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「大原、ビール」
「あ、ありがと」
部屋へ戻って来て順番にシャワーを浴びた二人は、ビールを空けながら畳に腰を下ろした。軽く缶をあわせてからお互い一気にそれを飲み干す。
「はー......」
「しかし、凄い人が入って来ちゃったね」
「......うん」
大原の言葉に神波が曖昧に返すと、大原は不思議そうな顔をした。
「どしたの?」
「あ、ああ、なんかまだ信じられなくてさ、あの人」
「んー......そうだね、何せ石橋さんとこの人間だしねえ」
「そんなに凄いとこなの?石橋組って」
大原は2本目のビールをテーブルに置きながらうん、と頷く。
「いろいろあって憲武さんとは長く対立してんだけどさ、もう血も涙もないってカンジ。結構あくどい事もやってるみたいだし。特にあの成井さんて人はさ、半田さんも言ってたけどあの世界ではトップクラスの人なわけ。てか、石橋さんとこってみんながみんなその道のトップクラスなんだけどさ」
「へえ.....」
「少数精鋭なんだよね、向こうは。傘下の人間も少ないし」
「うちとは正反対なんだ。......まあ、正反対じゃなかったら対立しないだろうけど」
「そうだね」
「神波、疑ってるんだ、成井さんのこと」
「だってそんな凄いとこの、しかもトップクラスの人なんだろ。探りに来たとしか思えなくて。........俺なんかが言うことじゃないんだろうけどさ」
「でもあんなにやられてんだよ?いくら石橋さんとこだからって、あそこまでやってスパイなんかさせないと思うけどな。神波から見たって凄いって思ったでしょ、あのやられ方」
「う......ん......アレは、酷いね」
「大丈夫だよ、もしもの時は人質にも出来るって星野さん言ってたじゃん。半田さんも情報探ってみるみたいだし。きっと向こうを潰す足掛かりになるって」
「そだね」
「それにしても、ほんとあれは酷いよ。身内にあそこまでやるなんてさ。俺、ああいうのって見たことないから正直びびっちゃった」
大原の言葉に神波はふと思い出したように言った。
「そういやさ」
「うん?」
「聞いてもいいのかな、なんで大原ってここにいんの?気に障ったらゴメンだけど、大原がこんな世界にいるのってどうも納得行かなくて」
「あはは、最初に会った人は大抵みんなそう言うよ」
「そりゃそうだよ、見かけからは想像つかないもん。星野さんなんか、モロって感じだけどさ」
「星野さんて昔族の本部長だったんだってよ」
「......うわ、俺の先輩か」
「当時は鴨川の星野っつったら族ん中じゃ知らない人いないくらいだったんだって」
「凄えな」
「んで高久さんは星野さんを慕って入って来たんだって。半田さんは憲武さんの古い知り合いでさ、誘われて」
「ふーん......」
「俺はね」
昔を思い出すように笑って、大原はその場に横になる。
「憲武さんには、恩義があるんだ。一生かけても返しきれないくらいの恩」
「.........」
「俺ん家って不動産屋やってたんだけど、親父がイカサマバクチに巻き込まれちゃってさ、すんごい借金作っちゃったの。手形とか持ってかれて、それでも足りないくらいの。んで親父は逃げちゃって。妹は借金のカタに連れてかれたし。俺とお袋ともうどうしようもなくて、心中しようってとこまで来てたわけ」
「心......って、それ、って.....」
「もう逃げる術もなくてさ。そこまで追い込まれてたんだ。そこで助けてくれたのが、憲武さんだったんだよ」
神波は大原を見つめた。
「お袋の若い頃の知り合いだったらしくて。俺全然知らなかったんだけど。で憲武さんがうちの借金全部肩代わりしてくれたんだ。いろいろ面倒見てくれたし、まるで憲武さんが親父みたいだったよ、ずっと」
「...........」
「だからさ、俺はある時決心したんだ。この人のために自分を捧げようって。あんな酷い家庭状況だったのに高校まで無事出れたのも憲武さんのお陰だし、妹も戻って来たし、お袋も元気になった。男は俺だけだからさ、そういう恩て男が人生賭けて返すしかないじゃん」
「.......うん」
「あの人のためなら俺は命賭けてもいい。あの人に救ってもらって俺は今生きてるんだから」
「.........凄いね、大原」
「死ぬ気になれば何でも出来るよ、神波だってそうでしょ?」
「ああ、そうだね」
