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理恵の迎えを待つ間、成井は石橋達に時間をもらって理恵と向き合った。二人の後ろに煙草をくゆらすひろ美の姿。
「これからどうするの?」
「3日後に最後の検査をして、1週間後に退院なんです。それから、兄の父の親戚って人が私を引き取って下さるんで、そちらに行きます」
「そうか」
「大分人からは遅れてしまうけど、私学校へ行く。こんな歳だけど一生懸命勉強して、何か人の役にたつ仕事ができるようになりたい」
「理恵ちゃんなんてまだまだ大丈夫だよ。あそこにいるひろ美見てみな、あいつもう31なんだから」
「うるっさいわねー、一浩だって同じ歳じゃないのよ」
「男と女の年齢は違うぜ」
そう言ってにやりと笑う成井と、中指を突き立ててみせるひろ美を交互に見ながら理恵はくすくすと笑った。
「おもしろーい、成井さんとひろ美さんって。お兄ちゃんの言ってた通りだわ」
「ジェリー何て言ってたの?」
「成井さんに釣り合って、張り合えるただひとりの人だって。それに、私が想像してた通りのカッコイイ女の人だわ。私の王子様にお似合いの人だわ」
「あらあ、じゃあ私お姫様なのかしら、光栄ね」
「理恵ちゃん」
ひろ美にふっと笑ってみせてから、理恵に向き直る。
「はい?」
「.......ジェリーは君に、愛してると言ったよ。君は、言わないんだな」
「...........」
「大好き、って言ったね。さっき」
理恵はにこりと微笑んだ」
「だって兄ですもの。愛してるなんて、言えないわ」
「それは、ジェリーはほんとうのことを知らないから?知ってたら、言った?」
ほんとうのこと。それは先程理恵が棺に納めた薄い紙に記されていた。ジェリーと理恵の血の繋がりに関する重要な記載。しかしもうジェリーの旅立ちの荷物に加えてしまったし、成井も一応苦労して手に入れてきたものだ。もう、確かめる術もない。
「.......うん、多分」
「俺は余計なことをしちゃったのかな」
「そんなことない。だって、いつか会う時の切り札になるもの」
「切り札?」
「お兄ちゃんが知らなくて私が知ってるって、とっても凄いことよ。お兄ちゃんはこれまでずっと私の全てを見てきてたのに、このことは私しか知らないんですもの」
「.........」
「だから、例え真実がどうでも私は飯塚生臣の妹だわ。遠い未来に出会うその時まで。必ず私、お兄ちゃんのところに行くわ。天国でも、地獄でも」
「理恵ちゃんが地獄に行くようなことしたとは思えないけど」
「お兄ちゃんを困らせてたわ、それだけで重罪よ。だから、お兄ちゃんが地獄にいるなら私もそこへ行く。もし私が天国へ行けて、お兄ちゃんがいっぱい悪いことをして地獄にいるのだとしても、私が天国へ連れてってあげる」
入り口に白いワゴンタクシーがやって来た。理恵は立ち上がるとひろ美に助けられながら車椅子に座る。
「成井さん、ほんとうにいろいろありがとうございました。一生忘れません」
「ああ」
「お兄ちゃんのことも、忘れないわ。でももう泣いたりしません。頑張ってお兄ちゃんが最期に遺してくれた通り、強く生きていきます」
「それでいい。俺も、ジェリーの事は忘れないよ、理恵ちゃんも。でも、思い出さない」
成井はまっすぐに理恵を見た。
「ジェリーがいなくなった以上、もう君と俺達の世界とは繋がりがない。だから、もう思い出さない。万が一街で出会ってもこれからは何も関係ないよ」
「大丈夫です。私、成井さんが思う程弱くないわ」
「じゃあ、元気で」
「さよなら」
ひろ美に押されて車椅子が去っていく。やがてその姿は車に吸い込まれ、そしてその車も視界から消えた。成井が煙草を取り出して火をつけたところで、ひろ美が戻ってくる。
「貴明さん達呼んでくるわね」
「ああ」
石橋達はすぐにやって来た。既に横付けにしてあった車にそれぞれが乗り込んでいく。成井が最後に乗って、ウインドウを開けるとその外側にいるひろ美を見上げた。
「後頼むな」
「はいはい任しといて、どーせヒマだから」
そう言ってひらひらと手を振るのを見て、成井がウインドウをあげる。と、半分程あがったところでひろ美が思い出したように声をあげた。
「あ、ちょっと待って。忘れてた」
「何」
「どうでもいいかもしれないけど、一応言っとかなきゃ。ごめんね、一浩にも貴明さん達にも無断で、私ちょっと遊んじゃった」
その言葉に石橋がひろ美を見る。
「何やらかしたんだ?まあひろ美ちゃんのことだから大層楽しい『遊び』だろうけどよ」
ふふ、とひろ美は石橋に笑った。
「一浩に倣ってみようかなって思って。大原くん死んじゃったでしょ?あのコ、ひとりじゃ可哀想だろうから」
「ひでえ女だなあ」
「私が直接やったわけじゃないから、生きてるか死んでるかは分からないですけどね」
「......あんま余計なことすんなよ」
成井は抑揚のない声で一言そう言ったがその顔は満足気で、平山は思わず眉を寄せ、シュウは肩をすくめる。
「それだけ。じゃあね一浩、愛してるわよ」
