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「成井さん、忙しいんじゃないですか?わざわざ来てくださってありがとう」
「あーあ、俺には礼ナシかー。俺が連れて来たのに」
「ちょ、お兄ちゃんったら何言って......」
「いいけどねー、俺より成井さんが来る方が嬉しくてしょうがないんだから」
「そんなことないってば......」
いつも通りの微笑ましい兄妹のやり取りに、成井は目を細めて笑う。
「大丈夫だよ、もうすぐ仕事が本格的に忙しくなっちゃうから手術の前に会いに行かなきゃって思ってたし。元気そうだね」
「はい、今度の手術は時間的にも今までより長くなりそうで。だから調子のいい時には私、体力つけるために少し運動してるんですよ」
「そんなことして大丈夫なのか?」
「平気よお兄ちゃん。だって寝てばかりじゃつまらないし、体なまっちゃうわ。最近は滅多に発作も起きないの。体もきっと最後の手術だっての感じて頑張ってるんだわ」
「そっか、でも無理しちゃダメだぞ」
「うん」
ジェリーは理恵ににっこり笑って、ふと傍らの花束に目を落とした。
「あ、これ折角いただいたんだから飾っておかないとな。花瓶あったっけ」
「うん、棚の中に」
「じゃ俺ちょっとやってくるか」
ベッドからとんと降りて棚の中から花瓶を出すと、花束とそれを抱えてジェリーが出て行く。その姿を見送ってから、成井は椅子を引き寄せてベッドに近付くと、持っていた箱を理恵に差し出した。
「これ、理恵ちゃんにプレゼント」
「わあ、ありがとうございますー」
「俺達が帰ってから開けてくれる?元気になれるプレゼントだから、きっと」
「今開けちゃダメなんですか?」
「うん、ちょっと秘密のプレゼントだから。それから、中身ジェリーには内緒ね」
「はい、分かりました」
理恵は箱を受け取ると側の引き出しにしまって成井にいたずらげに微笑む。と、ノックの音がして、ジェリーが看護婦と一緒に花瓶を抱えて戻って来た。
「中谷さん」
「今そこで会ってさ」
ジェリーはそう言って花瓶を窓際に置くと、成井に紹介する。
「いつもお世話になってる看護婦さんなんです」
「どうも、成井です」
「あら、いつも理恵ちゃんが話してる方ね。飯塚さんとは違ったカンジでまたカッコいいわあ。あなたや飯塚さんが来た後、理恵ちゃん興奮気味で大変なんですよー、でも元気になってくれるからありがたいわ」
看護婦・中谷は成井の会釈に笑って返すと、花瓶に入れられた花を整えながらそう言ってからからと笑った。
「中谷さんてば......」
「どっかにカメラあった気がするから、あとで持って来てあげる。お兄さんと3人で撮ってあげるわよ」
「理恵が我侭言って迷惑かけてませんか」
「いえいえいつもおりこうさんよ。お別れはちょっと寂しいけど、早く私も理恵ちゃんに元気になってもらいたいしね、最近頑張ってるわよね」
その言葉にジェリーは満足げに頷いて微笑む。成井の視線に気付いて口元を歪めてみせてから理恵と成井に向かって言った。
「俺ちょっと山本先生んとこ行ってくるから成井さんと話してな。成井さん、すみませんけど理恵の相手お願い出来ますか?主治医と話してきますんで」
「いいよ、行っておいで」
「じゃ理恵、成井さんをあまり困らせるなよ」
「そんなことしませーん」
「それじゃあとでお兄さんにカメラ持ってってもらおうかしらね。帰りにナースステーション寄ってって下さいな、私いなくても誰かに言っておきますから」
「はい、すみません。じゃちょっと行ってくる」
「じゃね理恵ちゃんまた後で。成井さんごゆっくりね」
そう挨拶して中谷はジェリーと一緒に出ていく。ぱたんとドアが閉まってから、成井は顔を理恵に近付けるように顎を手のひらで支えて身を屈めた。
「こことももうすぐお別れなんだね、寂しい?」
「.......ずっといたからちょっとは寂しいけど、でも早く元気になりたいわ。外にも出たいし、いろんなとこに行ってみたい」
