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「ク…クルル…」
「…もう少し、我慢しな…」
「き、つい…」
「もう、少しだ…」
「う…あ」
「…ほら…先輩…ちゃんと、掴まってろよ…!」
「クルル…無理…っ…!」
「…高度、機体共に安定」
ふ、と息をついて、クルルは背もたれに身体を預けた。ギロロはずきずきと痛む頭を抑え、隣のクルルを見る。
「…おい、こいつはこんな風にしか発進出来ないのか…?」
「いんや」
「これは、無茶しすぎだろう…」
「んー、限界までやったらどうなるかと思ってよ…とりあえず、ベルト解除」
恐ろしいことをあっさりと言いながら、音声で座席内臓の安全ベルトを解除させる。身体を拘束していたベルトは音もなく消え去った。
「まさかこのまま実用化させる気じゃあるまいな?」
「いや、こりゃさすがに無理だな。もうちょっと出力落とさねえと並の奴ならここでリタイアだ」
そう言ってクルルはキーボードに指を滑らせ、前面のいくつかのモニターを確認した。
ケロン星の発着所を出発した時点で機体は既に音速に近い速度。そこから軌道に乗るまでの数分、ギロロは、そして開発者であるクルルも、予想外の速さと身体にかかる重力に圧倒され、まるで初めて実戦に出された新兵のように座席にしがみついているしかなかった。
「俺はお前の実験で命を落としたくはないぞ」
「悪ィ悪ィ、ちょっとやり過ぎちまった。さすがの俺もビビッた」
それは珍しくクルルの本心だったのだろう。煙草に火をつけると、ゆっくりと煙を吸い込み、時間をかけてそれを味わってから、ギロロを見る。
「…まあ、実用っつってもどっちにしろこのまんまじゃねえよ。試作零号機だからな」
「製作は構わんが、いずれは軍のために、ってことか」
「そ。急ぎで作ったから軍のチェック受けてねえからなあ、本部の奴らが乗ったらぶったまげるぜ」
「何…っ」
驚くギロロにクルルはくくく、と笑う。
「しょーがねーでしょ、すぐに調査に行ってもらいたい、でも助手はこっちから選びたくねえ、機体も出来ればお前が選ぶか作るかしろ、って向こうの都合ばっか言われてんだからよ。そんならそれで俺のやりたいようにやるしかねえじゃん。本部だってある程度は目ぇつぶってんだし」
「…お前と、いう奴は…」
「何?」
自分の興味が最優先。それにトラブルとアクシデントが信条の男だ。今更驚いたり説教したりするつもりはないし、今までも散々それに付き合ったり無理やり付き合わされてきた。被害を蒙ったこともあったが、クルルでなければ出来ないことばかりなのだ。いくら本部がクルルを嫌いでも、クルルがいなければ成功どころか失敗の原因さえ追求することすらままならない問題も多い。軍への忠誠を忘れたことは一度もないが、無理難題ばかり吹っかける本部がクルルにいろんな意味でしてやられるのを最近では痛快だと感じることも実は少なくはない。
「…つくづく恐ろしいが、頼もしい」
毒されているな、と感じつつもやっと安心したように座席に身体を預けると、ギロロはクルルを見て笑った。
「そりゃどーも」
「機体にもかなり無理を強いてる気がするが、平気なのか?」
「今んとこな」
「おい」
「いやそりゃ冗談だけど。強度かなりあげてるから、問題ねえよ。実際何の異常も出てないし」
機体の状態を示すらしいモニターをちらりと見て、クルルはそう言った。やがてまた別のモニターに向かうクルルの姿に、ギロロは手持ち無沙汰に立ち上がってまわりをぐるりと見回す。
「目的地にはどのくらいで到着出来るんだ?」
「んー、今の速度なら4時間ってとこかな。他のルートもあるっちゃあるけど」
「他?他にもあるのか?」
「想定では痛いのと、痛くないのが2つずつ」
「…」
クルルは作業の手を止めずに続けた。
「正直、時空間移動すりゃ手っ取り早い。が、それだとちょいとばかり機体に影響があるし、俺が堪える。一応非常時にとっときたいしな。あとは、今ケロン星を出たのと同じ方法。これが痛い方」