「俺もだよ」
「......まったく仲のよろしいことで」
石橋の声を残して、車はゆっくりと去っていった。
「しかしほんっと敵にしたくねえ男だな、お前は」
事務所へ戻って来てネクタイを緩めながら、石橋は成井に向かってそう言った。ソファでシュウと平山の向かいに座っていた成井は首を回して石橋を見る。
「なんですか今さら」
「あれでもジェリーは俺が見込んで連れて来た男だ。星野が相手とはいえジェリーが劣ってるとは思えないし、今までのこととお前の命令考えりゃ気ィ抜いたとも思えん。お前、憲武んとこでなんかやってきたろ」
「ああ、それですか」
成井は足を組むと、深くソファに身体を沈めた。
「向こうにいた時にバラして来ましたよ、ジェリーの弱点は妹だって。人質にとるまで頭はまわらなかったようですが、星野が戦闘中にそれを口に出したりはしたんじゃないですかねえ?」
その言葉に平山も、そしてシュウもさすがにぎょっとして成井を見つめる。
「やっぱりか。あっちにそんなしっかりした奴がいるとは思えなかったが、お前が言ってたんだな」
「最初に伝えたのは高久だったんで、それを高久が星野に伝えて、果たして星野がそれ使うかどうかは賭けでしたけど。まあ星野だって自分の元締が大事でしょうからね、毎回そんなん構っていられないでしょう」
石橋と成井の会話に、シュウは何気なさそうに視線を逸らした。自分を凝視する平山に気付いて成井は平山に向き直る。
「なんですか?平山さん」
「成井.......お前ってほんとに......」
「言っときますけどね」
成井は煙草を唇のはしに銜えた。
「平山さんも、あとシュウさんももしかして勘違いなさってるかもしれないですけど。俺とジェリーは別にお友達じゃないですよ。お二人から見ると仲が良く見えたのかもしれないですが、俺もジェリーもそんなつもりで一緒にいたことはありません。物足りないことは物足りなかったですがそれでもジェリーはよくやってました。そういう部下がくっついてくるのを振り払う理由はないし、それも面倒だからそのまんまにしてただけですから」
「.........」
「ジェリーがいちばん良くそれ分かってました。だから理由は妹のためであれ、全力を尽くしてくれたと思ってますよ。ま、只でさえ数で劣ってるのに人員減ったのは痛いですが」
「成井」
平山はたまらず手を伸ばして成井の煙草をすいと抜く。
「お前、ジェリーの死をそんな風にしかとれないのか」
口に出してから平山はふと気付いた。以前にもこんな台詞を言ったことがあったと。それを思い出して一瞬間を置いた平山の手から成井は煙草を奪い返して再度銜え、火をつける。
「......あなたがあんな失態見せなければ、それもなかったかもしれないんですけどね」
「!.......っ」
「そんくらいにしとけよ」
堂々回りの議論を終わらせようと石橋が口をはさんだ。
「お前からみりゃ一般論なのかもしれないがな、少なくとも俺や成井からしたらくだらないことなんだ。一時の情に流されるようじゃな。だが、ジェリーの生き方はともかく、よくやってくれた方だ。最期まで自分の意志で向かっていったんだからな。一種のプライドだよ。プライドを捨てた極道は、只のクズだ」
「............」
「ひとり減ったんだ、いい加減お前もだらだらしてんじゃねえぞ。そろそろちゃんと働いてもらう。分かってんだろうな、平山」
シュウを見、平山を見る。シュウは何も言わず、いつも通りの表情で石橋を見返した。
「分かってます」
平山は石橋にそう返してから、身体を屈めて開いた両足に腕を乗せる。そうやってしばらく床を見つめてから、ゆっくりと成井の方を仰いだ。
「.........分かってるよ」
「分かってくださってるなら結構です。力のあるあなたなんですから、手抜いたりしたら俺があなたを殺しますよ」
「嫌って程それは理解してるつもりだよ」
「ならいいです。これ以上俺を幻滅させないで下さいね」
成井は煙草を灰皿に押し付ける。
「さて。どうしますかね」
「向こうはどうなってっかな。憲武にとって大原を失ったことは精神的にかなりショックだろう。神波は残念ながらまだ生きているみたいだが」
「こっちも一応コマが減りましたからね、ちょっと立て直して様子見ますか」
「お前がそう思うならそれでいい」
「じゃ、貴明さんちょっと待ってて下さい。シュウさん平山さんちょっと。こないだ渡したやつ、ちょっと直してみますから」
「あいよ」
「分かった」
石橋はキ、と椅子を鳴らして窓側に身体を向けた。
ジェリーがいなくなったという事実。
それは石橋組にとって人員が減ったというだけの理由ではなく、彼らがさらなる修羅への道を進むことになったということもを示していた。ジェリーの人間としての存在は可も不可もなかったが唯一彼らを仕事以外の感情で繋ぎあわせるものだったかもしれないから。羨むべき過去の自分の投影、身分違いにも瞬間望んだ今の自分とは違う生き方、理解し命を賭けてくれた相手への歪んだ優しさ。
もう、ジェリーがいない今となっては全て意味のないものなのだけれど。