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小さなつむじ風が路面の埃をまき散らして、ぼんやりしていた神波はふいと顔を背けた。
あれから1週間程。
神波が真実を探すため必然的に巡り会った家族と過ごしたあの場所は、行ってみると跡形もなくなっていた。おそらく高久と神波が出ていったあと星野が処理をしたのだろう、少々残っていたのは黒く焼けこげた家屋の残骸のみだった。誰もがいなくなり、そして思い出だけが神波の中に残った。高久から貰った彼にしては地味めのアロハ。部屋に残っていた大原の腕時計。半田から渡されたトカレフと、ちょっと大きめのキャップ。星野に手渡されたカードと、貰いもののブレスレット。木梨がくれた使い込んだジッポ。全てを油のしみ込んだズダ袋に放り込んで、また神波は行くあてもなく佇んでいた。
季節を巡って初めてここに来た時のことを思い出す。
あの時の自分は何もかもに絶望していた。この街に辿り着いたのは本当に単なる偶然だったろう。その偶然が大きな可能性を連れて来た。自分でも何か出来るのだと、存在していてもいいのだと、自分にしか出来ないことが見つけられるかもしれないと。
流れる血、感じる痛み。それが『生きている』証拠。
そしてそれを実感させた、あの時出会ったあの男。
『ここはお前みたいなやつがいる街じゃない』
お前みたいなやつ。そう、彼は言った。自分はこの街に似合わないと。
はっきり言われて逆に腹が立った。それならばあえてとこの街を選んだ。似合うか似合わないかなんて他人にそう簡単に分かるものじゃない。これは偶然じゃないのかもしれない。何かここで探してみよう、アウトローまで選んでも見つからなかった自分の真実を探してみよう、そうして神波は木梨達と会った。真実を探す旅の入り口へと。
しかしその道は思い掛けない形で途切れてしまった。
自分は間違っていたのだろうか。あの時彼に言われた通りこの街から去っていればよかったのだろうか。そうしていれば当然こんなことにはならなかっただろう。でも、こうならなければ分からないこともたくさんあっただろうし、何より彼らに会うこともなかっただろう。
神波は今度こそ、自分で選んだ道を後悔したくなかった。彼らに出会えたのは運命だったと、必然的だったと信じたかった。
星野が言った。ここで生きた時間は必ず自分の人生の宝になると。
それは神波も確信している。だが、その宝を持って、自分はこれからどの道へ行こう?
どうすれば次の旅を始められるだろう?
から、と空き缶か何かの転がる音がして、神波は音の方向を見遣った。その向こうにひとつの人影。『彼』は神波を認めてゆっくりと近付いてくる。
「......また、会ったな」
『彼』平山晃哉は、そう言って微かに微笑んだ。
古い牛革の鞄を持った平山は神波に数メートルの距離を残して止まり、鞄を足下に下ろして側の電信柱にもたれ掛かった。ポケットから煙草を取り出し火をつけて、うまそうに煙を吐き出す姿を神波は見つめる。
「サングラスしないとそんな顔なんだね」
「ないと違う顔に見えるか」
「......よっぽど、あなたの方がこの街に似合わないように見える」
平山はふっと笑った。
「そうかもな。だから、もうあれはいらないんだ。する必要なくなったんでね」
「ふうん」
さして興味もなさそうに返事を返す。手持ち無沙汰に棒切れでがりがりと地面を掻いている神波を見て、平山は切り出した。
「お前んとこの他の奴らはどうしたんだ?」
「どこか行っちゃったよ。星野さんも、高久さんも。俺は星野さんに着いて行きたかったけど、お前は連れて行けないって言われちゃった」
「..........」
「半田さんも大原も憲武さんもいなくなっちゃったし、もうみんなバラバラ。俺はひとりっきり。あなたのボスはさぞ高笑いでしょうね」
「そうでもないよ。じゃなきゃ、俺は今こうしてない」
「あなたはどうして.....?」
神波は手を止めて平山を見上げる。
「石橋さんはね、木梨を自分の手で仕留めることが最終目的だったんだ。あの組を潰すってのは単なるお題目。だから、それが叶わなくなってあの人はこれ以上あのまま進む理由がなくなった。同時に俺達を働かせておく理由もね。あの人のことだからいろいろ知ってる俺達は消されるかなとも思ったけど、意外にもそのまま放り出されたよ。もう自分の前には現れるなと。うちもみんなバラバラさ。まあ、そっちと違って誰がどこに行こうと何も関係ないけども」
「............」
「......成井にやられた傷はもう平気なのか?」
言われて改めて神波は腹部に軽く手を当てた。傷は深かったが自分でも恐ろしい程の早さで回復し、無理をするとたまに痛むが生活するにはなんともない。名誉の負傷とまでは行かないが、神波としては何かかけがえのないものだと自分で思っている。痛むということは生きている証。大原の分も背負った命。
「ええ、お陰さまでこの通り生きてますよ」
