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『本作戦の発動はケロン軍本部・及び第7情報科周辺恒星通信部隊。
第41惑星付近にて発見された衛星惑星の観測・調査を主任務とする。
この任務においての全権を本部戦略軍・技術部第2通信科室長・クルル少佐に委ねる。
又、その護衛・及び作戦実行支援・補助を第15歩兵師団第1連隊・ギロロ少尉に委ねる。
尚、発動期間内においてのあらゆる利益・損失等においては、ケロン軍本部が全責任を負うものとするが、
主任務への影響の有無を問わず、本部にて不要と思われる単独での行動における損害については
一切関与しない。それぞれ個人にて責任を負うものとする。』
「…何回見ても嫌味ったらしい命令だな、コレ」
ギロロの荷物の中にあったファイルを団扇のようにしてぱたぱたと扇ぎながら、クルルはさも面倒そうにそう言った。言いながらもモニターのチェックは忘れず、空いた手は時々キーボードを滑っている。
「命令なのだから、仕方なかろう」
「そんなん分かってるよ」
モニターを見たまま、ファイルをギロロに返す。受け取ったギロロも、クルルにそう言いながらも一度目を通して後はたいして確認もしていないそれをコンソールの隅に押しやった。じっくり読んだところで自分が完璧に理解出来るわけはないだろうことは分かっているし、はっきり言って紙媒体よりも目の前のクルルに聞いた方が気分的に楽だ。それに自分の任務は護衛。ファイルの内容自体、あまり用がないと思っている。
「命令っつーかさ、偉そうに作戦とか言っちゃってよ、まあそれはそうなんだろうけどよ、明らかに俺様に対して釘刺してるよな、この言い方は。余計なことすんなってさ」
「…まあな」
「そんなに俺を野放しにすると心配かね」
「いや、お前、普段自分が何やってるか分かってるか?」
「最近はそんな悪戯してないぜえ。自分の利益になることしか」
「…」
「そんな心配だったら最初っからてめえらで調べろっつーの。俺だってそんな暇じゃねえのにさ」
ギロロは息をついて立ち上がると、居住空間に備え付けられたキチネットへと向かった。
「クルル」
「あー?」
「今、お前少しは手隙なのか?」
「ああ、まあ、今んとこ向かってるだけだし、幸いっつーかなんつーか、どこの誰とも出会わねーし」
「コーヒーを淹れてやるから、少し落ち着け」
その言葉にクルルは少し驚いて振り向いた。
「何だよ、先輩。俺は落ち着いてるぜ?」
「…長い道中なのだからちょっとは気を抜いたらどうだ、と言っているんだ。それでは持たないぞ」
「…」
「お前が落ち着いていることぐらい、俺がいちばん分かっている」
おそらくクルルがセレクトしたのだろう、見るからに高級そうなコーヒーミルに豆をセットし、ギロロは慣れた手つきで豆を挽いた。クルルと深く付き合うまではそのようなものを使ったこともなかったしコーヒーをわざわざ淹れて飲むなどという優雅なことをするゆとりもなかったが、今では手馴れたものだ。クルルは念の為機器を確認してから、座席に後ろ向きに座ってギロロの姿を見つめていた。
あらゆる重火器を手足のように扱う赤い指が丹念にレバーを動かしている。
標的を仕留めるのとはまた違った鋭い眼が、挽かれたそれを確認している。
挽き加減を満足そうに見て、これまたシックなデザインのコーヒーメーカーの前に立つ。
それらの全てはギロロらしい無骨な仕草で、それでも何故か優しげで…
クルルはギロロが自分の元へコーヒーマグを2つ持ってやって来るまで、その一連の動作を黙って見つめていた。
「ほら、熱いぞ」
「ども」
マグを受け取って、一口啜る。
「…美味い」
「お前が散々教えてくれたからな、いかに俺でも覚えるさ」
「人に淹れてもらった方が美味いからな」
「それはお前の主旨からは外れているんじゃないか?」
ギロロはクルルの姿に微笑むと、自分は立ったままコーヒーを飲んだ。
「ギブアンドテイクが信条だろう?」
「先輩だけは別だよ」
口元で笑って、ギロロを見上げる。
「…そうじゃない時もあったけどな」
「クルル」
「んー」
ギロロはマグを置くと、幾分真剣な眼差しをクルルに向けた。クルルはギロロを視界の隅にしっかり捉えつつ、モニターから目を離さない。
「折角俺と二人なんだから、気楽にしろ。もっと甘えても構わんぞ」
「あ?」
