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石橋のその言葉に、成井はぎくっとして肩を震わせた。
「教えてやるよ、あの女の.......ひろ美ちゃんの過去を」
「...........」
「ひろ美ちゃんはな、お前も知ってる通り私生児だ。うちのショバの、お前が働いてたあのバーの前で泣いてたのをマスターが拾って育てた。世話役がいろんなとこに聞いて回ってみた結果な、ある日本兵に強姦されて出来た子供だって事が分かった。しかも只の日本兵じゃねえ、アメリカ生まれの日本人なんだよ」
「.........強姦の末の子供だって言うのは、聞いた事があります」
「しかもあの戦後のゴタゴタの中で、そいつはアメリカ兵に命令されてやったんだって話だぜ、当時母親はまだ16才だったってのに。相当ショックだったろうな、でもどうにも出来ずにそのまま産んで、でも育てられなくて捨てた、と」
 成井は表情を変えずに黙ったまま石橋を見つめている。
「マスター経由でその自分の生い立ちを知ったひろ美ちゃんはアメリカと、『一人』に普通以上の嫌悪感を抱いてる。特に一人は嫌だってな。拾われて育てられて、人は一人きりじゃ生きて行けないのもよく知ってる。顔も名前も知らない両親に捨てられて、それでもどうにかして生きていたいと思ったんだ。それには誰かの為に生きるしかないってな」
「........それが俺だと言うんですか」
「誰だって疎まれるのは嫌だ。それがひろ美ちゃんは産まれ落ちたその瞬間から誰にも愛されてないことになる。誰からも必要とされてない存在だったんだよ」
「............」
「そこで死ぬ事だって出来ただろう。だが彼女はそうしなかった。死に逃げる事はしなかった。呪われた存在の自分は愛せない。だからめいっぱい人を愛してやろうって思ったんだ。誰かの為に生きれば、誰かの為に役に立っていれば、自分は一人じゃないって思えるからな。その誰かが成井、お前だったんだよ」
 石橋は煙草を灰皿に押し付けると、相変わらずの瞳で自分を見る成井を見返した。
「........そしてお前も、ずっと一人だったろう」
「ええ」
「お前の両親の結婚は、最初から間違っていたな。父親はそれなりに裕福な家の出で、母親は貧しい家庭。父親は敗戦によって粉々に砕かれたそれまでの価値観を取り戻したくて必死で、家庭など顧みもしなかった。母親は只幸せになりたかった。だんだんズレが生じて、夫婦間は上手く行かなくなり、母親の感情の矛先はお前だ。未だにその傷は残っているんだろう?」
「......そうですね、時々思い出したように痛みますよ」
「俺がスミ入れてやる時に初めてそれを見てさすがに俺もぞっとしたぜ。肉親でもここまでやれるもんかってな」
「元々存在してはならない人間だったんですよ」
 成井はそう言って激しく雨が叩き付ける窓の方を見る。
「日本ってのはアメリカに強姦された国だと俺は思うんですよ、原爆を落とされるというかつてない最悪の状態で。だから、その年に産まれたという俺の母親だった女は、もうそれそのものが犯された存在なんです」
「だから、殺したのか」
「そうです」
「そこでどうしてお前は生きた。お前はその犯された腹から産まれた人間なんだぜ」
「......さあ、どうしてでしょう」
「親戚にも放り出されて、孤児院へ入っても慈悲が受け入れられなくて、そこに馴染めずに逃げたお前が、どうしてまだ生きているんだ」
「別に、死んだからといって楽になれる訳じゃないし、ただ生きていたんですよ」
「生きている方が楽だったのか」
「さあ。でも今はこうしていれば貴明さんには一応必要とされている訳ですし、俺の居場所はあるでしょう。まあ地獄の方が俺には似合うのかもしれませんが」
「ふっ」
「只あの時思ったのは、他人に情けをかけられて生きるよりは、一人の方がよっぽど楽だっていう事ですよ。血の繋がったものにだって疎まれるんですから、他人と無理に心を通わすより一人の方が楽だってね」
「........ここに辿り着いたのは、必然だったんだな」
「そうですか?」
「さっきも言ったが、世話役はいい拾い物をしたと言っていたよ。あのバーで働かせながら自分が全てのノウハウを叩き込んだ。お前は飲み込みが早くて応用力もあったから教えがいがあったって。時々は世話役に言われて手伝ったりもしてたそうじゃないか」
「時々ですよ」
「世話役も俺も、お前のその瞳が気に入ったんだがな。その誰も映さない瞳が。この世界で生きて行くにはぴったりだ」
「俺は呪われた存在なんですから、こうして闇の世界でしか生きられない人間なんですよ。特に情なんて必要無い。ある意味「情」によって結ばれたあの忌々しい存在から産まれた事が俺の最大の汚点ですから。そうしなければ俺は産まれなかったってのはよく分かってます。だからこそ俺は生きる事に興味がないんですよ」