自分がここに入った時のことを、神波は思い出した。帰る場所も守るべきものも一度全て失った自分。なくしたなら、また一から始めればいい。星野に救われた命を、ここのために、そして自分の為に使えばいい。もう何も恐れるものなんてないんだから。
「でも大原はいいな、家族がいて」
「何言ってんの、いるでしょ、神波にも」
「え?」
「俺達。.......なーんてね」
大原はあの、人懐っこい笑顔を見せてそう言った。神波は照れたように笑う。
「......ふふ、そっか、そだね」
「それか、これから作ってけばいいじゃん、家族」
「何言って.....あ、それで思い出した」
「ん?」
「お前、彼女いんだろ、どこで知り合ったの」
「あちゃあ、そっちに行くか、話が」
照れくさそうに頭を掻く大原を、神波は冷やかすようにつついた。
「いいじゃん、俺、あんな生活送ってきてたじゃん?だから縁ないんだよ」
「店行けばかわいいコいるよ」
「店って.......ああ、大原の彼女もそこのコなんだろ、あ、そこで知り合ったのか」
「うんまあ、そうだね」
大原は体勢を変えて俯せになると、顎の下で手を組んで天井を見上げる。
「やっぱさ、最初は戸惑ってたんだよ、こんな世界だし。その時にね、彼女が声かけてくれて」
「写真とかないのー?」
「あ、小さいけどあるよ」
神波がせがむと大原は照れながらも携帯電話に貼られたプリクラを見せてくれた。
「うわ、かわいいじゃん」
「だろー?」
「ちっくしょ、ノロけやがった。名前なんて言うの?」
「和恵」
「和恵ちゃんかあ、会いたいなー」
「今度さ、店連れってもらう時に会わせるよ。星野さんの彼女にも会えるよ」
「うん」
「ついでに、神波もいい相手見つかるかもしれないし」
「いや、俺まだ女の子とつきあったこともないし、いきなりそんな華やかな世界の人っつーのは.......」
「照れない照れない」
「うっせーな」
二人は笑いあう。
「舞さん.....ああ、星野さんの彼女ね、舞さんから美人ぞろいだから、期待してて」
「.......うん」
「そろそろ寝よっか」
「そだね」
大原は起き上がると散らばった缶を片付けた。その間に神波が布団を敷く。
「目覚ましセットしてある?」
「おっけおっけ」
「じゃ、おやすみ」
「おやすみー」
大原が襖を閉めたのを見て、神波は明かりを消した。
クラブ「ripple
ring」。
店の規模はそんなに大きくはないが、木梨憲武のシマの中で一流のレベルのホステスの揃う店。20代のホステス4人を最年長の舞がうまくまとめている。
「よっ」
「あら、教昭いらっしゃい。あ、そのコが新入りくんね」
「あー星野さんいらっしゃーい。きゃあ、かわいー」
星野が高久、神波、大原を伴って店内に入ると、ホステスが一斉に寄って来た。
「星野さん星野さん、紹介して下さらないの?」
「おう、神波、おねーさん達に自己紹介しな」
「あ、え、えと、神波憲人、です」
「神波くんだってえ、かーわいいー。あ、あたし敦子」
「敬子よ」
「志帆でーす」
次々に挨拶されて、神波は固くなる。
「和恵です」
「あ......大原の.....」
「なんだ、隆言ってあったの?」
「うん、今度行く時会わせるからって。どう、神波?」
「......本物の方が、かわいいよね.......ちっちゃいし......」
「だろー?」
大原が和恵を抱き寄せて言うと、彼女は頬を染めて大原を叩いた。
「やあだ、隆ったら」
「ほらほら神波くん、こっち座って座って」
ホステス達が神波を呼ぶ。和恵に促されて神波が中央のテーブル席に座らされるのを、カウンターで高久は羨ましそうに見た。
「あーあー、いいなあ、若いやつはちやほやされてよ」
「でもほんとかわいいわねえ、うちのコ達の反応も思った通りで楽しいわ」
「神波にはあのねーさん方はちょっと毒だろ」
「そうね、なんだか押されてるみたい」
星野と舞もテーブル席を見て笑う。
「やっぱ俺くらいじゃねえとよお」
「だめよ、高久くんすぐ手ぇ出すから」
「おいらなりのスキンシップなのによー、なんで分かってくんねえかなー」
高久がぶつぶつと呟くのを聞きながら舞は星野に向き直る。
「今日は連れて来てくれなかったのね、成井くん」
「ああ、半田と留守番してるよ」
「あら残念。会いたかったのに」
「いい男だぜ、俺程じゃねえけどな」
「はいはい、分かってるわよ」
大原と和恵の隣で神波はホステスに囲まれながら次々と浴びせられる質問にしどろもどろになりながら答えている。舞は星野と高久にグラスを差し出してから、煙草に火をつけてくすりと笑った。
「暫く楽しめそうね、神波くん争奪戦」