JIVE_82.GIF - 3,888BYTES

 

4

 

 1階にある黒人達が集まるバーをすり抜けて、平山は階段を上って3階の部屋のドアを開けた。中央の黒い皮張りのソファーに座って英字新聞を読んでいた男が平山を見て顔をあげる。
「お疲れさまです」
「ああ」
 平山はそれだけ言って、立ち上がろうとした男を制して、自分で側のコーヒーメーカーのスイッチを入れる。それがこぽこぽと音を立てはじめるのを見ながら、平山は座っている男に問いかけた。
「シュウも飲む?」
「あ、じゃ、いただきます」
 シュウ、と呼ばれたその男は新聞をたたんで立ち上がり、カップを2つ取り出す。やがて出来上がったコーヒーをシュウが注ぐのを見ながら、平山は聞いた。
「ジェリーは?」
「あ、あいつなら、奥でぶっ倒れてます。また石橋さんに」
「......また、か......」
 平山はそう言って奥の部屋を覗き込んだ。ソファーの上で、顔の上にタオルを乗せた男が横たわっている。
「でも今回は石橋さんの気持ちも分からないではないですよ、何たって例のあれが木梨の方に回りそうだったんですから」
「.....そうか.......」
 気の毒そうに部屋の奥の男を見ている平山に、シュウはカップを渡しながら言った。平山はそれを受け取って一口飲む。
「でも失神するまで殴ることはないと思うんだけど」
「まあでもジェリーはよくやりますからねえ」
 さらっと言ってコーヒーを飲みながらまた新聞に目を通しているシュウを、平山はちらりと見た。
 親の代から石橋の家に使えているというこの男。いつも冷静沈着で時々何を考えているか平山でさえも分からない時がある。奥の部屋で倒れているジェリーの普段の歯止め役。シュウがいればジェリーも何とか暴走せずに済むのだが、今回はどうやらジェリーの単独の仕事だったらしい。
 シュウはここでの武器関係の一切を取り持っていた。平山もよくは知らない所から、この世界でも簡単には手に入らない代物をやすやすと手に入れて来る。それに長く石橋に使えて来た家の事情からか、スナイパーとしてもかなりの腕を持っていた。
「あ、そういえば」
 またシュウが顔を上げて平山を見たので彼は向きかえった。
「何」
「どうやら成井が帰ってくるらしいですよ」
「成井が?」
「ええ、今石橋さん直々に迎えに行ってます、成田まで」
「へえ......」
「長かったですねえ、2年でしたっけ」
「香港に1年半、あとロスに半年か」
 平山は確認するように呟きながらコーヒーを啜り、2年間主のなかった部屋の隅のデスクを見つめる。
 成井一浩。この組の、そしてこの世界でも指折りの情報屋で、スナイパー。組長の石橋が全面的に信頼を置く、優秀な仕事人。地位的には平山の下だが、仕事上闇に通ずる成井は重宝されて幹部である平山と同じ、もしかしたらそれ以上の待遇を受けていた。
「随分急なんだな」
「そうですねえ.......」
 シュウは新聞をたたんでテーブルの端に押しやり、そこにあった鼈甲色の重厚なライターで煙草に火をつける。
「あれですかね、そろそろ本腰入れようってとこじゃないですか、木梨との抗争に」
「うん、まあ、そんなとこかな」
「あと、電話をちらっと聞いた限りでは、成井を木梨んとこに潜らせるらしいですよ」
「そのためにわざわざ帰って来るのか、ロスから」
「ええ、だって香港もロスも石橋さんの命で行った訳ですよね」
 時間をかけてゆっくりと煙草を燻らすシュウに、平山はいや、と否定しながらソファに腰を降ろした。
「ロスは、成井の希望で行ったらしいぞ。あいつが個人的に何か用があったらしくて」
「あ、そうなんですか.......お」
 ふとシュウが言葉を止めて平山の上を見上げる。平山が振り向くと、顔を腫らしたジェリーが少し笑って立っていた。
「平山さん、お疲れさまっす」
「ああ.......大丈夫か?」