「その闇の世界で生きるお前にどうしてひろ美ちゃんがいるかが分からないぜ」
「別に必要な訳ではありませんよ。向こうから誘って来たんです。あいつは俺に情を求めてたんじゃないし、俺もくれる気なんてさらさらありません。お互いが、っていうかまあ俺がやりたくなったらやるだけですから」
「でもまあ、具合がいいからやってんだろ?」
「はけ口ですよ、お互い。さっき貴明さんがおっしゃったように、あいつは一人が嫌なんでしょう?ちょうどそれが俺だっただけの話です」
「でも今は知らんが、ひろ美ちゃんはあんな仕事しててもお前以外にはいないはずだぜ、男」
「どうですかねえ」
 目を逸らしてまた窓の方を見た成井を、石橋はにやにや笑いながら見て言った。
「お前もひろ美ちゃんも、同じ人種だからだよ」
「..........」
「ひろ美ちゃんはお前が心の底で一人が嫌だって思ってるのをよく分かってるんだ。目の前の全てから実は逃げてるのをよく分かってる。自分もそうだからだ。でもそれを指摘出来ないし、自分だってされるのが嫌だから黙ってんだよ。身体だけ捧げて尽してんだ。それにひろ美ちゃんは愛された事がないんだから愛し方なんて分からないしな、お前の側にいることしか出来ないんだよ」
「........ほんとに饒舌ですねえ、貴明さんにしては」
 はぐらかすように微笑して言った成井に、石橋は笑って返す。
「ひろ美ちゃんを疎ましく思った事が今までにあったか?」
「........別に。あいつは頭のいい女ですからそんなことしませんよ。仮にそんなんだったらとっくに俺はぶっ殺してます」
「ほらな、だからこそお前とひろ美ちゃんはそこで繋がってんだ。お互い必要だと思った時だけいられればいいんだろ?」
「........まあ、そういうことになるんですかねえ」
「もうちょっと練ってからお前を木梨のとこに行かせるからな、その前に一発くらいやってすっきりしてきな」
「あいつがまだ一人だったらね。まあ俺も禁欲生活長かった事ですし」
「男にやられたっきりかい、セックスは」
「香港ではまあそれなりにありましたけど......ロスではまあ、あんなとこでしたし」
「男にやられるってのはどんな気分だ」
「最悪ですよ、それはもう聞かないで下さい、いくら仕事の為とは言えきついリスクだったんですから」
「俺もそんな詳しく聞きたかねえな」
 石橋は顔をしかめながらそう言った。
「........これでお互い、全部さらけだした事になるんですかねえ?」
「俺はもうちょっと聞きたい事があるな」
「何でしょう」
「お前はどうして、俺の側にいる?お前程の腕ならいくらでも金を積んでくれるとこがあるだろう。世話役への恩義でここにいるのか?俺は必要無くなったら簡単に切るぜ」
「別に構いませんよ」
 成井は緩く微笑む。
「いつ切られようと構いません。貴明さんが指摘されたように、俺は何にも興味がないし、生きていても、そして例え死んでも逃げられないって事をよく分かってます。死ぬのはもちろん一人ですけど、生きていたって一人なんですからね。それに貴明さんの考え方が俺は好きですから」
「まあここで俺の思考を完全に理解してくれるのはお前一人だ」
「俺はそうやってしか生きて行けないですから」
「そうだな」
 そう言って石橋はまた深くソファに身体を沈ませた。何時の間にか空になっていたウイスキーのボトルを見て、部屋の奥を顎でしゃくって成井に言う。
「これには劣るがそれなりんのがあるはずだから持ってきな。来週にはお前に行ってもらうから、もうちょっと練り直しだ」
「はい」
 成井が立ち上がって棚へと向かう。手前にあったボトルを持って一旦デスクへ向かうと、先程プリントアウトの終わった何枚かの書類を抱えてまたソファに腰を下ろす。
「ここのデータをいくらか改ざんしましたから。とりあえず貴明さんには把握しておいていただかないと」
「おう」
「俺は一応ここに切られた状態になりますから。いくら俺が2年ここにいなかったといっても貴明さんについていた事くらいは向こうも知ってるでしょうからね、その辺お願いしますよ」
「俺達も多少演技が必要って事か」
「そうですね」
 成井は書類に目を通しながら煙草をくわえて笑った。
「まあなんとか頑張ってみますよ。じわじわ染み込んで、一人ずつ確実に殺ってやります。最後のタマは貴明さんに残しておきますから。向こうで俺もいいもの見付けて来たんでね、試したくて仕方ないんですよ」
「.........ほんとに敵には回したくない男だな、お前は」
「そのうち一応敵になります」
「そりゃそうだ」
 新しく開けた酒をグラスに注いで、また軽くあわせると二人は笑った。


 
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