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1

 

「.......ひろ美」
「.....ン.....な、に.....」
「電話鳴ってんぞ」
「.......一浩の方がとりやすいじゃないのよお......」
「ここお前ん家じゃねえか」
「.......はいはい分かりました、じゃあちょっと手どけてよ」
 ひろ美は諦めたようにそう言って、きつい体勢から電話に手を伸ばす。
「はぁい」
『.......あ、すんません、お邪魔でしたか......』
 電話の声はジェリーだった。けだるい応答に何かを察したようなジェリーの申し訳なさそうな声に、ひろ美はめいっぱい皮肉を込めて笑いながら答える。
「ええとってもお邪魔だったわよー、一浩ね、ちょっと待って」
『はい、お願いします』
 一旦受話器を耳からはずして、彼女は上から自分を見下ろしている成井にそれを渡した。
「ジェリーよ」
「ああ......もしもし?」
『あ、成井さん.....ほんとお邪魔してすみません、携帯繋がらなかったんで......』
「いいよ、どうした?」
『えっと、お願いがありまして......お忙しいとこすみませんけど、明後日理恵んとこに行くんで、一緒に来ていただきたいんですが......』
「.........」
 確か次の手術は2週間後と聞いている。これから仕事が立て込むとはいえそんなに急ぐ話でもないはずなのに、突然の誘いと只ならぬジェリーの口調に成井は黙り込んだ。
『ほんと、急で申し訳ないんですけど、どうしても成井さんに来ていただきたいんです、手術も近いし』
「......分かった」
『ほんと、ですか』
「いいよ。励ましてあげないとな。こっちの決戦も間近だし」
『向こう、都合つきます?』
「大丈夫だよ、適当に理由つけて来るさ。俺は結構働いてるからなんとかなるだろ」
 電話の向こうでジェリーがほっとしたように息をつく。
『ありがとうございます、じゃあ、俺迎えに行きましょうか』
「いや、目につくとアレだから俺がそっち行くよ、用もあるし」
『そうですか、それじゃお待ちしてますんで......お邪魔してすみませんでした』
「いいって、これから続きやるから」
 その言葉に二人でくすりと笑い合う。
『それじゃ、失礼します。ひろ美さんに宜しく』
「ああ、明後日な」

 

 