 ジェリーは多少歪んだ二枚目の顔を掻き、人懐っこい笑顔で笑って言う。
「こんくらい平気っすよ。慣れてますし」
「だがいつもじゃ折角の二枚目が台無しじゃないか」
「でも今回はほんと、俺がヘタ打ったんで。しょうがないっすよ。それより」
 シュウのポケットから素早く煙草を抜き取ると、どさ、と勢い良くソファに座った。振動と拝借された煙草に、シュウが少し眉を寄せながらもやれやれとため息をつく。
「成井さん帰ってくるってマジっすか?」
「ああ、聞いてたのか、本当だよ」
「そのうち来るだろうさ、さっきあそこに電話してたし、石橋さん」
「『ロマネスク』か?」
「ええ。あそこに予約入れるってことは、本腰ってことでしょ、やっぱり」
『ロマネスク』は、会員制のギリシア風の作りのバーを兼ねたレストランだった。今まで重要な仕事の際にはそこに集まって概要を説明されることになっていた。
「ついでに、成井帰国祝いってとこかな」
「そうっすねえ、久し振りですねえ、成井さん」
 嬉しそうに笑って言うジェリーに、平山は目を細めて言った。
「嬉しそうだな」
「ええ、だって2年振りっすよ」
「お前は成井と仲がいいな」
「仲がいいっていうか........まあ、そうですかねえ」
 ふと、デスクの上の電話が鳴った。ジェリーがさっと立ち上がってそれをとりに行く。その後ろ姿を見遣る平山をシュウは目だけ動かして見た。
「..........平山さんは」
「ん?」
「成井、実は苦手なんでしょ?それとも嫌ってる?」
 ジェリーが「ああ、成井さん!!久し振りです!!」と声を大きくして電話しているのを聞きながら、シュウの問いに笑った。
「嫌いじゃないよ」
「でも、苦手でしょ?」
「まああまり話さないし、必要事項以外は」
 シュウは平山を伺うような目つきで見る。
「.........何」
「いや」
 一瞬見せたきつい平山の視線に、シュウは手を振って灰になった煙草を灰皿に押し付けながら言った。
「......やめときますよ、いくら年近くても、平山さんの方が上なんですから。失礼しました」
「気になる言い方するな」
「失礼な事言いそうになっただけですよ、ジェリー、成井何だって?」
 何か言いかけた平山を残して、シュウは立ち上がってデスクの前のジェリーに声をかける。
「ああ、何か渋滞してるから、先行ってて下さいって。6時に入れてあるそうですから。予約」
「そうか」
「服装整えてけって。あと俺顔直してけって言われちゃいました」
「今からじゃもう無理だろ、その顔は」
「もう少し冷やしてみますよ」
 シュウがネクタイを絞め直す。ジェリーは冷凍庫から氷を取り出すと、先程まで使っていたタオルにくるんで頬にあてながら、天然パーマの髪を鏡の前で適当に直した。
「あれ」
「ん?」
「平山さん、スーツ汚れてますよ、どうしたんですか」
 ジャケットの肘辺りに砂埃がついている。ジェリーの問いにドレッドの髪を弄っていた平山はああ、と笑って言ってそれをぽんぽんとはらった。
「さっき、捨てネコに掴まれてね」
「捨てネコ?」
 シュウが言葉を返す。
「木梨の傘下の下っ端にどこかの青年が絡まれててね、そいつを助けてやったんだが、その時ついたんだろう」
「そうなんですか.......」
 ジェリーが言いながら先頭に立ってドアを開ける。ジャケットを直して立ち上がった平山は、シュウを見た。
「まだ何か言いたそうだな」
「いえ、平山さんがそんなことするなんて、珍しいと思いましてね」
「うちの領域で余計な事されると困るからだよ」
「それだけですか?」
「それだけ?」
 聞き返す平山にシュウはあ、と気付いたように苦笑いする。
「.......また変な事言いそうなんで、やめときます。行きましょう」
「.............」
 3人は、バーの黒人に留守を頼んでパンと手を重ねあうと、重いドアを開けて出ていった。