「そんな風に言うもんじゃない」
平山はそう言って眉を寄せた。
「今言っても仕方ないことだが、木梨一人潰せりゃよかったんだから、下のお前みたいなのまでわざわざ殺ることはない。俺はそう思っていたんだが、まあ成井がああだからな」
「........」
「そっちでは、成井はさぞ優しかっただろうな。ずっと着いて来たボスと俺達に捨てられた可哀想な男として」
「見事に騙されましたよ」
「お前だけだろう、表と裏の成井一浩を身近で感じたのは」
「.....そうですね。恐ろしい人でした」
「俺もずっと思っていたよ。成井程恐ろしい人間....いや人間とは思えなかったな、あんな奴が存在するのかと。今までがむしゃらにやって来た分、それがこれからなくなるというのは少し寂しい気がしないでもないが、もう成井に会わなくていいと思うと大分気が楽になる」
平山の言葉に神波は目を丸くした。確かに石橋組は個々がそれぞれのペースで動いていて、自分達と違って仲間意識というのはほとんどなかったとは聞いていたけれども、ひとつの目的のために共に行動していた人間を、そしてボスである石橋のお気に入りだという成井をそこまで言うとは。
「俺は成井とはソリが合わなかったんだ」
神波の表情に気付いて平山はふっと笑った。
「長い間やって来たけどどうしても成井は好きになれなかったよ。苦手だった。正直言うと、石橋さんに特別待遇受けてたやっかみもあったかもしれない。あいつ裏社会ではパイプ広かったからな、まあそれはしょうがない。それよりも、あいつの生き方に共感出来るところがどこにもなかった」
神波は成井が木梨組にいた頃、ちらりと聞いた過去を思い出す。
「成井は人を殺すことが生き甲斐だった。石橋さんに言われて、あるいは言われなくても自分で必要だと思ったら容赦なく殺した。敵も味方も関係ない。見ただろう、成井がそっちにいる時ばったり出会って、俺に本気で銃口を向けたのを」
「......ええ」
「成井の境遇には多少同情はするけども、だからと言って成井の全ては受け入れられない。俺と成井は何もかも違い過ぎた。俺が成井を理解出来無かったように、成井からすれば俺みたいのは理解出来無かっただろうな」
「........」
「成井は俺が嫌いだったんだよ。仕方ない。俺もこんなんでよくここまでやって来たと思っている。石橋さんにも、他の奴らもきっとそう感じていた。......俺は、果たしてここにいていいのだろうかと、任務をこなすたびに考えてた」
「え..........」
煙草を靴の裏で消して、平山は続けた。
「俺には親友がいてね、ずっと一緒だった。二人で何かやらかそうっていつも言ってたんだ。その親友が突然石橋さんのとこに入ってしまって、連れて帰ろうとしたけど出来無かったよ。そのうち小さな喧嘩で命を落とした。その葬式で石橋さんに会って、誘われたんだ。あいつがどうしてうちに来たか知りたきゃ、自分で確かめてみろってよ」
「じゃあ、あなたは」
「俺も元々は外部の人間だ。あの時、お前にあんな大層な事言えるような立場じゃなかったんだよ」
「.............」
「ここはそれまでの何もかもと違っていた。石橋さん、成井、それからシュウとジェリー.....ああ、うちの組員だな、あんな人間にも初めて会った。元の世界にいたら一生会わなかっただろうと思う。そんな中で俺は探していたんだ......長い間一緒にいて、何でも分かり合ってたと思ってた親友が、俺を置いてまで欲しかった真実が、何なのかを」
遠い空に思いを馳せる。志半ばで逝った、親友。
「俺に頼らずあいつはひとりでやろうとした。所詮人間はひとりだ。いつかひとりになった時に確かに力になるものをあいつは探してたんだ。この、それまでの人生とは全く関わりのない死と隣り合わせの世界でな。俺は奴の後を追ってここへ来たけど、俺は奴程ひとりにはなりきれなかったよ。割り切れなかった。他の奴ら程全て捨てられなかった。ただ言われるままに任務をこなしていた。もし、俺が木梨の方に入っていたら、もっと楽だったのかもしれないな」
「......それで、あなたは真実を見つけられたんですか.....?」
「多分な。死んだあいつのことはもう分からないが、あいつがここへ来た理由が少しでも分かっただけそれが真実だと思っているよ。成井から見たらくだらない理由でも、それが俺の意志なんだ。それだけは確かに全うした。最後までね」
「............」
「お前は、どうなんだ?」
平山は黙り込んだ神波をふと見下ろして聞いた。
「お前は木梨んとこで、何か見つけられたのか?」
「........分からない」
首を振って、また地面に視線を落とす。
「ここに来たのだって偶然だったんだ......あの時関口さん達にやられたのも、あなたに助けられたのも。あのままやられちゃってもいいやって思ってた.....それが、あなたみたいな人に助けられて、逆にむかついたんだよ」
「.........」
