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 ネオンと嬌声、扇情的な視線を流す女達、呼び込みの男、様々な年令の老若男女が行き交う街。
 決して心を通わす事のない街。そして、そこからしばらく入った、裏の大通り。
 ぼろぼろのズダ袋、油の染み付いた作業着、穴の開いたスニーカー。唯一高価な持ち物であるクロムハーツのダガーペンダントを首に下げ、足を引きずるようにして、一人の男がやってきた。茶色のくせっ毛の髪と、小さな風貌は、まるでこの街に似合わなかったが、全てに絶望したような虚ろな瞳だけが、薄汚れた空気と調和していた。
 男は目的もなく、行く場所もなく、ただひたすらに歩いていた。ふと、足に風に転がされてきた空き缶が当たる。男はそれを拾って、近くにあったゴミ箱へ向かって投げた。しかしそれは、男の定まらない心情をあらわすかのように、コン、とゴミ箱の縁にあたって外へ落ちる。
「......ちっくしょおお!!」
 そんなささいなことにさえもいらついて、男はゴミ箱を勢い良く蹴飛ばした。散らばったゴミが、自分の気持ちを表しているようで、もう1度ゴミ箱を蹴飛ばすと、ズダ袋を背負い直して、また行くあてもないのに歩き出す。歩いていないと、とにかくどこかへ向かおうと思っていないと、身体が、心がどうにかなってしまいそうだった。

 男の名は、神波憲人といった。ごく普通の家庭に育ち、普通に高校まで進学したが、ある時、軽い気持ちで暴走族へ入り、別のチームとの争いでその争っていたチームの一人を殺してしまい、少年院へと入る事になってしまう。彼はそこで興味本意で悪に憧れた自分の愚かさに気付き、精一杯努力して刑期を務め、出院した。しかし家族は、彼を受け入れてくれなかった。比較的地位の高い仕事についていた父親と母親は、『少年院に自分の息子が入ったなんて、御近所に顔向けできない』と彼を嫌悪し、面会に来る事もなかったのだ。彼はそんな両親を見返そうと、また振り向かせようと、真面目な仕事について人生をやり直しはじめた。が、そこでも世間の偏見が待っていた。どこからか彼が「そういう事情」を持っている事が雇い主に知れ、ある日突然解雇されたのだ。もう帰る場所がない。どこへ行けばいいのかも分からない。仕事場にあった少々の荷物を担いで、少しばかりの金を持ち、彼はいつの間にか、この街へと流れ着いていた。

 

 行くあてもなく、ただ道の続くままに足を進めていた彼は、ふと、前から近付いてくる喧騒に顔をあげた。3人の、いかにもな風貌をした男達が、何やらバカ笑いしながら向こうから歩いてくる。一瞬気になったが、それはほんの一瞬で、すぐにそこから興味をそらし、また下を向いて歩いて行く。案の定、前も見ないで歩いていた彼は、3人のうちの1人と、肩が当たってしまった。が、もちろんそれを向こうが黙っているはずもなく、ぐい、とズダ袋を掴まれる。
「おい、兄ちゃん、ぶつかっといて挨拶無しかい」
 3人の中でもっとも愛嬌のある顔の男が、優しい口調で彼に問いかける。映画か、ドラマのようなシチュエーションに、彼は思わず口元で笑ってしまった。その様子が鼻についたのか、別の、少し二枚目の男が彼を見据えた。
「何笑ってんだよ、挨拶無しかいって、聞いてんだろうが」
「.......悪かったよ」
「あ?」
「悪かったって、言ってんだろうが、うるせえな」
 口調にいらついて、思わず彼もぶっきらぼうに言葉を返してしまう。その態度に、もう1人の眼鏡をかけた目の鋭い男が彼をどん、と突き飛ばした。
「おいおい、ぶつかってきたのはそっちだろうが、何だよその態度は」
「ふん、お前らみたいな奴に謝るのにどんな態度が必要なんだよ」
「......何だと」
「俺急いでんだよ、どけよ」
 彼はそう言ってその場を去ろうとする。しかし男達が黙ってはいなかった。彼の肩を掴んで立ち止まらせると、胸倉を掴む。
「てめえ誰に向かって口聞いてんだ」
「うるせえな!お前らに聞く口なんか持ってねえよ!!」
 彼は素早く身を離すと、その男を殴りつけた。ふいを突かれた男はもろに顔にパンチを浴び、地面に崩れ落ちる。挑戦的なその態度に残りの2人は驚くが、すぐに1人が殴り返した。よろけた彼をまたもう1人が殴る。過去の経験から初めのうちは上手く対応していた彼も、3人に囲まれてはどうしようもなく、やがて地面に沈む。その彼を、男達は容赦なく足蹴にした。最初は抵抗していた彼も、身体に広がってゆく痛みに、もう全てがどうでも良くなっていた。