 

 定刻6時。
 吹き抜けの壁に吊るされた大きな時計が、6つの鐘を鳴らす。
 外人の、髪に生花をあしらった女性に先導されるように、3人は予約されていたいちばん奥のVIPルームに通される。
「今、飲み物をお持ちします。石橋様より言い付かっておりますので」
 女性はそう言って足早に消えて行った。
「珍しいな」
 その姿を見送りながら、平山がぽつりと言う。
「え?」
「俺達に先に用意させるなんて」
「それだけ機嫌がいいってことじゃないっすか。成井さんが帰って来た訳ですし」
「石橋さんが呼んだんだよ、ジェリー」
「そうなんですか?じゃあ本格的に始めるってことっすね、木梨と」
「そうだな、ま、お前は気をつけろよ、一層な」
「はい、すんません」
 女性はすぐにやって来た。柑橘系のスライスした果物の浮かぶサングリアのグラスを3つ、テーブルに静かに置く。
「お食事は到着まで待てとのことです。間もなくかと思いますので」
「ありがとう」
 平山が極上の笑顔で言うと、女性は頬を少し赤くし、にっこりと笑みを返しながら会釈して去って行った。平山に限らず、普段から石橋組はここの女性の中、そして会員の中でもその際立った容姿が注目の的だった。
「ほんとにいいんですかね?」
「用意してもらったんだからもらっておくのが礼儀だろう」
「じゃあ、とりあえず」
 3人でカチン、とグラスをあわせる。
 一通り話をして寛いでいると、ノックの音がしてドアが開き、先程の女性が現れた。
「石橋様が御到着致しました」
 3人はざ、と椅子から音も立てずに立ち上がる。
「.......ジェリー、腫れはひいたか?」
「あ、はい、平気です」
「次はないぞ」
「はい」
 濃いグレーの上等なスーツをさらりと着こなした組長・石橋貴明は、綺麗にセットされた黒髪の間の瞳でジェリーを威圧しながら言う。一歩前に出たところで、後ろからもう一人、男が現れた。
「やっと、全員だな」
「成井さん」
 ジェリーが嬉しそうに声をあげる。
「おかえりなさい、お疲れさまでした」
「ああ、ジェリー、ただいま。留守御苦労さん」
 アルマーニのスーツに身を包んだスナイパー・成井一浩が薄い唇を上げて微笑んだ。
「おかえり」
「シュウさん、只今帰国しました。お元気そうで」
「俺は元気だよ、お前少し痩せたか?」
 シュウと言葉をかわす。
「そうですね、ロスでの生活がたたりまして。香港ではおいしいものいただきすぎて多少太りましたけど、これでトントンですね」
 成井は笑う。そして脇の平山の方を見た。
「平山さん、只今帰国しました。留守をありがとうございました」
「おかえり。御苦労さん。どうだった、2年は」
「きつかったですよ、いろいろと。まあその成果はあると思います」
 歯を見せて微笑む。しかしその憂いのある瞳が何かを含んでいて、平山は少なからずぞくりとした。
「まあ、座れ。話はそれからだ」
 様子を見ていた石橋が言う。それぞれがその声に椅子に腰を降ろした。先程の女性がワインを持って三たび現れる。
「お前の帰国祝いに特別に選ばせたものだ」
 グラスに注がれた液体を、成井はちらと石橋を見てからテイスティングする。
「.........俺の生まれ年のグラン・クリュ・レ・クロですかね」
「御名答」
 石橋は満足げに笑うと、全員のグラスにワインを注がせた。
「まずは2年ぶりの再会に乾杯だ」
 5人は、カチン、とグラスを合わせた


3  5
menu