
「いきなりお仕事で悪ィけど頼むな、愛車ちゃんよ」
 最近譲り受けたばかりの車。寿命の間近な頼り無いエンジンを強引にふかして、高久は車を発車させた。

 

「大丈夫かな」
「高久さん?」
「高久さんもだけど、半田さんも成井さんも」
「んー......」
 電話番と大原の出力するデータをまとめることを兼任しながら、神波は言葉を濁す。高久の言った『最悪の状態』という言葉が頭を離れない。
 それは、察するにもうこの世にいないかもしれないということで。その万が一ともうひとつ、成井がもしかしたら.....と危惧せずにいられなかったのだ。
 穏やかな成井が見せた、残虐な笑み。平山と対峙したあの時の顔。
 石橋にいた時の成井の事は聞いた話でしか知らないが、それを考えるとまんざらでもないような気がしていた。もしかして、あれが本当の成井なのではないかと。
 木梨や星野、高久は気付かなかっただろうか。成井がほんの一瞬纏う空気を。普段の優しい笑みの奥にある何かを。大原は気付かないかもしれない。そんな空気を知っているのは、そういう場所に身を置いた経験がある人間だけだから。自分も少なからず、そんな場所にいた過去がある。
 それとも、ただの思い過ごしか。昔の成井の武勇伝を、自分が必要以上に評価してしまっているせいなのか。
 神波は頭を軽く振った。寧ろそうでありたい。成井が高久があったように狙われたりするようなことがあっても、まず大丈夫だろう。当面の心配は半田だ。
 そして、自分達はとりあえずそれは考えなくていい。今出来ることをすれば。
「......高久さん達に任せておこうよ。今、俺達が出来ること、やろう」
「そうだね」
 今俺達が出来ることは何か?
 任せられたことを、出来る限りの力でやろう。
 それが必ず、真実を連れて来てくれるはず。

 電話の音が淀んだ神波の思考を切り裂くように鳴る。タイミングのいいそれに、神波は慌てて受話器に手を伸ばした。


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