「ずっと思っていたんだ。直接言われたらその10倍にして返すくせして、こういう時ばかり俺に吹っかけるように愚痴るのは何故なんだろうと。単にお前の性格の問題かとも思っていたが、どうもそれだけでもないようだ」
「…」
「俺はお前のように頭が回らないからな。側にいることしか、聞いてやることしか出来ないが、俺を捌け口にして多少お前の気が済むのなら、それでいい。お前が言った通り、こんな状況は俺達には滅多にあり得ないことだし」
「…先輩」
クルルの肩に手を置いて、ギロロは続けた。
「結局誰もがお前を頼りにするしかないんだからな、本部もせいぜい吠え面かくがいいさ」
「…どうしたんすか、先輩らしくない」
「そうか?」
「俺をあんま調子に乗らせると、後が怖いぜえ」
「調子に乗ってるのか」
「うん、かなり」
「ほう」
言うと、ギロロは肩に置いた手を引き寄せられそうなのを察知して一歩後退する。クルルはち、と舌打ちしながらもにやりと笑った。
「…確かに、乗っているようだな」
「アンタのせいだぜえ。珍しいこと言ったりするから」
「たまには良かろう。…まあ、普段と変わった空間にいるから、多少気分が高揚しているのかもしれんな」
ゆっくりとクルルの座席に近づく。肘掛に軽く腰を預けて、その腰に素早くクルルの腕が回されるのにも構わず、そこに自分の手を重ねた。
「先輩」
「何だ」
「いい傾向だねえ。そんなことしてると…」
「俺に別に他意はない。こうしたかったから、しただけだ」
「…」
「お前には他意がありすぎるな。いや、お前だからこそなのかな。お前の頭は、そう出来てるんだろうな」
軽く手の甲を撫でられて、クルルは瞬間びくりとする。
「お前の頭はそのように出来ている。いくつもいくつも、たくさんの可能性を考える。それが俺に対してだろうと戦略だろうと悪巧みだろうとなんでもだ。俺とはまったく違う」
「…そりゃあ、まあ」
「そういうことが出来る代わりに、神様はお前からそれ以外のものを一切抜き取ってしまったんだろうな。だから相手が誰であろうとずけずけ嫌味も言えるし、傲慢になれるし、だから煙たがられるし、牽制もされる。たいした苦労だ」
「先輩、俺を褒めたいのか貶したいのか、どっちだよ」
「両方だよ」
ギロロはクルルの方を向いて笑った。
「呼吸するようにそうやってなんでも出来るお前だから、それくらいの苦労は当然だろうということだ」
「ふーん…」
「俺も同じようなものなんだろうがな。ま、お前とは雲泥の差だろうが、俺は戦闘にしか意識が向いていない。自分でももう少し世渡りが上手ければと思うこともあるが、そっちに神経が回らない。…それでも、ひとつだけは別格だが」
「え?」
今更のようにギロロは少し照れたように顔を背ける。
「…お前は別格だ」
「先…」
「どのような闘いでも、その先にお前がある」
「先輩、それってどういう…」
言いかけたところで無粋にアラーム音が鳴り出した。ギロロははっとして姿勢を正すが、クルルの腕はそのままだ。
「おい、クルル、放せ」
「さっきのってどういう意味?」
「今それどころじゃなかろう!」
「ここまで俺を甘やかしといてそれはないぜえ」
ギロロは力任せにクルルの腕を引き剥がすと、素晴らしい身のこなしで隣の席に移動し、ライフルを手にした。
「戦闘以外で俺の意識が向くのはお前だけだ」
アラーム音は先程より大きな音を立てて警告を促している。ギロロの言葉に一瞬思考が止まったが、それも本当に僅かな時間のことで、クルルは素早くメインモニターで早い点滅を続けるポインタを確認すると、キーボードに手を伸ばした。
「…詳しいことは後で聞く」
「ああ、そうしてくれ」
「距離150。小型の戦闘機か索敵機」
「迎撃は?」
「相手の出方によるけど、俺が邪魔じゃなけりゃそこの搭載機でやってくれ」
「ヤー」
メインモニターにいくつかの画面が映し出され、クルルが目にも留まらぬ速さでそれらを確認し、処理する。
「判明、敵性宇宙人の小型戦闘機。こちらの出方を伺っている模様。機体下部より小型連射砲出現。こっちの方が反応早いから、アンタがやりたきゃやんな」
「やりたくなくても、あっちがやる気だ」
「だな。速度上げるぜえ」
モニターの照準機が、敵を捉えた。敵の戦闘機が、きらりと光を発する。
「サイト・オン!」
光ったのは錯覚だったか、と思えるくらいの速度で、敵はあっという間にモニターから消えた。
「…終了」
「お見事。しょっぱなできっちりやってくれるたあ、さすが少尉だぜえ」
「従来のものよりかなり感度がいい。良すぎるくらいだ」
