4

 

 静かなポッド内に、コンピューターのわずかな稼動音だけが響く。
 ギロロは慣れない手つきでクルルに言われた通り作業を続けていた。一定の時間を置いて戻ってくる調査機を迎え入れ、そのデータを確認し、分かる範囲で処理をし、分からないものはとりあえず保存。普段こういった機器をあまり扱うことのないギロロにとってはモニターを見続けるということだけでも苦痛だ。時々目頭を押さえ、首を鳴らして作業を続ける。
 と、聞きなれないビープ音が鳴った。複数のモニターのうちの一部も異常を示すようにエラーの表示を出している。静かな室内にその音は思いがけず大きくて、ギロロは少し焦ってモニターとキーボードを交互に見た。
「…うーん、っと」
 クルルが書いてくれたメモを手に取る。クルルらしい神経質な字で、それでも丁寧に書かれたたくさんの文字を必死に読んでいると、その横からすっと手が伸びてきた。
「あーこりゃ、基盤の一部がやられたな」
「…クルル」
 クルルはギロロの肩に手をかけ、もう片方の手で静かにキーボードを操った。ギロロが消すことさえも忘れていたビープ音をまず消し、モニターを見たまま手を動かす。
「なんだろな、変な粒子でも中に入っちまったかな、これ」
 そのままの姿勢で作業を続けるクルルの横顔を、ギロロは至近距離で見つめていた。クルルの視界に当然入っているはずだが、クルルはモニターから目を離さない。
「先輩」
「え、あ、何だ」
「ここまで戻って来たヤツには、こんなことはなかったかい?」
「あ、ああ、全部普通に帰ってきた。分かる範囲では片付けた」
「了解。ま、こいつはこれでも何とかなるだろ」
 やがてエラーを起こしたその調査機の分析を終えると、クルルは横を向いて距離をいいことにそのままギロロに口づけた。
「あんがと、寝させてくれて」
「…こんな少しだけで良かったのか」
「時間つーより、寝たいって思った時に寝れたのが重要」
「もしかしてあの音で目が覚めたのか?」
 唇は離れたが、二人の距離は接近したままだ。ギロロはクルルのしたいままにさせておいて、起こしてしまったかと心配になって聞いてみる。
「いや、ちょうど目が覚めた。俺の身体はそういうように出来てんだ」
「…」
「だからぐっすり眠るってのがあんまないのかもな。それでもちゃんと休めてるから、心配すんなよ」
「なら、いいが」
「先輩も慣れないことして疲れたろ。休んでて」
「…とりあえず、移動する」
 すいとクルルの手をどかして立ち上がると、ギロロは自分の席へ戻った。クルルは煙草に火をつけて指定席へと座る。
「目ぇ痛いっしょ?先輩みたいな人には辛いだろうな」
「ああ、まあ」
「ディスプレイってすげえ目が疲れるからな。先輩みたく基本的には肉眼でしか目標探知しない人には特にな」
 傍目にはゆったりとした動作に見えるが、覚醒はしっかりしているらしい。当然といえば当然だが、ギロロよりも数倍早い速度でクルルはキーボードを操り、次々と作業は進んでいった。自分が休んでいる間に溜まったデータもあっという間に片付け、その間に戻って来た調査機を全て収納し、処理を終えて伸びをする。
「はい、一段落っと」
「一応の調査は済んだのか?」
「ああ、ここでやれる限りのはね」
「降下は?」
「んー、そろそろとは思ってる」
 クルルはそう言ってモニターに新しい画面を出すと、ポインタを出してギロロに分かるように説明した。
 調査機が調べた時点で分かっていること。
 気候は場所によって違い、また地形にも格差がある。
 一応危険な物質や気体は確認されていない。
 生命反応はあるが、知的生命体がいるかどうかはまだ分からない。
 地中に金属か、それに似たものの反応があって、もしかしたら資源となりうるかもしれない。
 地中のそう浅くはないところにプレートが通っていて、火山帯らしきものがあると推測される。
「細かいとこは実際行ってみないとだけど、こんなもんかな」
「成程」
「資源らしい資源はねえのかもしれないけどな、開発しなおしたらコロニーくらいには出来るかもな」
「そうか?」
「ま、誰もいなきゃの話だけど。他の星の奴らも欲しがるかもしれないし」
「…」
「演習地の候補にでもしてみる?」
「…実際、行ってみんと分からん」
「どっちにしろソレだな」
 クルルは言い、キーボードに指を滑らせて新しいモニターと、コンソールの下から小型のパソコンを取り出した。
「さてもうちょっとやっとくか。先輩、寝てていいよ」
「え?」
「疲れたろ。俺降下前にやんなきゃいけないことあるから、先輩も身体休めといて」
「しかし…」
「こいつさ、実はそんな容量ねえんだ」
 とんとん、とコンソールを指で叩く。
「試作機だし機能性と強度に重点置いてるから、データ溜めたり余計なもん積んどく方はいまいちなんよ。それでも普通の調査ポッドよりはあるんだけどな」
「…」
「だからさっきのヤツが調査した分だけ先に本部に送っちまう。ついでに降下すんなら調査機も用無しだから、こいつもデータにしてファイルん中突っ込んどくから。それがちょいと時間かかるのさ」
「そう、か」
「こういう休み方は先輩の十八番だろ?」
「まあな。いいんだか悪いんだか、身についてるからな」
「なんかあったら叩き起こすから。それともキスして起こしてさしあげる?」
「…叩き起こしてくれて構わん」
 ギロロはライフルを手に席を立つと、警戒してベッドではなく操縦席からはいちばん近いソファーに身体を横たえた。クルルは首を回してそれを見遣り、指をぱきぱきと鳴らす。
「さくっとやりますかね。クルル、行っきま〜す!」
「…普通にやれよ」

