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 会員制レストラン・「ロマネスク」VIPルーム。
 ぼんやりとしていた平山はテーブルに置かれたデザートの皿の音に顔を上げた。
 この店自慢のグランデセール。ケーキの「オペラ」の横に季節の果物とアイスクリーム、シャーベット、それからチョコレートとカスタードソースをかけて。
 ジェリーは成井のロス話に感嘆の声をあげていた。組長石橋は料理にはあまり手をつけず手ずからワインをグラスに注いで、話を聞きながら二人を面白そうに見ている。シュウは三層に厚く重なったオペラをナイフで器用に切り分け、ゆっくりと口に運んでいた。
「ええっ、成井さんそんな凄いとこにいたんですかあ?」
「ん、まあ一応ね。1ケ月くらいだけだけど」
「うっわ、すっごーい」
「どうしても用があったからね、そこに俺の必要な情報持ってるやつがいるって聞いたもんだから」
 聞き覚えのあるアメリカの有名な組織の名前が出て来て、平山はフォークをとめて成井の方を見る。
「でもそんな重要なことだったら簡単には手に入らないだろう、いくらお前でも」
「そうですねえ、でも俺は手に入れる為だったら手段を選ばないですから」
 シュウの問いかけにそう言って成井は微笑んだ。
「どうやって脅したんです?」
「ばっかだなジェリー、そういう時はこっちが下手に出ないとダメなんだよ。俺は外部から入り込んでる人間なんだから。いくらそういうのが嫌いでもね、手に入れるにはある程度妥協しないとね」
「下手?」
「そ」
 成井はグランデセールには手をつけず、石橋に軽く断ってから煙草に火をつける。
「あんまり気は進まなかったけどね、そうでもしないとダメっぽかったから」
「何したの」
「一度だけですけどね、身体売りました」
「嘘!!」
 シュウの問いにさらっと答える成井に、ジェリーは大声をあげる。平山も思わず驚いて成井を凝視した。
「一度だけだよ。まあ俺こんなんだからその前にも声かけられたり連れ込まれそうになったりしたけど、そっちには用ないから即殺ったよ」
「.......まあ外人ウケはしそうだな、その黒髪と瞳は」
 珍しく声を出して笑いながら言った石橋に成井はくすくすと笑う。
「そうですね、あそこに日本人自体が入ることも滅多にないらしいですから。珍しかったでしょうねえ」
「.......」
 あまりに衝撃的だったのか黙り込んでしまったジェリーを見て、成井は煙草の煙をふっと吐き出すとジェリーに言う。
「一度っきりなんだから。まあ二度とやりたくないけどね。相手も相手だったし」
「もしかして凄いデブとか?」
「いや、そうでもなかったですけど、オッサンだし毛むくじゃらだし。綺麗な男だからっていい訳でもないですがね」
「.........うわ、何か俺今ショック受けましたよ」
「安心してよ、別にそっちに目覚めたりしないから」
「いや、えと、そんなこと思わないですけど.......凄いとこなんだなあって思って.....」
「でケツは大丈夫なんかい」
「ああ、2日くらいは辛かったですけどね、その分ちゃんと貰いましたから」
「........痛いんですよねえ......うわー俺想像しただけで気分悪くなってきた」
「当たり前だよ、本来入れるとこじゃないんだからさ、しかも女と違って濡れてる訳じゃないし。痛い痛い」
「ほんとにいるんだな、そういう奴って」
「男ばっかのとこですしね。まあそれでも俺その情報仕入れる為に貴明さんに頼んでロス行ったようなもんですから安いもんですよ」