「お褒めにあずかりまして」
クルルはゆるく敬礼をすると、再び作業を開始した。顔をモニターに向けたままくく、と笑う。
「で、さっきのは?」
「え?」
「さっきのって、どういう意味?」
「…後で、と言っただろう」
「もう一段落したから、今がその『後』」
「…」
ギロロはライフルを傍らに置くと座席に座りなおした。
「随分とせっかちだな」
「そういうように出来てるもんで」
「楽しいことは後にとっとけよ」
その言葉にクルルが意外そうにギロロを見る。ギロロはふっと笑ってコンソールに頬杖をついた。
「『嫌味ったらしい命令』を全て消化してから追求した方が、楽しいんじゃないか?」
「…へえ、言うねェ」
「好きだからと言ってそればかり食っていたら、飽きるだろう」
「先輩に限ってはいくら食っても飽きないけどね。じゃあまあ、そういうことにしときますかね」
「…しかし、意外と誰とも会わないものだな」
ギロロはあっさり話題を変えてモニターを見る。
間も無く調査する衛星へ辿り着こうとしているが、クルル曰く『安全ではないルート』にしては敵らしい敵と出会ったのは先程の一機のみ。それまでにも一応コンピューター上では敵らしきものも確認されたが、向こうが気づかなかったのかこちらに恐れをなしているのか、近づいてくることもなかった。ギロロには全く分からないしクルルもわざわざ説明はしないが、試作機ということもあるし余計な戦闘は控えるよう機体に何か細工があるのかもしれない。
「同盟族やうちのどっかの部隊なんかはかなり遠い距離だけどすれ違ったりはしてんだけどな。こっちから信号送ってるし、こんな見たこともねえ機体だし、好んで近づいて来ねえだろ。俺がいるって分かってんなら尚更だろうな。それに今の時期は比較的どこの星系も何かと忙しいんだろうから」
「そうか」
「ま、先輩には悪いけど、行きくらいはこんくらい平和にね」
自分を気遣ったような言葉に、ギロロは焦る。
「いや、俺だってな、そんなやたら戦闘したいって訳じゃないんだがな」
「でもその方が先輩的にはいいんだろ?」
「…」
「安心しなよ。…ってのも、変な言い方かな。これから行くトコは俺でさえ未知だから、そんときゃ先輩の腕の見せどころじゃねえ?」
「…ああ、分かっている」
「宜しく。そろそろ、見えてくるはずだ」
二人はモニターに目を向けた。
演習やらなんやらで何度か通った記憶のある惑星を遠めに、またその軌道を通り過ぎ、画面に目的地が近づいて来た。機体はゆっくりと速度を落とし、クルルはいくつもの画面を慎重に見ながらキーボードを操る。ギロロも片手はすぐにライフルを手に出来るよう構え、もう片方の手で自分がいざという時使用するボタン類を指先で軽く確認した。鋭い目で画面を注意深く見つめる。
「肉眼にて目的地確認。現在の所、異常なし」
「了解。距離2500。1000まで接近する」
「ヤー」
「情報部隊の報告では危険な物質や気体は確認出来なかったそうだが、念の為距離をとる。警戒ヨロ」
「ヤー」
暫くして、目的の惑星と1000の距離を取り、調査ポッドは静かにその場に静止した。
「機体、制動一時停止。機体各部、異常なし」
「機体周囲、異常なし」
「了解。…やれやれ、なんとか到着だ」
クルルはぎし、と音を立てて背もたれに身体を預ける。
「お疲れ様です」
「少…いや、先輩」
少尉、と言いかけてクルルはふとそれを直した。いくら人には言えない深い『仲』とは言えども、滅多に無い状況・未知の惑星の貴重な調査と様々な理由が重なってか、ギロロは…いや、クルルも先輩後輩・上官と部下、二つの立場がごっちゃになっている。少なくとも今この瞬間のギロロは間違いなくクルルを上官として見ている。クルルとしてはギロロの反応を楽しみたいのもあってわざと上官らしい態度を取ってみたりもしたが、実際の所自分でも分からないその切り替えが気になって、自らも確認するつもりで改めて聞いてみた。
「アンタ今、俺をどう思ってるんだい?」
「どう、って…」
「今更説明することじゃないけど、俺は俺が上官だろうとアンタが上官だろうとどっちでもいい。そんなもんはハナから関係ねえ。だが、今のアンタの受け答えは、どう見ても上官に向ける言い方だな」
「…」
「俺はどっちでもいいんだ。アンタは、この1週間…いや、厳密な作戦中でいいや。俺の部下か、先輩か、どっち?」
ギロロは珍しく真面目なクルルの表情に驚いて口ごもった。
「…いや、それは…」