「ジェリーともずっと一緒にいられるし?」
「うん」
「理恵ちゃんにはほんと元気になってもらわないとなあ。ジェリーは理恵理恵っていつも言ってて仕事どころじゃないんだから」
「成井さん」
「うん?」
理恵は少し神妙な面持ちで成井を見つめる。
「お兄ちゃんは......兄は、大丈夫ですか」
「.........」
「私でも分かります、兄は危険な仕事をしてるんだってこと。それじゃなきゃ私はここにいられないんだし。凄くお金かかってるの、知ってるわ。それに成井さんも出してくれてるんでしょ」
「なんだジェリー、言っちゃったのか」
「成井さんには公私共にとてもお世話になってるって。自分は失敗も多いけどそれを庇ってくれるのは成井さんだって。成井さんのために俺は頑張ってるって。だから私も嬉しいけど、成井さんが帰って来てくれて嬉しいのは、実はお兄ちゃんの方なんだわ」
「そこまで言われる程の器じゃないよ、俺は」
「成井さんがいない間、滅多にしないけど仕事の話が出ればたいてい成井さんのことだったわ」
「..........」
「私のために、成井さんのためにいつもお兄ちゃんは頑張ってるんだなあって思ってた。お兄ちゃんは凄く成井さんのこと好きなのよ。........成井さんのためなら、命も賭けちゃうんじゃないかってくらいに」
理恵が俯く。成井は少しだけぎくりとしたが、理恵に分からないようにそれを隠した。
「君のためだよ。それに死んでしまったら君のためにはならない。君が生きていけるように兄さんは頑張ってるんだから。俺は直属の上司ってわけじゃないけど、それはよく分かってるよ。確かに俺はいつも言ってる。理恵ちゃんには分からないかもしれないけど、俺達の仕事はそういう仕事だから。君には辛いだろうけど、一歩間違えば死と隣り合わせの仕事だ。死ぬ気でやれとは言ってる。でも死ねとは言わない。生きてなければ意味がない。君のために」
「...........」
「君はもしかしたら兄さんの足枷になってるんじゃないかとか思ってるかもしれない。でもそれは違うよ。病気は不幸だったけど、そういう君がいるからこそ兄さんは頑張れるんだから。兄さんの原動力は理恵ちゃん、全て君だからね」
「......はい」
「理恵ちゃんもそうだろ、兄さんのために頑張ってるんだろ。理恵ちゃんが元気になることが兄さんの最大の力なんだからな。それ忘れちゃダメだよ」
「大丈夫です。私、いつでも自分に誇りを持って生きてるわ」
「今度の仕事はほんとにヤマ場。だから俺も戻って来た。俺はジェリーの力を信じてるから大きな仕事をお願いしてる。その代わり、俺はジェリーが最大限に力を発揮出来るようにサポートしてやるし、守るつもりだから。大丈夫だよ」
そう言って、成井はぽんと理恵の頭に手を乗せる。こくんと頷いてから、理恵は少し笑った。
「........ほんとに、成井さんは兄のことよく分かってらっしゃるんですね」
「そりゃ、俺がいちばんジェリーの近くにいたからな、仕事場じゃ」
「兄は成井さんのことだといつも嬉しそうに話すの。.......なんだか、妬けちゃうくらい」
「自分以外の人にジェリーの意識が向かうのは辛い?」
「!」
「知ってるよ、理恵ちゃんがどんな目でいつもジェリーを見てるか」
途端に理恵はかあっと頬を赤らめる。
「兄以上に想ってるんだろ?」
「.........」
「ジェリーはいつもここへ来る時俺を誘うけど、はっきり言って俺はお邪魔なんじゃないかって毎回思うよ。俺のことを王子様だなんて言ってくれて嬉しいけど、実はジェリーの方が理恵ちゃんにとって王子様だよね」
「成井さんってば......そんな........」
「俺はちょっと残念だけどね」
「そんなこと言っていいんですか?」
「どうして?」
「だって成井さん彼女いるんでしょ?お兄ちゃんが前にぽろっと言ったわ、すごいカッコイイ彼女さんがいるって。その方になんか私すまないわ」
