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成井は街に入ったところでジェリーに車を停めさせた。
「こんなところでいいんですか?」
「ああ、やたら向こうも嗅ぎ回ってるしな」
「今日はお忙しいところほんとにありがとうございました」
そう言ってジェリーは頭を深々と下げる。
「いいって。そのかわりしっかり頼むぜ、高久はまあそれなりだけど、大原・神波はたいしたことないからな。俺が動いたら即行動」
「はい、分かってます」
「じゃ。貴明さん達に宜しく」
自分でドアを開け、車の前を回って成井は去って行った。その後ろ姿を見つめながら、ジェリーは呟く。
「貴明さんのために、成井さんのために。........理恵のために」
「すみません、遅くなりましたー」
「おう成井、待ってたぜ」
申し訳なさそうに事務所に帰って来た成井を、高久が笑顔で出迎えた。
「さっきまで憲武さんがいたんだけどな、すれ違っちまったな」
「そうなんですか?お伝えしたいことがちょっとあったのに」
大原が立ち上がろうとしたのを手で制して、自分でキッチンへ立ってコーヒーをカップに注ぎ、ブラックのままのそれを持って皆の集まるソファーへ座る。
「まあいいか、半田さん経由で伝えてもらえれば。ここでもいいし」
「なんか変わったことあった?」
半田の言葉に頷いて、成井は腕を組んだ。
「あちらが、そろそろ仕掛けてくるようですよ」
「.......石橋か」
「ええ。向こうの枝の、野口・高村から流れて来たのを聞き出してきました。まあ噂ではあるんですけどね。平山さんが星野さん相手にするらしくて。あと普段前線に出ない方まで出てくるそうです。野口によると、枝はかなり招集かけられてるらしいですよ」
「そろそろ本気か」
「あっちも最近かなり力取り戻して来てるしなあ、こっちもうかうかしてらんねえな」
「そういえばここへ来る時に石原さんの下っ端にちょっかいかけられましたけど、やっぱり.......」
半田と高久は顔を見合わせる。
「石原さんはあっちに持ってかれちまったか」
「...........」
「ここんとこなあ、こっちの枝も小競り合い多くてなあ。持ち場も大分乱れて来てんだ。憲武さんはあまり動かない方なのに、最近そっちに忙しくてよ」
「じゃあ、それは俺らでほんとはなんとかしないといけないんですね」
神波の声に高久はああ、と真剣な顔で返した。
「星野さんが帰ってきたらちょっとそっち関係どうにかしようと思っててな。出れるとこだけ出て回っておこうかと思ってよ」
「俺もじゃあ行きましょうか」
「そうだな、成井がいると助かるとこもあるだろうし。あと誰行くかな」
「俺は残るよ。まだいろいろ調べることもあるし」
「すんません、いつもいつも留守番させちまって」
高久がそう謝るのに半田は笑って言う。
「いいよ、俺はデスクワークが性に合ってるから。後は.....そうだな、大原残るか」
「あ、はあい」
「え......じゃあ、俺......?」
「そだな、念のため神波、お前ついてきな」
「は、はあ......」
途端に固くなった神波を見て成井がポンと肩を叩いた。
「大丈夫だよ、ざっと見て回るだけだし。知らないとこに行くわけじゃないしさ、ねえ高久さん?」
「そうそ、星野さんも俺も成井もいるから平気だって。ただ足手まといにはなってくれんなよ」
「........気を、つけます.....」
「じゃあ神波に、勇気が出るお守りでも持たせてやるか」
半田はそう言って席を立ち、一旦奥の部屋へ消える。暫くして戻って来た半田の手にはトカレフが握られていた。
「ほら、一応これ持って。まあぶっぱなすようなことはないだろうけど。前に使い方教えてもらったろ?」
「あ、は、はい」
「そんなことあっちゃ困るが、星野さんや高久や成井がヤバくなったら遠慮なくやれよ。とりあえずは成井の後ろに控えてればいい」
「じゃ......じゃあ.....お借りします.....」
神波はゆっくりと手をのばして机に置かれたそれをポケットに仕舞う。成井がその様子を見て緩く微笑んだ。
「立ち回りは族で慣れてるだろ?周りの動きよく見てれば、大丈夫だから」
「そんなことにならないのが一番いいんだけどな」
高久が苦笑する。