「最初に俺が吹っかけたのがまずかったのかな。アレも面白いっちゃ面白いけどよ、やっぱ折角二人だからな、いつも通りがいいな、俺は」
ギロロに視線を向けながらも、クルルの手は相変わらずキーボードを操る。画面を確認することもなくその作業を続けて、クルルは言った。
「アンタ真っ直ぐだからな。一旦俺を上官だって思ったら何を言われてもされてもそうとしか思えないのかもしれないけどよ」
「その、通りだ。思うだけじゃなく、俺の上官には変わりはない。俺は少尉で、お前は…だが…」
「アンタの好きでいいよ。別にどう接しようと、俺らの関係が変わるわけじゃないし」
「…クルル」
「ん?」
ギロロはクルルの視線に耐えかねたように横を向いた。
「…お前が、からかうからいけないんだ」
「俺のせいかよ」
「俺はお前のように器用じゃないんだ。気分次第でころころ変われん」
困ったような、少し拗ねたようなその言い方と横顔に、クルルは緩く笑う。
「…先輩」
「…うん」
「先輩って呼んでる割には、俺ちっとも後輩らしくないけどいいのかい?」
「今更お前にそんなものを求めてはいないよ、クルル」
「あ、そ」
「クルル」
ギロロはふうと息をついて立ち上がった。
「暫く俺は特に用がないだろう。もう一杯飲むか」
「うん」
いくら最新鋭の調査ポッドといえども、いきなり未知の惑星には踏み込めない。
それから約1日程、衛星上空から小型の調査機やポッド搭載の機器を使っての調査が続いた。その間も思った程予測された妨害などもなく、ギロロがライフルや搭載武器を握るのもごく僅か。クルルに言われるままに慣れない機器を扱って手助けをしたりして、今自分がどこにいるか一瞬忘れてしまうくらいの静かな時間を過ごした。
…クルルの『世話』をしていることを除けば。
「先輩、コーヒーもうちょっと濃い目で」
「煙草切れた。あっちの引き出しに予備が入ってるから持ってきてくれ」
「腹減った」
「肩凝った。ちょっとここ押して」
「先輩、メシ」
「…カレーにするか?」
「先輩の得意なヤツ、食いたい」
「…俺、普段よりも別意味疲れてるぞ…」
「手のかかる後輩ですいませんねェ」
クルルはこの状況を完全に楽しんでいるようだった。
…ギロロも、楽しくないわけでもなかった。
「…先輩」
「何だ」
「…悪ィ、ちょっとでいいんだけど、ここ任せていいかな」
「どうした」
「ちっと詰め過ぎて頭痛え。少しだけ寝たい」
クルルはそう言ってこめかみの辺りを押さえた。この天才にとっては命令と言えども興味のある分野だしある種トラブルとアクシデントが満載とも言える今回の調査だが、クルルも天才ではあるが超人ではない。いろんな理由が重なって、多少張り切りすぎたのかもしれない。
「大丈夫か。薬は?」
「いや、いい。俺も気分が高揚してるだけだ。ちょっと寝りゃ治る」
「ならば、いいが…」
「今出してるヤツが10機戻って来るまででいいから。これ教えるから、来てくれ」
「分かった」
ギロロはクルルの横に立ち、上体を少し屈めて近づく。
「モニターは常に見てて、で、これ」
「ああ」
「ここのランプがついたら、こっち。で、決定。あとは画面に出る通りでいいから」
「分かった」
「複雑なのだけこっちにメモっといたから、分かんなくなったら見て。なんかあったら起こしてくれて構わない」
「ああ」
「先輩」
真剣なギロロの横顔に、クルルは言った。
「ん?」
「キスして」
「…」
「ダメ?」
「…したら、少しは良くなるのか?」
「それで一眠りすりゃ完全回復」
それは単に口実なのかもしれないけれど。実はそれだけなのかもしれないけれど。
…それにつきあうのも、悪くない。
ギロロはクルルの頬に手をかけた。
「仕方がないな」
「うん、俺仕方のない人だから、キスして」
「…動くなよ」
ゆっくりと顔を傾けて唇をあわせる。少しの間そのままでいて、唇の離れる瞬間、ギロロはクルルのそれを軽く音を立てて吸い上げた。
「…先輩」
「ほんと、手のかかるヤツだ」
「いや先輩の効果は凄い。予想以上に充電された」
「いいからさっさと寝て来い」
ギロロは強引に、それでも優しくクルルを立たせると今までクルルが座っていた席に身体を沈め、笑いながらクルルを追いやった。意外なギロロの姿に驚きながらも、睡魔に勝てず、クルルはベッドへと向かう。
「じゃあ、ちょっとだけヨロシク〜」
「…おやすみ」
ギロロの声を聞きながら、クルルはスイッチが切れたようにベッドへ倒れこんだ。