 衝撃を受けながらも興味深そうに質問するジェリーと、際どい話をさらりとしているシュウと石橋に平山が押されながら成井を見ていると、ふとその様子に気付いた成井が平山を見て微笑む。
「どうしました?平山さん」
「いや、何か圧倒されちゃって.......ほんとに御苦労さんだったな、それは」
「俺は手に入れる為なら死ぬこと以外ならどんなことでもしますよ」
「どうして死は?」
「当たり前じゃないですか、死んだら手に入れても仕方ないでしょう」
「.......ああ、そうか、そうだよな、俺も馬鹿だな」
 口元だけで笑う成井に思わず平山は視線を逸らしてそう言い、またそそくさとフォークに手を伸ばした。
 平山はシュウの指摘通り、成井が苦手だった。あの憂いのある瞳と、冷たい微笑。顔色をひとつも変えずに、老若男女問わず、命乞いも聞かず平気で殺す冷酷な暗殺者。過去に何かあって石橋のもとにいるらしいことはシュウからちらりと聞いたことがある。成井も石橋と同様個人に全く興味のない人間で、生きてゆくのに余計な情など必要無いという考えの持ち主だった。その点を石橋に買われていることは平山も当の本人の成井も承知している。成井はそれを特にひけらかすこともなく地位的には平山の下で動いていたが、闇に通ずる彼が高待遇を受けて、今回のように直々に組長である石橋が出迎えたりすることに少々の不満があることも確かだった。成井の含みのある物言いも苦手で、つきあいは長いはずなのだがあまり正面切って成井と話をしたことがない。
「ああ、そういやジェリー」
 成井はさらっと視線を流してジェリーの方を向いた。
「理恵ちゃん元気?具合どうなの?」
「あ、お陰様でこないだ3回目の手術しました。まだまだなんですけど、ゆっくり見守るしかないですねえ」
「仕事始める前に一度くらい顔出そうか」
「ほんとですか?理恵喜びますよう」
「俺も向こうで医者ちょっと聞いて回ったんだけどさ、結構かかるらしいんだよね。もしアレだったら俺また出すよ」
「いや、そんないつも悪いですよ」
「どうせ俺持ってても使わないからさ。どこの誰だか分からないような奴に寄付するより知り合いの役に立つ方がよっぽど楽だし。あ、でもそうするとジェリーと離れないといけないから寂しがるか」
「......そうですねえ、出来れば俺の近くで見てたいですからね、理恵は」
「その方がいいな、まあまた暇出来たらこっちでも捜すよ」
「すんません、折角聞いてもらったのに」
「いいってば、俺が勝手にやってんだから」
 ジェリーの妹は心臓の病気で長く入院していた。その莫大な手術費の為に、ジェリーは石橋に金で別の組から引き抜かれて今ここにいる。ジェリーのすぐ突っ走るところを石橋はあまり好いていなかったが、それがたまには効を奏することもあり、また喧嘩の腕は相当だったのでその部分だけを買っていた。他人に興味のないはずの成井が時々手術費の一部を援助するなど(まあ成井にしてみれば使い道のない金をただ放っておくという「無駄な事」が嫌いなだけなのだろうが)、ジェリーと成井は正反対のくせに妙に交流が深い。この組はひとりひとりがその道に長けていてあまり集団として機能することがなかったが、今回こうして成井が呼び戻されて木梨との抗争を本格的に始める事によってその力は発揮されるだろう。
「成井妙に思い入れあるんだな」
「結構可愛いんですよ、シュウさん見たことあります?」
「ああ、ジェリーに写真見せてもらったことあるけど」
「そっくりなんですよねえ、なのになんで可愛いんだろ」
「うっわ、成井さん酷いー」
「おら、そろそろお開きにするぞ」