 昼下がりに成井は事務所へ現れた。
「よお」
「あ、成井さん、わざわざすみません」
「いいよ、用もあったし。貴明さんは?メシ?」
「ええ、俺先に食わせてもらったんで、今行ってます」
「そっか、まあいいや、後で」
 ジェリーの返事に成井は答えて、持って来た書類の束とジュラルミンケースをテーブルに置く。それを見てから、ジェリーはおずおずと切り出した。
「成井さん」
「うん?」
「ちょっと、いいすか」
 そう言って仮眠室の方へ視線を向ける。いつになく真剣な表情に、成井は無言のままジェリーに続いて中へ入った。ドアが静かに閉まり、ソファへ座った成井の前にジェリーは立つ。
「どうした?理恵ちゃんに何かあったのか?」
「あ、いえ、そうじゃないんですけど.....」
「手術、2週間後だったよな。こっちのが終わる頃には成功してるな、一応最後の手術になるんだろ?」
「ええ.......」
 ジェリーはきゅ、と拳を握ると口を開いた。
「成井さん」
 成井の目をまっすぐに見つめる。
「成井さんに、お願いがあります」
「何」
「........俺、今回こそは絶対やり遂げます。俺の実力なら出来ると信じて下さったから任されたんだと思ってますし。だから、刺し違えてでもやります」
「ああ」
「成井さんの為に、やります」
「貴明さんの為って言わなきゃダメじゃない」
「あ......えっと....」
 しまったと表情を崩したジェリーに、成井はくすりと笑った。
「まあそれはいいよ。平山さんには悪いけど作戦的に任されてるのは俺だから、俺の言うことは貴明さんの言うことと思ってもらえればいいし」
「は、はい.......」
「で?ジェリーがちゃんとやってくれるのは俺は信じてるけど、お願いって?」
 成井の言葉を聞き、ジェリーは表情を戻す。そして突然床に土下座した。
「成井さん」
「..........」
「今回の作戦については、俺は全力を以て実行します。だから、俺の一生のお願いです。今日、これから会う理恵に、ひとりぼっちになってしまうかもしれない理恵に、せめてもの励ましとして最大級の優しい言葉をかけていただけませんか」
 成井は変わらぬ顔でジェリーを見下ろしている。
「ひろ美さんのことは俺も十分承知してます。理恵も当然感付いてはいると思います。それでも、あなたは理恵にとって憧れなんです、王子様なんです。嘘でもいいですから、これから戦う理恵のために......」
 ジェリーの床についた拳が震えた。
「........俺には出来ない、言うことの出来ない、言葉を........」
「.........」
「成井さんは笑うかもしれません。こんな感情は理解出来ないかもしれませんし、始まる前から死ぬようなことを言ってる俺は滑稽に見えるかもしれません。だけど......」
 額を床に擦り付けんばかりのジェリーの懇願に、成井は足を組み直して緩く微笑んだ。
「.........ああ。構わないよ、それくらい」
「成井、さん」
「理恵ちゃんのことは俺もずっと見て来た。確かに俺にはジェリーみたいな感情は存在しないから、家族とかそういうことはよく分からないけど、まるで家族みたいな気分だよ。前にも言ったように彼女は俺達の世界には何も関係ないから、わざわざ突っぱねることもない。こんな俺でも出来ることなら、励ましてあげるよ」
「ありがとう.......ございます.......」
「とりあえず顔はあげて。それからちゃんと立って」
 その声に、ジェリーはゆっくりと立ち上がる。
「.....絶対、失敗はしません。俺の命を賭けて」
「そうしてくれると助かる」
「成井さんの、石橋さんのためでしたら、死と引き換えにしてでもやります」
「........ジェリー」
「はい」
 成井は幾分鋭い目でジェリーを見つめた。
「.......俺はこれから残酷なことを言うかもしれない。よく聞けよ。分かり切ったことだとは思ってるけど、改めて言う」
「は......」
「貴明さんはああだからジェリーの失敗の度に毎回強くあたっただろうけど、それでも俺はジェリーを信頼して今回のことを任せた。だから、理恵ちゃんのことが大事で、大切でひとりにしたくないだろうことは分かってるけど、でももし失敗してジェリーが生き残ったら俺はジェリーを許さない。この俺が木梨に取り入ってまで作り上げた作戦を失敗させるようなことをしたら、俺はジェリーを殺す」
「.........」
「それがいやなら、その時は自分で命を断て。俺.....いや、貴明さんのために」
 外のドアが開く音がする。構わず成井は続けた。
「勘違いはするなよ、もし向こうの力量がジェリーより勝っていたとしても、その時点で諦めるようなことはするな。例え微かでもダメージは与えてもらわないと困る。まあ、それはないと思ってるけどね。人数的には向こうが勝ってるけど、ジェリーにしたらなんてことないだろうし」
「大丈夫です、それは.......十分承知してます」
「俺のためにやってくれると言ったな。俺はそれを信じているし、もし、ジェリーがそれで万が一命を落とすようなことがあったら、理恵ちゃんの今後は俺が面倒見るよ。前に遠い親戚を教えてくれたね、ジェリーは嫌かもしれないけどそっちと連絡とってやる。ジェリーが命を賭けてくれるなら、俺はその後の責任を持とう」
「ありがとう......ございます.......俺はそれなら安心して.......」
「でも」
 成井は立ち上がってジェリーをびっと指指した。
「俺だってジェリーに死んでもらいたい訳じゃない。だから、最初から死ぬ気とは考えるな。あくまで『あいつらを殺る』ことだけを考えろ」
「......分かり、ました」
「楽しみにしてるよ。貴明さん帰って来たみたいだから話してくるからちょっと待ってて」
「あ、はい」
 成井が出て行き、ジェリーは部屋の中にひとり取り残される。ほっとしたようにどさりとソファに腰を落とすと、目を閉じて心臓の辺りを握りしめた。
「理恵........」

