BL_89.GIF - 2,094BYTES

 

1

 窓の外は、何時の間にか雨が降り出していた。
「誰から聞いた」
「何をですか?」
「分かり切った事聞くな、俺と憲武の事だよ」
「ああ」
 成井はデスクにひょいと乗ると、皮張りのソファに足を組んで座っている石橋を見下ろして言う。
「ちょっとは自分で調べて回ったのと.......あとは世話役に」
「何だ、世話役そんなことまでお前に話してたのか」
「ていうか俺が無理に聞き出したようなもんですけど」
「ふん」
 諦めたように鼻で笑って、石橋はグラスを一気に空けた。煙草をくわえてソファに身体を預けると、成井の後ろの窓の方を見る。
「えらく降ってきやがったな」
「そうですね」
「もう帰るの面倒くせえからな、全部話してみな」
「俺と一晩過ごす気ですか?」
「暇つぶしくらいにはなるだろ」
 成井は緩く笑って自分も懐から煙草を出して火をつけた。デスクの隅の灰皿を指で引き寄せて灰を軽く落とす。
「また俺は貴明さんを怒らせるような事言いますよ、きっと」
「そしたらこっちにも切り札がある」
「切り札?」
 石橋はニヤリと笑った。
「お前が俺の事知ってて、俺がお前の事知らないはずはない」
「.......俺の過去なんてたいしたことないですよ」
「どうかな」
 その言葉に成井の眉がぴくっと上がる。幾分動揺したようなその表情に、石橋は茶化すように両手を上げながら言った。
「おいおい、感情的になるなんてお前らしくないぜ?」
「別になってませんよ」
「まあお前の事はいいさ。話してみ」
 石橋のはぐらかすような物言いに、成井は石橋を見つめる。が、すぐに軽く視線を流してから話しはじめた。
「......中学時代からのつきあいだそうですね」
「あいつん家とうちがつきあいあった組と多少関係あったのもあってな」
「でも偶然ですね、まさか同じ組入るなんて」
「......あの頃なら別におかしくない話さ、特に問題なかったんだし」
「嫌だったんじゃないですか?木梨と一緒なのは」
「何で」
「木梨の自由なところを妬んでたんでしょう?あなたの家は政界との繋がりまである立派な家柄ですから、束縛されてたんじゃないですか?木梨の家は仕事の事もあって自由だった。あなたは今はこうしているとはいえ当時は家を継ぐために大学まで行かされたんでしょう?」
「それが今役に立ってるから別に構わん。......だが確かにそれはそうだな」
 石橋はグラスにウイスキーを足しながら笑う。
「自由なのは羨ましかったさ。あいつはいつも奔放に生きてたからな、だから俺は家を出たんだ。大学も途中で辞めたしな」
「でもあなたは頭のいい方ですから行く必要なんてなかったんじゃあ?」
「......分かったような言い方しやがって」
「本当にそう思ってるんですよ。だからこそ今ここにこうしているんでしょう?俺も、平山さんも、シュウさんも、ジェリーも」
「まああいつより持ち駒がいいのは確かだ」
「木梨は貴明さんみたいな考え方出来ない人間なんですよね。必要なのは分かってるけど、でも出来ない。それがうちとの違いなんでしょう。だから今だにあんな友情ごっこみたいなことしてる。心の奥底では貴明さんを羨ましがってるんじゃないですか、木梨は」
「.......」
「俺はそう思ってますけど、どうでしょう」
「さあな」
 成井の伺うような言葉を、石橋はさらりとかわす。成井はそんな石橋を上目遣いに見ながら、煙草を灰皿に押し付けて、また新しく火をつけて煙を吐きながら続けた。
「お互い妬んで、羨ましがって、それでもそれなりにつきあってて、あの事件ですか......当時暴走族の本部長をやっていた星野が、木梨の妹を死なせてしまったという」
「.........あいつの最も嫌いなとこはそこだ。肉親を殺されてどうして相手を責めないかが理解できねえ。結婚寸前まで行ってたのに」
「でも直接殺した訳じゃあないでしょう?」
「族の争いに巻き込まれて殺されたんだよ。それにそいつはそん時の俺の女と友達だった」
「知ってる間柄だったから余計苛ついた、と。ついでに言わせていただくと、それまでの全ての感情がそこで一気に盛り上がったんでしょうね」
「.......」
「木梨は組の中でも要領よくやっていた。そんな木梨がさらに苛ついた。木梨の妹の一件があってから貴明さんは変わったと、世話役は言ってましたが」
「偶然だ」
「そして荒んだあなたに嫌気がさして、あなたの彼女は離れてしまう。しかもその彼女の行った先があなたの信頼していた仲間だった、と」
「......憲武にもいい顔をしてる奴だった。だが俺を理解もしてくれていた。......してくれていたはずだったんだ。憲武が俺にいろいろ忠告してくるのもむかついてて、それを知ってたはずだった。なのにあいつが」
「......それで、殺したんですね」
「やっと俺は気付いたんだよ。ずっとあの家の中で生きて来ても分からなかったことに」
「.........」
「肉親でさえ信じられない世界で生きていたのに、他人なんて信じられるはずがない。ちゃらちゃらした感情は生きて行く上で邪魔なだけだ」