成井はちょっと苦笑した。
「そんなことないよ」
「結婚しないんですか?」
「.......んー、それは考えたことないなあ」
「私元気になりますから、もう私なんかに構ってちゃダメですよ」
「理恵ちゃんにはジェリーがいるし?」
「..........」
「ジェリーも君のこと妹以上に想ってる。そりゃずっと長い間二人きりだったし、君のためにずっと頑張ってきたんだからってのもあるだろうけどね」
話題がまた戻ってしまって、理恵はまた俯いて頬を赤くする。
「兄さんのこと好きだろ?」
「.......うん」
「俺も、兄さんにはかなわないけどすごく理恵ちゃんのこと大好きだよ。俺には身内がいないけど、ずっと身内みたいに思って来たし。だから頑張ろうね?」
「........はい」
「手術は怖い?」
「........今までの手術よりずっと時間もかかるし、する前の検査も凄く多いわ。だから、ちょっとは怖い」
「じゃあ、俺と兄さんのために頑張って。君が元気になることが俺と君の兄さんがいちばん安心することだから。二人もついてれば何も怖くないだろ?側にいてあげられなくて、兄さんも側にいさせてやれなくて申し訳ないけど」
「大丈夫です、ずっと成井さんとお兄ちゃんのこと思って頑張るわ」
成井はその言葉に微笑んで、理恵の髪をゆっくりと撫でた。
「元気になったら、3人でどこか行こうか。あ、俺はいない方がいいかな」
「成井さんってばっ」
理恵は顔を赤くしたまま、成井を殴るフリをする。それを成井がよけて二人で少し笑い合ってから、理恵はぽつりと呟いた。
「........私と成井さんが兄妹だったらよかったのに」
「............」
「私とお兄ちゃんは他人で、成井さんがお兄ちゃんだったらな。........なんてね」
「.......じゃあ、概要はこんなとこでいいかしらね」
落ちてくる前髪をかきあげながら、女医・山本はそう言ってカチンと側のライトを消した。
「理恵ちゃんも凄く頑張ってるわ。だから心配しないで。ちょっと時間はかかるけど、私も全力をかけて執刀させてもらいます」
「はい、よろしくお願いします」
ジェリーは深々と頭を下げる。
「出来れば来てもらいたいんだけど、忙しいのよねえ」
「すみません、俺も来たかったんですけど、ちょっと仕事がたてこんでまして.....」
「そうか、まあいいわ。終わったら連絡しといた方がいいかな?」
「あ、そのことなんですけど.......」
ジェリーは姿勢を正して山本を見た。
「.........俺は、もしかしたらもうここへは来れないかもしれません」
「..........」
「先生には俺の素性を包み隠さずお話してます。今回の仕事は、理恵のためにも俺は死ぬ気でやらないといけません。理恵が頑張ってる間、俺も命賭けてやります」
そう言ってから、ジェリーはポケットから通帳と印鑑、そして鍵を取り出すと机に置く。
「どっちにしても俺は仕事が終わるまではここには来れません。ですから、俺が来るまでは申し訳ありませんが理恵を置いといていただけますか。足りない分はここから引き出して下さい。もし俺が来れない時、は、いつも理恵が話してると思いますけど俺の上司の成井さんて方が今後の面倒を見てくれるようになってます。成井さんもお忙しい方ですから、何かありましたら俺の住まいの方へ行って下さって結構です。全部分かるようにしておきますから。ですから俺か成井さんのどっちかが来るまでは、連絡もいりません」
山本は置かれた通帳と印鑑、それからジェリーの顔をゆっくりと見比べる。
「長年お世話になったお礼も出来ないかもしれませんが、どうぞよろしくお願いします」
頭を下げたジェリーを暫く見つめてから、山本は椅子をキイと鳴らして机の上のそれをジェリーの方に押しやった。
「こんなもん、預かれないわよ」
「先生」
「あなたの仕事が大変なのも分かるわ。私には想像も出来ない程の世界にいることも分かってる。でも最初からそんなこと言ってたら出来るもんもダメになるわよ」