 盛り上がるジェリー達に、石橋が空になったグラスを押しやりながら言った。ふと成井が思い出したように石橋に向き直る。
「そういえば貴明さん、俺今回のでどのくらい報酬いただけるんですか」
「.......ああ、そうだな.......」
 石橋はナフキンで軽く口元を拭いて少し考え込んでから成井に言う。
「80でどうだ」
「120は譲れませんね」
「おい、成井」
 石橋を見返しながらそう答える成井に思わず平山が嗜めると、成井は冷たい瞳を向けて言った。
「平山さんは黙ってて下さいよ、俺は平山さんとは違うんですから」
「しかし......」
「ほんとは俺の範囲外なんですからね、こんなことは。ましてやあの木梨のとこですよ。平山さんならどうか知らないですけど俺があんな友達ごっこみたいなことやってるとこに入るなんて寒気がするんですから」
「........」
「その辺是非理解していただきたいですね、あなたは俺の上司なんですから」
 ジェリーは少しおろおろとして成井と平山を見比べている。シュウはやれやれとため息をつきながら石橋をちらりと見た。石橋は笑って手をあげる。
「分かったよ、120で手を打とう」
「ありがとうございます」
 成井は平山に一瞥もくれることなく石橋に頭を下げた。
「虫酸が走る任務なのは俺がよく分かっている。その代わり100%果たしてもらうぞ」
「俺は貰うものさえ貰えれば完璧にやりこなしますよ」
「それでこそお前だ。2年ぶりの大仕事、期待してるぜ」
「はい」
「よし、そんじゃ今日はこれで終わりだ。直帰して構わないぞ」
 石橋のその声を合図に全員ががたりと立ち上がる。
「お前事務所行くんだろ?」
「そうですね、2年もほったらかしですから多少整理しないと。ああ、ついでですからみんな送っていきましょうよ。貴明さん急いでます?」
「いや、俺は別にどうでもいいが、お前がそうしたいならそうしろ」
「成井さん疲れてんじゃないんですか?いいんですか?」
 成井の申し出にジェリーが済まなそうにそう訊ねる。
「ああ、たいしたことないよ。それに2年ぶりに皆に会った訳だし。それでも俺そのうち木梨んとこ入っちゃうからな、あんま会えなくなるんだから」
「じゃあ俺運転するよ」
 シュウがそう言って成井がポケットから出したキイを取る。
「あ、じゃあすみませんけどお願いします」
 シュウとジェリーが先にVIPルームから出てゆく。その後を平山が追おうと歩き出すと、成井が声をかけた。
「平山さん」
「ん?」
「先程は失礼しました。ぞんざいな口聞いてしまって」
「いや.......別に構わないよ、俺もお前の職務をよく理解してなくてすまないな」
「俺がいない間、また貴明さんをよろしくお願いしますね」
「ああ」
「俺ひとりの身くらい自分で守れるぞ」
 視線を浴びながら入り口まで向かい、カードを先程の女性に渡しながら石橋が笑って成井を小突く。支払いが終わってドアへと向かうところで懐に手を入れると、成井がさっとライターを取り出した。石橋は少し身をかがめて火をつける。計ったような素早いその仕種を、平山は二人の前を歩きながらちらりと見た。
 決して二人のように冷酷になりたかった訳ではないが、そういう部分で繋がっている石橋と成井が少しだけ羨ましかった。この二人はとことん冷酷になれる。石橋は誰でもいつでも切り捨てる事が出来るし、成井はいつ切られようがどうしようが関係ない。シュウもジェリーもある程度割り切ってこの仕事をしている。自分だけが何かに囚われて、やり切れない気持ちで生きているようで、平山は少しだけ胸が痛んだ。