程なくして、外に車の停まった音がした。
木梨組の4人は、枝と領域をいくつか見回って事務所への道をゆっくりと戻った。星野が高久と話をしている。その後ろの成井のまた後ろについて、神波は歩きながら時々ポケットの中の銃に手を触れる。
『大丈夫、大丈夫』
まさか自分の人生で触れることなどないと思っていた銃が自分のポケットにある。その事実に緊張しながら、そして心強く思いながら呪文のように心の中でその言葉を繰り返す。ふと、成井が振りかえって神波を見た。
「神波?」
「あ、はい」
「まだ緊張してる」
「だって.......」
「面白いなあ。さっきからずーっとぶつぶつぶつぶつ」
楽しそうに笑う成井に、神波は照れながらもむっとした表情で返した。
「成井さんみたく持ち慣れてる人とは違うんですよう、俺は」
「そうだけどね確かに。映画とかでしか見たことないでしょ」
「.........」
「それ以前に神波に銃ってのがピンと来ないや、なんとなくね」
成井の言葉に神波はむくれて下を向く。と、前を歩いている成井が立ち止まったので神波はその背中にぶつかった。
「ちょ、成井さん何.....」
「.........下がって」
「え?」
成井はそう言って前を向いたまま神波を自分の背後に隠した。
「........珍しいな、往来で会っちゃうなんて。向こうさんのお出ましだよ」
「よお」
星野が低い声で目の前の二人の男に挨拶する。
「.......どうも。御苦労なことですね、部下引き連れて」
「どっかの誰かがいろいろと面倒起こしてくれるもんでな」
高久は銜えていた煙草を投げ捨てると体を構えた。カチ、と成井が内ポケットに入れた銃の撃鉄を起こす。星野が振り向きはせずに強い口調で叫んだ。
「成井、往来で物騒なこたやめときな」
「だって、往来だからってあいつらは......」
「久し振りだな裏切り者。木梨の犬になったのかい」
「..........あなたもよく貴明さんみたいな人に仕えてますね、シュウさん」
成井の言葉に男の一人、シュウがさらりと言葉を返す。
「お前だってついこないだまではその貴明さんに仕えてた人間なんだぜ」
「だから言うんですよ、お家のためだけに仕えるあなたに感心します」
「成井」
いつになく興奮した口ぶりの成井を高久が止めようとすると、成井は済まなそうに言った。
「すんません、これは俺の問題でもありますから、少しだけ言わせて下さいよ」
「........お前が悪いんだから、仕方のないことだ」
「平山さんには分かりません!」
もう一人の男の言葉に成井が返す。見たことのない成井の姿に驚きながら、神波はふと相手の声に聞き覚えがあるような気がして、成井の背中からそっと前を見遣る。
「あ......」
星野、高久と対峙している二人。すらっとした、大きな目のしかし鋭い視線を投げる男の横にいるのは、紛れもなく神波がこの街に来た時絡まれている所を助けた男だった。スパイラルパーマ。サングラス。あの時と同じスーツ。ネクタイ。今までずっと忘れることの出来なかった男。あの言葉。
「あ、あの時の........!!」
「馬鹿っ、顔出すな」
「!」
成井の後ろから覗いた顔と、声に平山は驚いて神波を凝視する。
「な.....お前......木梨に.....」
「おいっ、神波なんで平山を知ってんだよ」
「あ、あの、前話したここ来たばっかの時のっ......」
高久の言葉に神波はしどろもどろに返した。まさか、あの自分を助けてくれた男が『平山』だったなんて。しかも、敵対している組の人間だったなんて。
平山は思いがけず再会したあの時の小さな男の姿に、明らかに動揺していた。シュウは体勢を崩さずに、しかし平山を心配するように見ている。
「.....ちょうどいいや」
「え......」
「悪いな神波、お前は多少縁があっても、俺には別の縁があるから」
そう言って口元で笑う。初めて見るその残虐的な笑みに、神波はぞくりとした。
「星野さん、失礼します」
星野の肩に軽く手をかけてとんと前へ出る。成井の動きは素早かった。ポケットから銃を出して、平山が構えるまえに撃ち放つ。
「平山さんっ!!」
シュウが叫んで平山に飛びかかるのと、銃声がほぼ同時だった。一瞬間に合わず、シュウの腕と平山の顔を銃弾が掠める。
「成井!」
「馬鹿っ、何やってんだ、早く成井押さえろ」
