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あれから約1週間。
双方の枝の小競り合いがかなり表面化して来ていた。それの処理と、あの往来での出来事を成井なりに(星野達への手前)反省して自分から留守を預かり、漸くもらえた2日程の休暇に、成井は石橋の事務所へ向かった。
「やっと来てくれたな」
「すみませんね、俺は忙しいんですよ。あっちの手前もありましてね」
「往来でやったそうじゃねえか。星野がおさめたみたいだが」
「俺はもっとやってもよかったんですけどね。そういう『演技』の予定ですから。向こうがあの通り甘ちゃんなんで、仕方なく」
石橋の待ちかねた声にそう返して笑い、全員の集まる部屋へ入ると自分のデスクへ向かう。暫くそこで仕事をしてから石橋に少し距離を置いて立った。
「.......話は聞いたぜ。俺がいくらかやっといたが、お前がもちっとやりたきゃ好きにしな」
変わらぬ顔でソファーに座る平山と、ドア側の壁に寄り掛かるようにして立っているシュウ。その顔には薄い痣が確認出来た。
「折角のチャンスだったのに星野の言葉を鵜呑みにして本当に去るんですからね、よく出来たもんですよ」
カチ、と煙草に火をつけると、ゆっくりと煙を平山に向かって吐き出して、成井は言う。
「........星野が言ったように、ちゃんとやる機会はそのうち来る。だからだ」
「平山さん何年この世界で生きてんですか。似たようなことは今までもあったでしょう?」
「............」
「........それに、あんなガキみたいなのに動揺しちゃって。まあその姿は俺は面白く見させてもらいましたがね」
「神波ってやつか」
「そうですよ、本人から聞きましたけどね、港の枝のやつらに絡まれたとこを助けてもらったんだそうです。まだただの家出少年だったあいつに、大層な台詞まで吐いてね」
「ふーん........」
石橋は平山を見た。
「敵なんですよ?確かに数はこっち....木梨の方が勝ってましたけど、星野以外はどうってことない。俺のことも心配は無用だって言ったじゃないですか。まあまさか俺に気を使ってやらなかったなんてことはないでしょうけど。あそこでやっちゃえば楽だったのに」
成井は冷たく平山に言い放って、それから壁際にいるシュウに目を向ける。
「シュウさんも甘いですよ、どうしてあそこでやってくれないんですか。途中までは調子よかったのに......」
「.............」
「平山さんにつられて動揺しちゃったんですか?」
「そうじゃない」
「じゃあ、悪い予感でも当たったってとこですかね。なーんかいつも腹に一物抱えて仕事してる平山さんのあんな姿を目の当たりにしちゃって」
「..........」
言葉を返さずにシュウは成井から目を逸らした。ふ、と成井はため息をついて煙草を灰皿に押し付ける。
「今さらですけどこんな人でほんとに大丈夫なんですか、貴明さん」
「.......さあなあ、俺はなんとかなると思ってんだけどなあ」
「なんでこんな人を入れたのか、世話役と貴明さんを疑いますよ」
「そう言うなよ、その分お前が補ってくれんだろ?」
石橋は成井の本気の愚痴をあっさりかわして笑った。成井は苦笑しながらもまた息をついて平山に視線を落とす。
「ここに何しに来てんですか、あなたは。似たような境遇のあいつに情でも涌いたんですか?あなたの御親友だったらきっとあの時こんなことしませんよ?」
「!」
その言葉に平山の肩がぴくりと動いた。
「つまらないプライド盾に平山さんの御親友は死んだそうですけど、その方がこの世界の者にとってはよっぽど立派なんじゃないですかねえ?」
いきなり平山は立ち上がって、成井のシャツの襟元を掴む。勢いで、カシャンと平山のサングラスが床に落ちた。
「お前に何が分かる!!」
「............」
「お前にあいつの、俺の何が分かるっていうんだ!」
平山の顔に怒りの表情が浮かんでいる。
「つまらないプライドだと?自分の信じるものを守ってどこがいけないというんだ!あいつは運が悪かっただけだ、俺はあいつにこんな世界に染まって欲しくはなかったが、死んでほしくなかったが、それでもあいつなりに誇りを持ってたと俺は思ってる」
「............」
「あいつが死んだのは確かに自分の所為だよ。確かに無鉄砲ではあった。でもあいつは元々はそんなことが出来るやつじゃなかった。それがこの世界で変われたんだ........こんな世界は知っては欲しくなかったけど」
平山は成井を睨み付けたまま続けた。