「まあそれを木梨が皮肉にも気付かせてくれたんですからまあ良かったじゃないですか」
「ふん」
「そしてちょうどその頃、組で内部抗争が起きて、偶然にもあなたと木梨は分かれる訳ですか」
「世話役だけが俺を買っていてくれたからな。お前が世話役のとこへ来たのもその頃か」
「そうですね、俺は考えてみると随分大変な時に来てしまったようです」
「いい拾い物をしたと言っていた。ガキのくせに大人びた誰も映さない瞳をしてた、と」
「俺には映る人さえいなかったですからね、貴明さんが羨ましいくらいですよ」
「昔の話だ。今は俺だって必要無い」
「.......そして組が完全に分裂して対抗するようになって暫くしてお互い旗揚げに至る訳ですか、あなたは世話役の、木梨は若頭の後を継いで」
「憲武のは当てつけだろうさ、俺への。星野がいるのもそうだろう。多少償いの気持ちでもあったのかもしれんがな」
「そんな感情でいるからいつまでも木梨のとこはあんなんなんですよ」
「その『あんなん』なとこへ、お前は潜入しないといけないんだぜ」
「.....120貰ってもまだ足りないくらいなんですけどねえ、ほんとは」
 成井は心底うんざりした顔で言う。石橋は笑いながら言った。
「状況によってはプラスしてやるよ」
「ほんとに、俺はもうとっくに片付いてると思ってたのに」
「うちは憲武の事以外にもやっかい事が多くてな、そればっかりには構ってらんねえんだよ」
「まあ俺はそれを片付けるためにあっちへ行って、そして呼び戻された訳ですからねえ」
「ちゃんと収穫はあったんだろうな」
「じゃなきゃ呼ばれても帰ってませんよ、まあほんとはもう少しいてもいいかなとも思いましたけど」
「頼りにしてるから呼んだんだ、期待は裏切るなよ」
「俺が期待裏切った事あります?」
「......ねえな」
「まあ今回は特殊なケースなんでじっくりやって行きますよ」
「頼んだぜ」
「まあ見てて下さい」
 成井は口元で微笑しながらそう返す。成井がそうやって笑う時が最も彼の残虐性を垣間見れると言う事を長い付き合いで石橋はよく知っていた。久し振りのそれに、期待感に背中がぞくりとするのを感じながら笑う。
「俺は多少ゆっくりさせてもらうからな」
「時々戻りますからその時だけいていただければ構いませんよ。そういえば、まだ彫師の方はやってるんですか?」
「もう暇がなくてやってねえよ、どうせ本気でやる気なんてなかったしな」
「俺が彫っていただいたのが最後ですか、じゃあ」
「ああ」
「それは光栄ですね」
「身内にしかやってねえよ、たいした腕じゃないし」
「世話役は誉めてましたけどねえ」
「ただでさえゴタゴタ抱えてんのにこれ以上仕事増やせるか」
 石橋はそう愚痴ると、ふと思い出したように成井を見る。
「......そういやお前、あの女はどうした」
「あ、ああ、どうでしょう、何も連絡もしてないんで」
「まだ続いてんのか?」
「あいつに男が出来てなきゃそうなるんでしょうねえ」
「しかしお前程の男でもやっぱ必要なのか、女は」
「やりたい時にやるだけですよ、腐れ縁ですし」
 さらっと言う成井に石橋はふふんと笑った。
「腐れ縁てのがいちばん厄介なんだぜ」
「それはあなたもね」
「しかも只の腐れ縁じゃねえ、教えてやろうか、お前とあの女の必然的な共通点。身体だけの関係であの女がお前の側にいる訳じゃないんだぜ」
「......世話役ですか?」
 成井はそう言うとデスクからすとんと降りてグラスを持ってソファの方へやって来る。そして石橋の向かいに腰を下ろした。
「あの人がみんな分かってた訳だ、俺の事もお前の事も」
「まあ俺は拾っていただいたんですから、あの方に。それじゃなきゃ今頃どうしてるか分かりませんよ」
「お前が俺の側にいるのもそのせいか?」
「どうしてです?」
「お前が生きる事にも死ぬ事にも興味がないのを知ってるからだよ」
 その言葉に成井は一瞬眉を震わせる。が、すぐにふっと笑ってソファに身体を預けながら足を組み直して石橋を見た。
「随分今夜は饒舌なんですね」
「お前もな」
「それが、切り札って訳ですか」
「まあそうだ。俺はお前の知らない事も知ってるぜ、きっと」
「じゃあ折角だからお聞きしましょうか」
「『俺はお前を怒らせるような事を言うかも』しれないぜ?」
 二人はくすっと笑い合う。
「何でもどうぞ」
「.......こういう事を言いたくなる感情を何て言うか知ってるか?」
「....さあ」
「感傷、ってやつだよ、成井」
「.......」
「俺も2年振りにお前に会ったからな、こうしてきちんと話が出来る相手がいてくれて嬉しいぜ」
「今まで出来なかったんですか?」
「俺みたいな感情の持ち主はお前以外にいねえよ」
「......大仕事の前にはそういう事言いたくなるもんですかね」
「俺達は一応これでも生きてる。人形じゃねえんだから感情くらいあるだろ」
「俺は人形みたいなもんですよ、特に興味なく生きてんですから」
「じゃあもちっと興味持てるような事教えてやるよ」
 石橋は煙草に火をつけながら笑って言った。
「お前とあの女は、1945年で繋がってるんだ」


 back   2
  menu