ふいをつかれた星野は大声で高久に叫んだ。
「........成井......」
「今この場で殺されたって文句は言えないでしょう?お互いに」
平山を庇うようにゆっくりとシュウが立ち上がる。成井はその姿ににこりと笑って言い返した。
「成井、俺の言うことが聞けねえのか!その物騒なもん仕舞え、早く!」
高久が後ろから再び構えようとする成井を押さえて強引に銃をポケットに入れさせる。星野が怒鳴って、その場は瞬間しんとした空気が流れた。
「.........お前らの事情は聞いてるけどよ、ここはおさめようや。急がなくったってやるときゃ近付いているからな」
「.........」
「成井、頼むからちっと落ち着け」
「俺は数で責めたりしねえ。ちゃんと1対1で相手んなってやる」
高久は懸命に成井をなだめている。星野の強くも落ち着いた声に、シュウはゆっくり頷いて、平山はサングラスの奥から成井を睨みながら顔の血を拭いて立った。
「こいつは押さえといてやるからよ、そっちから去ってくれや。誓って後ろから撃とうなんてしねえ。あんたらとは違うからな」
「........」
成井は高久に後ろまで引きずられて、ばちんと頭を殴られて銃を取り上げられる。落ち着こうとしない成井を珍しく声を荒げて高久は宥めた。
「........じゃあ、星野さんに免じてここは俺らが去りましょう。成井、そのうち借り返してやるからな」
「やれるもんならやって下さい」
「成井っ」
シュウの声に成井はいつも通りの口調で返す。星野に目で言われて、高久は成井に叫びながら強引に彼等から成井を遠ざけた。
「.......平山.......さんっ......」
と、去ろうと後ろを向いた平山の背中に、神波が叫ぶ。星野が驚いて神波を見た。
「..........」
神波はつかつかと歩いて平山達に数歩近付くと、ポケットから何か取り出してそれを平山に投げ付ける。
「これ、返します」
くしゃくしゃになったそれは、紛れもなくあの時のハンカチだった。
「........ああ」
「礼は、言いません」
「ああ」
投げられたそれを拾って、平山は顔の血を拭く。
「........また会うことになるとは、思わなかったよ」
そう言って、星野に軽く頭を下げると二人の男は消えた。
「こんの、馬鹿野郎が!あんなとこで銃ぶっぱなしやがって!!」
事務所へ帰って星野に怒鳴られ、成井は座って項垂れていた。顔には殴られた跡。
「星野さん、まあ成井の事情もちっとは分かってやりましょうよ、俺らには想像もつかないくらいの縁があるんですから、あっちとは」
「..........」
「........すみません、軽率、でした........」
「ったく........」
星野はため息をつく。
「おめーはあんなことしやがるし、神波は神波で.......俺は初耳だぞ、あんな話」
「はあ、話す機会が特になかったんで......高久さんにはしてたんですけど......」
「まあいいけどよ、お前変に情持ったりするなよ。あいつは敵だぞ」
「はい、分かってます」
「お前を拾ってやったのは俺で、俺は憲武さんに仕えてる。あいつはその憲武さんの敵の石橋の部下なんだからな」
一気にまくしたててから、項垂れたままの成井の頭を軽く拳でこつんと叩いた。
「ほんとだったら謹慎ものだぞお前。まあ事情も事情だから見逃してやるけどよ」
「申し訳ありません」
「まあお前の腕が実際見れたっつー収穫はあったけどな」
星野はそう言ってどさりと成井の向かいに腰を下ろすと、にやりと笑う。
「あいつは俺の相手なんだろ?いくらお前だからって横取りされちゃたまんねえぜ」
少々空気の和んだその場を見ながらも、神波は平山のことが頭から離れなかった。
あの男。自分を助けてくれた男。
片時も忘れたことのなかった、あの言葉。
『ここはお前みたいなやつがいる街じゃない』
この街でずっと生きて来たであろう男に言われたその言葉。戸惑いながらもこの街に住み着いてしまっている自分。あの男と、自分は、敵。
敵。
いつかまた敵として向かい合う。
自分はいつかあの男に殺されるかもしれない。殺さなければいけないかもしれない。
それなのに、頭から離れなかった。忘れられなかった。
そして、いつか別の形で向かい合うような、そんな気がした。