「俺はあいつと長年一緒に生きて来た。変われなかったあいつが変わった世界を、あいつが目指してたもんを知りたくて俺はここへ来たんだ。正直まだ見つかりはしない。探してる最中だ。俺は、お前とは違うからな。生まれ方も、生きてきた場所も違う。無抵抗な人間を殺ろうなんてこと出来やしない」
「それが甘いと言うんですよ。いつかそれがあなたの命取りになりますよ」
「俺はお前みたいには生きれない。俺は元々、そんな世界の人間じゃない」
「そんなのただの言い訳ですよ。じゃあ入ってこなければよかったじゃないですか」
「だから探してるんだ、あいつのために、あいつが目指したものを、探したものを」
「その、人のためにって考えがもう甘いんですよ」
掴まれた襟元を振り解こうともせずに成井は言う。
「貴明さんをお護りすることは別ですよ。人はもともと一人でしか生きることが出来ないというのに、どうしてそんな人のために自分を犠牲にするんですか。あんたよくそれでこれまで死なないで済みましたね。御親友は別にあんたに後を追いかけてなんて欲しくなかったかもしれないじゃないですか、もし御親友のその追いかけたもののためにあんたが死んで、それで御親友は喜ぶんですか?」
「それは分からない。だから、追いかけてるんだ」
「........くだらない」
平山はますます激昂した。
「くだらないだと!お前にはじゃあ追い求めるものがないというのか。目指すものや、理想郷はないというのか!!」
「そんなん求めて俺はやってませんよ。そんな風に生きたくもない」
「お前ってやつは........」
「あんたみたいにもなりたくないですからね、俺は」
「........機械だな、まるで」
「どうとでも言って下さい、俺がどう生きてきたかだって知らないくせに」
「俺だってお前みたいには生きたくない」
「俺は何かにすがらなくても充分一人でやって行けますから。平山さんと違ってね」
成井は平山を見返したまま笑う。
「あの場で星野がおさめなかったら俺はあんたを殺す気だったのに。絶好のチャンスが奪われて残念ですよ。俺の上司がこんなやつだと思うだけでもぞっとする」
「成......」
「そんな考えでは、御親友の二の舞もそう遠いことじゃないんじゃないですか?それとも自分の親友がこんな腑抜けで御親友はがっかりしてるかな。まあ俺には何の関係もないですけどね、平山さんが死のうが生きようが」
「この.........!」
平山が耐え切れずにもう一方の手を振り上げる。二人の様子を見ていた石橋は、瞬間ぴくりと動いた成井の腕を見て叫んだ。
「成井!」
その声に成井はさっと身を交わして平山の拳を避ける。石橋の目線に気付いたシュウが駆け寄って、憤る平山を押さえた。
「やめとけよ」
「いくら俺だって、ここまで侮辱されちゃ我慢出来ませんよ」
「........お前もだが、俺が言いたいのは成井の方にだ」
ふ、と笑って成井は腕を軽く振り、乱れた襟元を直す。肩で息をしながらも少し不思議そうに自分を見る平山に、石橋は言った。
「忘れたか?こいつは銃器を持たなくても人を殺せるんだぞ。全身が武器だ。指1本でだって人を殺せる」
「...........」
普段と変わらぬ顔をしているが、明らかに冷たい表情が成井には浮かんでいる。全身から沸き上がっている殺気のオーラに今さら気付いて平山はぞくっとした。
「お前があのまま殴ってたら、そして俺が止めなかったら1分後にはお前死んでたぜ」
「........またチャンスを奪ってくれますねえ、貴明さん」
「そう言うなよ、これでも一応戦力だ。数で劣ってるこっちには必要な要員だよ」
「もうたいした戦力にならない気がしますが」
「俺の顔立ててくんねえかな、成井」
石橋の言葉に成井はふっと笑う。
「分かりました。貴明さんの言うことでしたら俺は従います」
「悪ィな。お前の気持ちは充分分かってっけどよ」
成井はわざとらしく平山に向かって大きくため息をつくと、頭を掻いた。
「..........ちょっと作戦変更しないとですね、これは」
「どうする」
「...........」
少し考え込んで、部屋の隅で黙って話を聞いていたジェリーの方を見遣る。
「ジェリー」
「は、はいっ」
「予定変更。ジェリーの相手、星野」
「え......ええっ?」
「高久は俺がなんとか引き離すから。........やってくれるね?」
「..........」
その言葉と自分を見る視線の中に、あの誓いを忘れたとは言わせない強い意志が含まれているのがジェリーにだけ分かって、成井の瞳を見返すとゆっくりと頷いた。
「........はい、必ず」
「よし、期待してるよ」
「他はどうする。こいつはまあ、ちょっと使えねえだろうからここに置いとくが」
石橋が平山を顎でしゃくって示す。