 

「お、ジェリーそこにいたの」
 成井に呼ばれて仮眠室から出て来たジェリーに、シュウが声をかける。
「あ、ええ、これからちょっと理恵んとこ行ってきますんで......」
「成井と一緒に?」
「はい、もうすぐ最後の手術なんで、俺ももう行くことが出来ませんから」
「そうか」
「成井、もう今日はこっち戻ってこねえのか?」
「ですねえ、向こうでも俺は必要とされてますんで、時間があまりないんですよ」
「分かった、あと宜しくな」
 石橋はそう言ってにやりと笑った。微笑を返して、成井はシュウに向き直る。
「じゃあちょっとまた行って来ますので、宜しくお願いします」
「はいはい、いってらっしゃい」
 その声に軽く頭を下げてから成井が先に立ってドアを開け、ジェリーは2人に勢いよくお辞儀してからその後に続いた。
 階段を降り、バーで成井は立ち止まって流暢な英語で黒人と話すと水の入ったグラスを受け取り、ごくりと飲み干す。その姿にジェリーは後ろから申し訳なさそうに切り出した。
「......ほんと、俺には想像出来ない程成井さんお忙しいんですよねえ、すみません」
「大丈夫だって、今日は貴明さんに用あったんだし。それに俺だってあっちこっちで使われてくたくたなんだから、ちょっとは休ませてもらわないとね」
 グラスをカウンターに置くと、黒人に軽く手を振ってからジェリーに向かって成井は微笑む。ジェリーもつられて苦笑した。

 

 後部座席には、途中の花屋で成井が選んで買った大きな花束と、なにやらプレゼントらしき小さな箱。
「なあ」
「はい?」
「ジェリー、理恵ちゃんのことどう思ってんの?」
「はあっ?」
 病院へと向かう車の中での成井の問いに、ジェリーはハンドルから手を滑らせんばかりの勢いで驚く。
「ど、どう、って......そりゃ大事なたったひとりの妹ですから......」
「それはよく知ってる。女の子として思ったことはない?」
「......どういうつもりですか」
 成井はくすりと笑った。
「少なくとも、理恵ちゃんは兄としてだけは見てないように俺には見えるけど?」
「は、あ......」
「ほんとは俺なんかよりずっとジェリーの事の方が好きなんだと思うけどね。なんてったって『王子様』を連れて来てくれる人なんだからな」
「理恵は.......まあ、そうなのかもしれないです、けど」
「ジェリーは?」
 軽くため息をついて、諦めたようにジェリーは呟く。
「........成井さんだから言いますけど、そりゃあ、ずっと二人きりでしたし、妹以上の感情もちょっとは.......ありますよ」
「...........ふうん」
「理恵を大事に守って行きたいと、いつも思ってます。でも俺が、理恵が例え兄妹以上の関係を望んだとしても、それは叶うことではないですから。兄妹以上にはなれませんから」
「じゃあ、なりたいと思ったことはあるんだ」
「.........」
 視界に病院が見えて来て、ジェリーは黙り込んだままハンドルを切った。
「もし、兄妹じゃなかったとしたら、どうする?」
「......成井さん、俺をからかって......」
「そうじゃないよ、そうだったら良かったのにって思っただけ」
「そんなこと、あるわけないじゃないですか」
「.......まあね」
 ゆっくりと車は病院の駐車場へと入って行く。すぐ側に空いていた場所に車を停めて、二人は車を出ると玄関へ向かった。
「さて、またあの理恵ちゃんのきらきらした顔が見れると思うと楽しみだな」
「......そうですね、成井さんが来ると途端に元気になりますから、あいつ」
「お兄ちゃんが嬉しくてたまらないんだよ」
「やっぱり面白がってるし.......」
 ジェリーは照れたようにぶつぶつと呟く。

 ノックの後、ドアを開けるとあの理恵の顔が待っていた。意味深にジェリーを見遣る成井をわざと無視して理恵に声をかける。
 少々ぶっきらぼうにジェリーに呼ばれ、成井は緩やかに微笑んで花束を差し出すと側の椅子にゆっくりと腰掛けた。


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