「.........」
「理恵ちゃんはあなたのために頑張るわ。元気になってあなたと二人で暮らせるようになるために頑張る。だからちゃんと帰って来てちょうだい。理恵ちゃんが手術成功して、最初に見たい顔はあなたよ、お兄さん」
強い口調で山本はそう言い、ジェリーの手をとるとそこに出された通帳と印鑑を返す。
「あなたが来るまでのことは心配しなくていいわ。それはちゃんと理恵ちゃんも分かってるでしょうから。退院祝い、みんなでしてあげるからね」
「........分かり、ました......」
「じゃあ理恵ちゃんが首長くして待ってるでしょうから行きなさい」
「はい」
ジェリーは立ち上がると、また深々と頭を下げた。
「どうぞ、理恵のこと宜しくお願いします」
「任しときなさい。あなたに嬉しい報告するの、私楽しみにしてるから」
「ありがとうございます」
ゆっくりとドアへ向かう。そして、最後に一礼してからジェリーは部屋を出て行った。
「おかえり」
「すみません成井さん長い間。理恵、いっぱい成井さんと話出来てよかったろ」
「まだ話したいこといっぱいあったのになー、お兄ちゃんタイミング悪いわあ」
「秘密をお互い話したんだよね」
「ねー」
成井の言葉に理恵は嬉しそうに返してくすくす笑う。ジェリーはその姿に大袈裟に残念がって見せた。
「どーせ俺より成井さんがいいんだからなー理恵は。ほら、写真撮ってやるよ」
ポケットから取り出したカメラを見て成井はああ、と笑った。
「折角なんだからジェリーも入りなよ」
「でも、撮る人が」
「大丈夫大丈夫。ほら、ジェリーそっち側行って」
成井はカメラを取ると理恵に寄る。ジェリーがベッドの反対側から寄ったのを見てから、シャッターをゆっくりと切った。
「俺はいない方がよかったかなー」
「それは俺の台詞ですよ成井さん」
「じゃあ成井さんともお兄ちゃんとも撮るわ」
お互いカメラを取って理恵と撮り合う。嬉しそうな理恵に成井は向き直った。
「さっきの話、ジェリーにしなよ。折角来たのにあんまりジェリーとしてないじゃない」
「あ、そうそう、聞いて聞いて。こないだ山本先生たらね......」
ジェリーはベッドに座ると理恵を愛おしそうに見つめて話を聞く。暫く話して3人で笑い合って、ジェリーは名残惜しそうに切り出した。
「さて、そろそろ行くかな。成井さん忙しいから」
「ありがとお兄ちゃん」
「成井さんとたくさん話出来てよかったな。これで頑張れるだろ」
「うん」
ジェリーが立ち上がったのを見て、成井もゆっくりと立って理恵を見つめる。
「仕事終わるまでまた来れないけど頑張って。応援してるからね」
「はい、ありがとうございます」
「また来るよ」
その声を聞いてからジェリーが先に立ってドアを開けた。部屋を出る前に、一度振り返る。
「......じゃあな、理恵。手術頑張れよ」
「じゃね理恵ちゃん」
手を振る成井に返してから、理恵はすぐ背中を向けたジェリーに声をかけた。
「また来てね、お兄ちゃん。お仕事頑張って」
ジェリーは言葉を返さずに手を軽く上げて部屋を出て行く。成井は理恵に微笑んで、続いて出て行った。
「...........」
理恵は閉まったドアを少しの間見つめてから、徐に成井に貰った箱をとるとリボンを解いた。中には本が1冊。岸川悦子の『青い部屋』。
「わあ.....」
ずっと前から探していることを何かのついでに話したのに、それを成井は覚えていてくれたのだと嬉しくなって、理恵は大事そうにそれを抱えた。と、箱の底に封筒が入っていて、本を一旦置いてそれを取る。
「?」
手紙かな、と思って中を開けて綺麗にたたまれた薄い紙を理恵はそっと開いた。書かれている内容に、理恵は思わずはっとして起き上がり、窓の外を見遣る。
ちょうど二人が車に向かうのが見えた。理恵の視線に気付いたのか、成井がそっと振り返って口元に指を持って行く。
『内緒だよ』
成井の唇がそう動いたのを、理恵は確かに見た。