 

 

 自分としてはよく眠ったな、と感じながら、ギロロは静かに目を開けた。
 
ギロロもクルルとは違った意味で、ぐっすり眠るということは滅多にない。戦士たるもの、いつ何時何が起ころうとも俊敏に対応出来るよう訓練されている。ここは戦場ではないから瞬間的に何かに襲われるようなことはないけれども、自分の任務はクルルの護衛だ。何があってもクルルだけは守らなくてはならない。それ以外でも、自分の出来る範囲ではクルルのサポートをしてやりたいと思っている。それに。
 クルルはあれでも、何か起こってもギリギリのラインまでは自分でなんとかしようとするだろう。
 『先輩』を頼らずとも、自分で片付けようとするだろう。
 出来ればそれはさせたくなかった。
 自分の役割が護衛だから、とか、それだけじゃなくて。

 

 クルルを任務に、クルルのやりたいことに専念させてやりたい。

 

 俺は、クルルを守ることに専念したい。

 

 そう改めて思って、ギロロはゆっくりと身体を起こしてクルルの背に声をかけた。
「クルル」
「おはよう先輩。休めたかい」
 クルルは背を向けたまま言った。コンソールの上に吸殻が山盛りの灰皿が見える。
「ありがとう。俺は大丈夫だ」
「そりゃよかった」
「ちょっと、吸い過ぎじゃないか?」
 灰皿を見咎めてギロロは言いながらクルルに近づく。その横顔に珍しく焦りが浮かんでいて、ギロロは驚いた。
「…どうした」
「んー」
 少し苛ついたように頬をかく。
「ちょっとしたトラブルだ。ち、俺らしくねえ」
「トラブルが信条のお前でも、そんなことがあるんだな」
「ここで長引いたら先輩とイイコトする時間減っちまう」
「…そっちかよ…」
 ギロロはため息をつくが、クルルは真剣そのものでキーボードと格闘していた。
「それは置いといてもよ、ちょっと面倒になってんだ」
「そんな重要なのか?」
「今データ処理の最終段階なんだが、ちょっと前から急に速度が遅くなった。俺がこいつにそういう手間をあんま割いてないのも悪いんだが、それだけじゃない。俺と本部の通信回線の間に、何か入り込んでる」
 ギロロは文字の羅列ばかりで理解は出来ない画面を覗き込む。内容は分からないことだらけだし、こういったことにはもともと明るくはないが、それでも処理上問題が起きているくらいは分かる。通常流れるような速度の文字が異常に遅いし、しょっちゅう小さなウインドウが出てアラートを表示する。
「妨害電波か何かか?」
「いや、妨害ってより、故意なもんじゃないなこりゃ。ついでに調べたいとこだが、そっちに時間かけるならのんびりでも作業を早く終わらせたい」
「…そうか」
「うー遅ぇ。なんでこんな遅いんだよ!」
 いらいらしたようにクルルは煙草に手を伸ばした。ギロロが素早くそれを横から奪い取る。
「先輩」
「続けろ」
「煙草くれ」
「いいから」
 クルルがギロロを見上げると、ギロロは煙草を一本取り出し、自分の口に銜えて火をつけた。
「…」
 ひと吸いしてゆっくりと煙を吐き出し、薄い紫煙がのぼるそれをクルルの唇に挟む。
「先…」
「こうする間に少しでも進んだ方がいいだろう?」
「…そこまで世話されるとは思わなかった」
「いいから、続けろ」
「へいへい」
 ギロロはその間に山盛りの灰皿を綺麗にし、戻ってきてクルルの側に立った。
「一旦やめるわけにはいかないのか?」
「それも考えたんだけど、時間おいて再開して通常に戻ってるって確信があるわけじゃないから」
「ああ、そうか、そうだな…」
「それに途中でやめるのもまた面倒なんだ。うっかり消えないとも限らないし、始めたことは今終わらせたい」
「…」
「先輩、水くれ」
「ああ」
 冷蔵庫からクルルが愛飲しているミネラルウオーターのボトルを取り出し、キャップを開けてやってから手渡す。クルルは煙草を一旦置くと半分近く一気に飲み干した。
「もうとっくに降下準備してるはずだったんだけどな」
「…」
「先輩、まだのんびりしてていいぜ」