「そこまで言うなら自分でなんとかしてやろうって思ったんだ。俺はそれまで何かに流されるまま生きて来たけど、ここでなら自分からすすんで何か見つけられるかもしれないって。カッコつけて悪ぶって自分本意にやって来たけど、変われるかもしれないって、高久さんや星野さんや半田さんや大原......憲武さんに出会って、そう思ったんだ」
「.....俺が声かけなきゃ、どうなってたんだろうな」
「あのままのたれ死んでたでしょう」
「これで良かったと思ってるか?」
「.......できればこんな悲しい思いとかはしたくなかったけどね」
神波はそこで一旦言葉を切ってポケットに手を突っ込んだ。つと固い紙の感触を感じて、それをくしゃりと握りしめる。
「俺はまだ20年ちょっとしか生きてないけど、生きてればそんなこと山程経験するんだろうし。それにあの人達と生きた時間を俺は忘れない。俺はここに来るまで自分を育んでくれた家族はもう忘れた。捨てられたも同然だから、もう忘れることにしたんだ。ここでの新しい家族との生活は幸せだったよ。一緒にいる目的はあんな血生臭い理由だとしてもね。初めて俺は自由になれたよ、それから....誰かのために頑張ろうなんて、頑張って生きようなんて、生まれて初めて思った」
「.........」
「それまでは生きてくなんて当たり前だったんだもんね、それがこの世界で死を目の当たりにして、生きるってすげえ大事なことだって分かったよ。自分の命が誰かの命を繋ぐ、自分が生きてることが誰かのためになるなんて、知らなかった。それを、あの人達が教えてくれた.....だからずっと、一緒にいたかった.......」
『Do
you find the
trurh?』
俺の真実は。
あの人達がいたからこそ、それを探す旅を続けられたのに。
「......分かんないよ、どうしていいか、分からない......星野さんはもっと先へ進んで自分の真実を探せって言ったけど、みんながいない今、もうどうやって進めばいいのかさえ.....」
「そこからは、お前が自分でなんとかするしかないな」
平山はまっすぐ神波を見て言った。
「木梨達はそのきっかけを作ってくれたに過ぎない。彼らの役目はもう終わったのさ。自分で家族捨てて、運命的に奴らと出会ったんだろう?それは間違い無くお前がお前自身の力で勝ち取ったものだ、必ずそこから何か新しい道が見つかるよ」
「.........」
「星野は言ったんだろう?ここで過ごしたものがお前の宝になると」
「.....ええ」
「それこそ真実だよ。いつまでも彼らに甘えてちゃいけない」
「だけど」
こみあげてくる何かをぐっと耐えて唇を噛む。
「いきなりこんな風になっちゃって、どうしていいか分からないんだよ.....」
「子供だな。誰かいないと自分の進むべき道も見つけられないのか」
「そうだよ!俺はどうせまだガキだよ、あなたとは違うんだから」
「.........」
思わず強い口調で言い返してしまって神波ははっとするが、平山はたいして気にもせず黙って遠くを見つめた。しばし沈黙が流れ、神波は恐る恐る平山を見上げる。
「.......あなたはこれからどうするの?」
「俺か。ここにいてもどうしようもないし、うっかり石橋さんに会いでもしたら殺されちまうからな、故郷に戻ろうと思っている。お前と一緒で家はないが」
「どこなの?」
「北海道」
「そう」
平山は前を向いたまま、小さく言った。
「.......お前も一緒に来るか?」
「え.......?」
「あの時会ったのも、こうして会ったのも、何かの縁かもしれないしな。それにいくら俺でもどうでもいい奴ならたった一度会った奴に再会して動揺したりはしなかったかもしれない。多分、自分を見てるようでほっとけなかった。こんな街にいる自分をね」
「...........」
神波はぽかんと口を開けたまま平山を見つめる。と、遠くで銃声がして二人ははっと音の方向を向いた。それは次の道を決めるための合図だったかもしれない。
今ならまだ戻ることも出来る。再びここで何か探してみるか。それとも、新しい道を探してみるか。
答えはひとつだった。
「........うん、行くよ」
そう言って、ポケットの中の手に力を込める。最後の決戦の前、みきから貰った一枚のポストカード。
みきちゃん、俺の真実はまだ見つからないみたいだ。
だけどそれを探すために、新しい道へ俺は進むよ。
「そういや自己紹介もまだだったな」
立ち上がった神波を見て、平山がふと呟いた。
「.....そういえば」
「お互い人づてにしか聞いてないな、名前」
「ええ」
神波はズダ袋を背負いなおして笑う。
「しかも名字だけだったし。神波、憲人です」
「平山晃哉だ」
また遠くで銃声が聞こえた。それを合図に、今度こそ二人は次の世界へ足を踏み出す。
お互いの胸に新たな始まりの鐘が鳴る。
詩人のように傷ついた心いたわる者に
輝いてる清く強く 199X
(了)
(歌詞引用 詩人の鐘 作詞 浜田省吾)