10
0時。月が半分程雲に陰る。
星野が指定された場所へ現れると、壁にもたれ掛かっていたジェリーが顔を上げた。
「.......飯塚です」
「ああ。星野だ」
「会ったこともない、しかも下っ端の俺の不躾な呼び出しに応えて下さってありがとうございます。嬉しいですよ」
「こっちこそな。見事に先手を打たれた」
「うちの者は皆優秀ですから」
ジェリーはさらりと言い放つ。こめかみをぴくりとさせながらも、星野は煙草を1本取り出して火をつけた。
「成井は本当に見事だったよ。さすが石橋に長くいるだけある。あれだけ人間と思えない人間は見た事がねえ」
「御存じでしょうけど、成井さんはその道にかけては一流ですから。そちらにいるのはあの方にとってはかなり屈辱みたいだったですけどね、今の星野さんの言葉を聞いたらさぞ楽しそうに笑うと思いますよ」
「ふっ」
「さあ、始めましょうか。うちは今成井さん中心に動いてますんで、あの人の指示通りに行かないと俺怒られるんですよね。のんびりしてる時間、ないんですよ」
「........」
星野はまだ長い煙草を砂利に落として靴底で消しながら言う。
「どうする」
「銃は、置きましょうか。その代わりコレで」
ベルトから折り畳み式のナイフを取り出すと、飯塚はそれを星野の足下に向かって投げた。同時に、自分の銃を足下に置く。
「コレで決着が着いたら、お互い止めを刺すってのは、どうですか?」
「おもしれー奴だな。今ここで俺が撃ったらお前、一発であの世行きだぜ」
「『うちと違って』あなたはそんなことしないでしょう?」
「........確かに、そうだ」
星野はクッと笑って愛用のコルトパイソンを取り出して足下に置き、投げられたナイフを手に取る。それを見てジェリーは小気味良い音を立ててナイフの刃を取り出し身構えた。
「俺はいつでもいいですよ」
月明かりで刃先が光る。
「下っ端と言ってもこれでも貴明さんに見い出された身です。見かけで俺をなめると、痛い目にあいますよ」
「そうか、じゃあ腕の程を見せてもらうぜ」
そう言って、体勢を落としたジェリーを見つめる。月が完全に雲に隠れたのを合図に、星野は動いた。
「ハッ!」
真直ぐに自分に向かって来た星野を、彼の利き手の逆にまわることでジェリーは避ける。その際に星野を襲ったナイフは、ギリギリのところで頭部を軽く掠るに留められた。シャッと音がして髪の毛がぱらぱらと落ちる。
振り向きざまに星野がジェリーの脇腹を狙ってナイフを突き上げた。しかしジェリーは上手く身を翻して腕からスーツのジャケットを抜くことで逃げる。深々と布を切り裂いて、星野は刃先と腕に絡まったそれをばさりと振り払った。
「........」
お互い軽く息をついて、体勢を整え直す。
星野の目が鋭く光り、ジェリーは瞬きしてから大きな目で相手をじっと見返した。
大きな雲に隠れた月は、未だ姿を現さない。
もう何度も接近して、ジェリーは右肩を傷つけられてそこを押さえながら膝をついていた。星野は頬に大きく走った切り口から流れる血に構わず、立ったまま肩で息をする。
「.....さすが......刃物持たせたら一流ってのは伊達じゃねえな......」
「星野さんこそ、キャリアの差、ですよ........」
口元を歪めて笑う。
「いわゆる武闘派の担い手は、うちじゃ一応俺だけだ。いくら俺がこうでもどれでもそつなくこなすそっちとは、ちと訳が違わあ」
「お誉めいただいて光栄です.....よっ」
勢いをつけて立ち上がると、ジェリーは星野の懐に飛び込む。キンと刃先同士がぶつかる。
「......っ、く」
「石橋が、ヨソから金で引き抜いてでも持ち駒にしたがるわけだ」
「.......」
「お前は、それでいいんか、金で才能買われてて」
「余計な......お世話ですよ。分かりやすいレベルの計り方じゃないですか、才能のあるものだけが生き延びて、才能が形になる」
「人を、殺めるようなことでも?」
「あなた方みたいな綺麗ごとだけじゃ、通用しません」
力の応酬に耐える。星野は一層眼光を鋭くして、ジェリーを見た。
「........そんな汚い金で、純真な魂を救おうというのか」
「な........に.........?」
一瞬、力が緩む。
「知ってるぞ、妹のために引き抜かれたんだってな」
「っ!」
後ろに引くことでジェリーは星野に押されていた体勢を直した。動揺する気持ちを隠すように、星野を睨み付ける。
「妹は知ってるのか?自分が生き長らえるには、兄が手を汚さなければならないことを」
「あなたには関係のないことだ!」
「例え知っていたとしても、それでお前はいいのか。自分の身柄を金ごときで扱うような元締に、お前は忠誠を誓ったのか、飯塚!」
「うるさいっ!!」
再び勢いをつけて、星野に向かう。
「石橋さんを侮辱することだけは......許しませんよ」
ジェリーは精一杯の力で星野を追い詰めた。歯を食いしばって、指に力を込めてジェリーの手を押さえ込む。
「......それで、いいのか.......そんな元締と.......妹を天秤にかけられたら、どうする!?」
「!」
「石橋なら、やるぞ.......未来のその可能性を、お前は振り切れるか!?」
「........だま、れ..........!」
ジェリーの顔が歪んで、ほんの一瞬だけ力が緩む。理恵の顔が、脳裏を散らつく。
その一瞬を星野は見逃さなかった。
身体を引いてジェリーから離れナイフを落とし、その手でジェリーの背中を押すと走り込んで銃を拾い、振り返ったジェリーに向け撃鉄を起こして引き金を引く。
「!!」
銃声が、2度響いた。