 後部座席に石橋と成井とジェリーが乗り込む。それを確認して平山は助手席のドアを開けて中に入る。ばたんとドアを閉めたのを見て、シュウは車を発進させた。

 

 

「全然変わってませんねえ」
「やる奴がいなかったからな」
 2年ぶりに訪れた事務所の中を見回す成井に、石橋がそう言いながら中央のデスクに寄り掛かる。細かいデザインはもちろん石橋だったが、内装やデスクのセレクトなどは、たいてい成井がやっていた。部屋の隅の自分にあてがわれていたデスクに座り、持っていたアタッシュケースから次々と本や書類を取り出す成井を石橋は見ながら、デスクにウイスキーのボトルを置く。
「早速コレ開けていいか」
「構いませんよ」
「これは今じゃ滅多にお目にかかれる代物じゃないな」
「そうですねえ、さっき話した身体売った奴からおまけで貰ったんですけども」
「おまけがコレか」
 石橋は鼻で笑ってそのボトルを改めて手に取る。
 オールド・グランダッド114。生粋のバーボン。114とは114プルーフ(57度)のことで、バーボンの中でも1、2を競うアルコール度の高さだ。オールド・グランダッドの中でも最高級品。
「114プルーフってのは?」
「ああ、それアルコール度です。57度ですね」
「ほう」
 感嘆の声をあげ、石橋はグラスを二つ取り出すと、重みのあるボトルの蓋を開けて中身を注ぐ。成井がグラスをとったのを見て、軽くそれをあげて笑った。
「2年間御苦労だったな」
「ありがとうございます」
 チン、と軽くグラスをあわせる。ひとくち飲んで頷いてから、成井はまた自分のデスクの整理に戻った。石橋は惜し気もなくグラスを一気に開けて、口元から零れた酒を舌で拭いながらまた少量をグラスに注ぐ。パソコンに向かってキーボードを叩く成井を見、デスクに腰掛けると切り出した。
「今さらだけど今回、本当に大丈夫だろうな」
「人を欺くのもちゃんと教え込まれてますから大丈夫ですよ。まあ多少状況が辛いですけどねえ」
「憲武に取り入る自信は。あそこにはそれなりの情報屋がいるって話だが」
「まあ貴明さんに切られたってめいっぱいアピールしてやりますよ。あんな柔な連中ならなんとか騙されてくれるでしょ」
 ディスプレイ画面を見たまま、成井はそう返す。
「もうこれ以上引きずれないからな、そろそろこっちからマジで仕掛けてやらんと」
「それにしても俺はもうだいたい片付いてるもんだと思ってたんですけどねえ、意外でしたよ。平山さんも何やってたんだか」
「あいつはあんまりこういうのに向かないからな」
 成井の辛辣な批評に石橋がさらりと言うと、何事か処理をしてプリンターに用紙をセットし、プリントアウトのキイを押すと成井は立ち上がってデスクに歩み寄った。自分もグラスに酒を注ぎ足すと、またひとくち飲んで緩く笑いながら石橋を見る。
「..........それとも、貴明さんの木梨憲武との間に出来た傷は俺の予想以上に深いってことですかねえ」
「何?」
 その台詞に石橋はデスクから下りると眉を上げて成井を見る。成井は相変わらずの微笑で肘をデスクにもたせかけるようにして身体を預けると続けた。
「俺知ってるんですよ、貴明さんと木梨がどうしてこんなに諍い起こしてるのか」
「.........一体どこから.....まあいい、迂闊だったな、お前に知られるとは。甘く見てたよ」
「貴明さん程の人でも昔はああだったんですね」
「.........俺の何を知ってる?」
「こうやって争うことで木梨との間に繋がりを持っていたいんでしょう?それが途切れるのが怖いんじゃないですか?」
 目を細めてそう言った成井の肩を掴んで、石橋はデスクに彼を叩き付けるように倒した。衝撃に一瞬だけ成井の顔が歪む。が、すぐに表情を戻して物凄い目つきで成井を睨む石橋のその目を見返した。
「成井」
「違います?」
「.......悟ったような顔しやがって..........確かにその顔はそそられないでもないな」
 冷静に返す成井にかっとなって、石橋は襟元を掴むとネクタイを引き抜いてシャツを強引に開ける。ボタンがいくつか飛んで、かつんと乾いた音を立てて床に落ちた。
「.........」
「何とか言えよ、成井」
 相変わらずの視線に石橋が焦れたように言う。成井はふ、と息をついて返した。
「.........やるんなら、ちゃんと金下さいね?」
「........」
「それともこの場で殺しますか?俺がいらないんでしたらそれも構わないですよ?」
「.........人の足下見やがって」
 石橋は声を荒げながら手を放す。成井は起き上がると乱れた胸元を直そうともせずにまたデスクに寄り掛かった。
「そんな逆鱗に触れるような事でしたか」
「.......お前、もちっと気を使うって事考えろ」
「そういう教育受けてないんで」
「........誰も知らないはずだったんだがな、俺と木梨しか」
「シュウさんは御存じないんで?あとはあの、木梨んとこの......星野ですか。あいつも関わってんですよねえ」
「シュウは知らねえよ。知りたくてもあいつん家はうちに仕える身だ。聞ける訳がない」
 石橋は気持ちを落ち着けるようにまた一気にグラスを開けて、煙草を取り出した。成井が火をつけてやる。煙を吐き出して、多少落ち着いたのか石橋は諦めたように天を仰いだ。
「お前がどこまで知ってるか話してみろよ」
「昔話でも聞きたくなったんですか?」
「.......そうだな、ましてあいつと本気でケリをつける為にお前を呼んだんだ。そのくらいいいだろう」
「そうですね」
 成井は笑って石橋を見る。
「貴明さんが今こうしていなければ、俺もここにはいない訳ですしね」

 

 今から20年近くも前のことだった。
 石橋貴明と木梨憲武が争うようになった理由。

 仲間だった二人を引き裂いた理由。


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