 (もう何だっていい。どうせ行く場所もないんだ。生きていてもどうしようもないんだ)
 だんだん霞んで行く意識の中で彼はそう考えながら、ある過去を思い出す。

『あんたをそんなふうに育てた覚えはないのに。あんたはうちの恥さらし』
『まっとうに育ててやったのに、どうして私達を苦しめようとするの』
『ちょっと困るんだよねえ、ここで騒ぎ起こされちゃあ、更生したなんて分かったもんじゃない』
『人一人殺してるんだって?そんなひとをここには置いておけないなあ、悪いけど』

 身体中の痛みが、彼の意識を遠い世界へと誘ってゆく。もうこのまま、いなくなってしまいたい。生きていても仕方がないなら、いる場所がないなら、このまま............

 

 と、急に自分を囲んでいた気配が遠くなった。変わりに少し離れた場所で、鈍い、人を殴りつける音がする。彼はその音の方向を見ようとするが、殴られて腫れた目と痛みで、それが出来なかった。
「何だてめえ、こいつの仲間か」
「......お前らこそ、ここで何をしている」
 誰か別の男の声がした。必死で目を開けると、彼の目にも分かる上等のスーツを着た男が目の前に立っていた。
「ここだとお?ここはお前の土地なのかよ、え?」
 街の空気にそぐわない、スーツにスパイラルパーマのその男の言葉に、眼鏡の男が言う。が、改めてその男を見直した2枚目が眼鏡の肩を掴んだ。
「や、やばいっすよ、こいつ、石橋の組の奴っすよ」
「な、何?」
「俺見た事あるんです、こいつが石橋のあとついて歩いてるの」
 うろたえる3人の男達に、スーツの男は表情を変えずに言った。
「ここはうちの領域だ。勝手に争いを起こされちゃ困る。命が惜しかったらさっさと出て行け」
 その言葉に、3人は身を翻して去って行った。男はそれを見遣ると、こちらを振り向いた。
「.......大丈夫か」
「大丈夫じゃないくらい、見て分かんだろ」
 腕を掴んで起き上がらされた彼は、ぶっきらぼうに言ってその手を振りほどいた。殴られた時に切ったのだろう唇から出ている血を手の甲でごしごしと拭き取る。その姿を見ていた男がふと、ポケットに手を入れてハンカチを取り出し、彼に差し出した。
「これで拭け」
「................」
「......ここはお前みたいなやつのいる街じゃない、早く出て行くんだな」
「!」
 男はそう言い残して去って行く。彼は渡されたハンカチを握りしめ、何も言えずにその姿を見送る。そして服の埃を払い、ズダ袋を背負うと、またゆっくりと歩き出した。
 もう行くあてはない。
 ならばこの、薄汚れた街に、何かを見つけるしかない。
 こんな俺にはお似合いだろう。

『お前みたいなやつのいる街じゃない』
『お前みたいなやつ』

 その言葉が、離れなかった。

 


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