 再び煙草を銜えて、クルルは作業を続ける。灰が落ちそうになるのを横から灰皿で受け、ただ側にいるだけしか出来ず申し訳ない気になっていたギロロは、短くなったクルルの口元の煙草をとって消してやってから、言った。
「クルル」
「ん」
「…俺に、何か手助けは出来ないか」
「十分してもらってるよ。人に煙草吸わせてもらうなんざ初めてだし。随分な甘やかしぶりだぜえ」
「そうじゃなくて、こっちで」
 視線を上げて、モニターを見る。
「今、メインで少なくとも二種類お前一人の手で扱ってるだろう。出来そうなら、俺が片方引き受ける」
「いいよ、折角休んだのにまた疲れちまうぜ」
「やらせろ」
 ギロロの言葉にクルルは瞠目した。
「うお、ちょっと先輩、今の俺にその言葉は刺激的」
「茶化すなよ」
「これが茶化さずにいられるもんかい」
「真面目に言ってるんだ。それとも俺じゃ無理か」
「…」
 クルルは少し考えて、ゆるりと立った。
「先輩」
「どうした」
 そのままギロロに身体を寄せる。ギロロはそれを咎めることもなくクルルの身体に腕を回した。
「…クルル」
「ごめん、ちょっとだけ」
「ああ」
「…先輩を煩わせるようなこと、したくないんだけど」
「俺は護衛であり、作戦実行支援だ。たいしたことじゃない」
「先輩」
 少しだけ力を込めて、ギロロはクルルを抱きしめる。
「俺は何をどうしたらいいんだ?出来る限り、やってみるから言ってくれ」
「…じゃあ、サブの方頼む。ちょっと細かいけど、難しくないから」
「分かった」
「先輩、ここ座って」
 ギロロは腕をゆるめると、言われた通りクルルの席へと座った。少し開いた両足の間のスペースに、クルルが身体を割り込ませてくる。
「ちょっとごめんよ」
「おい、クルル…」
「少しゆったりめに造っといてよかったぜえ。いや、どうせなら二人掛けにするんだったなあ」
 楽しそうに言いながら、クルルは小型のパソコンを引き寄せてギロロを振り返った。
「おー、すげー先輩近い。うわーヤバイ」
「…いいから早く教えろ」
「んだよ、ちょっとは楽しんだっていいだろぉ?」
「早く終わらせたいんだろうが」
「はいはい、全く先輩はお固くて面白いねェ」
 スリープ状態になっていたパソコンを復帰させ、画面に向き直る。
「ちょっと目が忙しくなるから、覚悟してくれ」
「ああ」
「俺がメインと、メインに出てくるヤツのいくつかを処理する。こっちの小型の方で、俺と本部を遮ってる何かが途切れた瞬間を狙って送信。出てる表示にはあまり気を使わなくていい。何かあっても俺の方で対応出来るから」
「分かった」
 ギロロはクルルに覆いかぶさるようにしてモニターと小さな画面を見つめる。いろんな意味で自分が緊張しているのが分かったが、どうやらそれは自分だけではないことも分かった。
 クルルの肩が、ほんの少しだけ強張っていた。
「今までは俺が全部やってたから、こっちに手を伸ばして処理する分余計な時間食ってたけど、先輩がこっちやってくれたらだいぶ違う。送信のタイミングはメインモニターに出る。色の違うアラートだからすぐ分かる。最初だけ言うから、次からはヨロシク」
「ヤー」
 ギロロは肩で息をすると、細かい画面を見続ける自分なりの準備として何度か瞬きをした。クルルが振り返る。
「先輩」
「ん?」
「ちょっと充電してもいいかい」
「…好きにしろ」
 その言葉にクルルは腕を伸ばしてギロロの顔を引き寄せると、軽く唇をあわせて戻った。
「さてと、やりますか。先輩の用意が出来たら言ってくれ」
「お前にあわせる。好きなときにスタートしろ」
「了解」

 

 当初の予定より半日程遅れてポッド内においての調査は終了した。
「機体、制動開始。全て異常なし」
「周囲、異常なし」
「了解。高度下げ」
 慎重に機体が衛星に近づいていく。ギロロは鋭くモニターを確認した。画面に荒れた地表が迫ってくる。

 

 やがて、軽い振動と共に機体は漸く目的地へと到着した。


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