「........っう、あ.............」
ジェリーの身体が揺らぐ。星野は硝煙を見つめてから、膝をついて目を閉じた。
「はっ.........はあっ...........」
「........ツ!」
最後の力を振り絞ってジェリーが投げたナイフが、星野の肩に突き刺さる。よろよろと星野の方に向かって来て、倒れ込むと同時に、刺さったそれを、深く押し込む。
「ぐ........」
「う、う」
痛みに耐えながら、星野はジェリーの重みを片手で支えた。シャツに染み込む温かい液体を感じて、ジェリーの耳許に呟く。
「......すまん」
「......は、あっ........」
「俺らしくねえことなのは分かってる。どっちかっつうとそっちの手だよな。でも、俺も生きなければならないんだ。憲武さんのために、生きなければいけないんだ」
「......んな......謝ること、じゃ..........」
「許せ。静かにしてれば、すぐ楽になる.........」
星野はジェリーの身体を起こすと、静かにそこに横たえた。息を整えながら、深く突き刺さったナイフを抜く。溢れ出て来る血を見つめて、唇を噛む。
確かに敵だ。木梨の妨げになるならば、始末しなければ明日は無い。
しかし、そうまでして、自分は生きなければならないのか。「またしても」人を犠牲にして、生きなければならないのか。
生きて、いたいのか。
自分は生きている。温かい血がそれを証明する。殺らなければ殺られる、そのどうしようもない状況でさえ、星野は葛藤した。
シャツを千切って止血しているそこへ、フロントガラスのないクーパーがきついブレーキの音を立てて止まる。すぐに高久が車内から飛び出して来た。
「星野さんっ!」
「ああ、大丈夫だ、終わった」
「顔......それにその肩.......」
高久が顔と肩を見比べるのを見てふっと笑う。
「さすがに無傷ってわけには、な」
「.......」
星野の視線の先を追う。仰向けに転がって胸を上下させるジェリーの姿。
「放っておけよ。もう飯塚は助からない」
「は.........」
「.........!」
車へ向かおうとした二人の視界に、人影が映る。
「!」
「........」
細身の黒いスーツに、紅色のタイ。成井一浩がゆっくりと近付いて来る。
「成井.........」
成井は二人に一瞥をくれただけで横を通り過ぎると、ジェリーの側に跪いた。
「ジェリー」
「.......あ......成、井さ...........」
「御苦労さん」
ジェリーにそう言って、そっと身体を抱えてやる。立ち上がると、二人を振り向いた。
「くっ......!」
高久が気押されながらも懐に手を入れると、それを星野が止める。
「やめろ」
「星野さん!」
「.......よく、見ろ。成井を」
雲からようやく出て来た月光に照らされる成井の顔。星野と高久が知る穏やかな成井の表情はどこにも無かった。冷たく光る瞳。身体全体から青白い閃光が走る。空気を通して伝わってきそうなそれに、高久はぞくりとした。
「俺達が動こうもんなら成井は爆発するだろう。あいつが気紛れ起こしてるうちに行くぞ」
「あ、は、はい」
高久を先に乗せてから、星野は成井を見つめる。自分を見返す視線を振り切るようにして星野が車に乗り込むと、車体を揺らしながらクーパーは去って行った。
「ジェリー」
「う......あ、あ........」
成井はジェリーを支えながら歩き出す。
「何も喋らなくていいから。俺にちゃんと掴まれ」
「.......っ、成井、さん........」
「喋るな」
「...........を......理恵を.......お願い、しま.........」
「分かってる。約束しただろう、だから心配しなくていい」
時間をかけて車まで辿り着き、後部座席に座ったジェリーは苦しそうに大きく息をついた。
「成井さん........ありがとう、ございます............」
「ジェリーは約束を守ってくれた。俺もちゃんと守るよ」
「理恵、に......」
目を閉じて、少し微笑む。
「........妹以上に.....愛していた、と......強く生きろ、と........」
「分かった。必ず伝えるから」
成井の言葉に薄く目を開けて嬉しそうに笑い、そして再び目を閉じた。
軽いノックの音。
「はい」
「理恵ちゃん、俺だよ」
「成井さん?」
ドアを開けて成井は病室に入った。笑顔の理恵が出迎える。
「手術成功おめでとう。よく頑張ったね」
「ありがとうございます、これで私、もうすぐ何でも出来るわ」
嬉しそうに笑ってから、成井の顔とその後ろを交互に見る。
「あの、お兄ちゃんは......?」
「.........」
「今日は、来れないの?」
成井は首を振って、理恵をまっすぐに見つめた。
「.......ごめんね」
「.......お兄ちゃんは.........?」
「ジェリーはもうここへは来れないんだ。任務をしっかり守って、逝った」
「!!」
理恵は両手で口元を押さえて、みるみる目を潤ませる。ふらつく身体を支え、頭に手を乗せて自分の胸へ労るように押し付けて成井は続けた。
「強く生きろ。.......愛していた、ってさ.......」
「そんな.......」
「俺との約束果たしてくれたよ、よくやってくれた。でも君には謝らないといけない。ごめんね、兄さんを連れ去ってしまって」
「お兄、ちゃ........!」
耐え切れずにぎゅっと成井にしがみつく。やがて理恵が大声で泣き始めるのを、成井はシャツが涙で濡れて行くのも構わずに聞いていた。