「そうしといて下さい。足手まといになりかねませんから。ついでだから俺が全部殺っちゃいますよ。シュウさん、サポートお願い出来ますか」
「分かった」
「芋川さんから連絡まだですけど、待ってるの面倒なんでもう俺動きます。これから半田に手えつけてきますから」
「早いな」
「日本人を殺るのは久々ですからね、楽しみですよ」
驚いた振りをする石橋にそう言って成井はくすりと笑った。
「半田が終わったらもう俺戻って来ますから、そしたらシュウさん今までの全部修正しなおしておいてくれます?」
「あいよ」
「じゃあジェリー、今後の相談しよっか」
「は、はいっ。あ、でも石橋さん.......」
ジェリーは力強く頷いて、それから石橋を見る。
「貴明さんが何?」
「俺出るからジェリーに送ってもらう予定にしてたんだよ」
「じゃあ俺運転するから車ん中で話しよう。構いませんよね?」
「俺は別に構わん」
「折角ですから、少しシュウさんと平山さんを二人にした方がいいでしょうしね」
意味ありげに笑って成井はそう言い、ジェリーからキイを受け取った。石橋が軽く平山の肩を叩いて部屋を出るのを見て、成井はジェリーに続いてドアへ向かいながら振り返る。
「シュウさん」
「何」
「........宜しくお願いしますよ」
緩い笑みとその言葉を残して、ゆっくりと成井は出て行った。
二人だけになった部屋に、長い沈黙。
最初に口を開いたのは平山だった。
「俺らしくなかったな」
「............」
「軽蔑しただろう」
「いえ、別に」
自嘲気味の平山の言葉にシュウは首を振ると、ゆっくりと平山の向かいに座る。
「シュウまで成井に余計なこと言われちゃって。悪かったな」
「構いませんよ、事実ですから」
「...........」
「まあ、成井の言う通り危惧が当たっちゃったかなって感じですかね」
「.......俺はそんな脆く見えるか」
「そうじゃありませんよ」
シュウは床に落ちたままの平山のサングラスを拾って埃を払うと、テーブルに静かに置いた。
「正直に言いますけど、やっぱり平山さんは成井や俺なんかとは違う世界の人ですからね、元々。俺も成井の気持ちは分からないでもありません。酷なこと言うようですけど、このままではほんとに平山さんいつか命を落としますよ」
「そうだな、今まで無事だったのが不思議なくらいだよ」
「その『親友』の方が護って下さってるんじゃあ?」
「........そうかもな」
平山はやっと少し笑って、深くソファーに身を沈める。
「成井には成井なりの信じるものがあることは俺だって分かってるさ。よくは知らないがあいつは俺らの想像を絶する世界でずっと生きてるからな」
「そうですね、同じ世界と言っても生まれた時からこの道に進まざるを得なかった俺とは少し違うでしょう、成井は。.......ああしなきゃ、成井は生きれないんですからね」
「............」
「気持ちは、分かりますよ」
「まあな、俺の所為で自分の予定が狂ったんだし、怒られてもしょうがないな」
「ああ、成井もですけど、平山さんの気持ちもですよ」
そう言って、中央のデスクの方にゆっくりと視線を向けた。
「俺の家は代々石橋さんに仕えて来ました。石橋さんの為に自分を犠牲にするよう教え込まれてます。小さい時から銃器の取り扱い方から武術を一通り習いましたよ。それでも人を殺すために習って来た訳じゃない。石橋さんをお護りする、それだけのためにです。だけど成井は単純に人を殺すためだけにああして鍛えられてますからね。あいつは殺人が楽しくて仕方がないんですから、そんな人間にあんなことを言われたら普通の人は激怒して当たり前です」
「.........そんな『普通』な俺が、このままここにいていいのかな」
「先程御自分でおっしゃってたじゃないですか。それを探すためにここにいるんでしょう?俺は家という運命のために、ここにいます。平山さんもきっと何かのために、ここにいるんですよ」
「そうかな」
「こう言うのは何ですが、成井だって『人を殺すために』この世界にいるんですから」
「.............」
「それに、今さらもう逃げられませんよ」
「分かってるさ。言ってみただけだ」
それからまた暫く二人は黙り込んだ。目を閉じて何か考えているような平山に、シュウはまだ言いたいことがあるような気がしたが.......それはやめて、ゆるりと立ち上がる。
「折角ですから少しお休みになられたら。今後成井が中心に動くんですから、ねちねち言われますよ、いろいろ」
「そうだな、覚悟しとくさ」
平山はサングラスをかけ直して苦笑した。
「あいつの手腕をゆっくり見せてもらうよ。俺にはない、あいつの信じるものを」