「…それは勘弁してくれ。お前も無駄に力を使わん方がいい」
「あと痛くない方としてはこの間情報部隊が帰還の際に使ったルートと、それよりもう少し安全なルートがある。だがどちらも俺から言わせりゃ回り道なことこの上ない。それに、先輩の為には今のルートが一番いいと思うぜえ」
「俺の?」
「安全なルートじゃねえからな、ここは。たまたま敵性種族に遭遇しないとも限らねえ」
「!」
「先輩だってただ俺といるより、少しくらい暴れられた方がいいだろ?」
ちらっとギロロを振り返ってにやりと笑う。
「そういう意味じゃアンタも退屈を嫌うタイプっつーことになるな。不用意な戦闘は無いにこしたこたないが一応護衛って名目で来てんだし」
ギロロは一瞬黙り込んだ。確かにただここでクルルの側にいるだけよりは、戦いに身を置く方が自分の性にあっているし、それでこそ自分だというのもある。決して無闇に殺生したいわけではないのだが。
「…うむ…まあ、そうだが…確かに俺にお前の手助けしろと言われても、無理だからな…」
「そんなことないぜえ。先輩にも手伝ってもらうことはあるし、それにサポートってそれだけじゃないだろ?」
「え?」
「俺基本的にはここ離れらんねえからさ、俺の身の回りの世話してもらいたいし」
「世話、って」
「俺は普段からあんま眠んねえけど、ここじゃそうもいかないだろうし、その間はアンタに出来る限りのことしててもらわなくちゃいけない。その逆だってあんだろ。それに睡眠はともかく、俺だって腹減ったらメシ食いたいし」
「…メシ、だと…?」
ぎょっとするギロロを尻目にクルルは続けた。
「普段はあんま食わねえけどさ、先輩が作ってくれるなら食うぜえ」
「俺が作るのか…」
「そ。俺の為にメシ作って」
「…お前の舌にあうようなものが作れるとは、限らんぞ」
「いーのいーの、先輩が俺に作るってのが重要なんだから。んー、てゆーかー、なんかこれって新婚夫婦?」
途端にギロロの顔がかあっと赤くなる。
「バッ、馬鹿!」
「てゆーかー、一週間も俺と一緒だしー、新婚旅行?」
「その言い方をやめんか!」
「えー、俺にしてはカワイくねえ?」
…素直さ、ならともかく(もちろん叶わないのだが)、可愛さなど必要としたことは全くない。
「…アホか」
「アホですいませんねえ、でも実際俺と一週間一緒なんだからしょうがねえじゃん」
「…」
「あ、あと重要なのがあった」
「…まだ何かあるのか」
「あるぜえ、しかも最重要」
最重要と言われて、くだらなさ加減にげんなりしていたギロロは顔を上げた。クルルの眼鏡がきら、と光る。
「こりゃアンタにかかってるぜえ。俺が万が一にでもミスったりしたら、本部に何言われっか分かんねえからさ」
「何だ」
「俺がミスったりヘマしたりしないように、疲れてたら少しは癒してほしいわけさ」
「癒し、って…なんで俺が…」
「アンタしかいないでしょー、コレは」
「は?」
「閨の相手」
「な…!」
ギロロは傍から見ると面白い程に動揺して僅かながら後退した。漫画なら派手な擬音つきの場面だろう。
「…ッ…そ、んな、暇、ないだろうが…ッ」
この返答では暇があるなら相手するのか、と突っ込まれかねないが、今のギロロにはそこまで考える余裕はなかった。沸騰しそうなのを押さえてなんとか気持ちを落ち着けようと、ギロロはどさりと乱暴に席に身体を投げ出す。
「いやあ、俺が死ぬ気でやりゃあそんくらいの暇は出来るぜえ。行ってみねえと分かんねえけど、そう直に四六時中観察しなきゃいけないわけでもないだろうしさ」
「…だ…だからって…一応作戦中に…」
「またアンタはそれだよ、お固いなァ。それになあ、ほんとは一週間だっていらねえんだよ」
「…は?」
く〜っくっくっく、と自信有りげな笑い。
「本部の能無しにゃあそう言っといたけど、俺なら3日、いや4日もありゃコンプリートさ。仕事だけしてただ帰るのも何だから上手く言って一週間でっつったわけ」
「み、っか…」
「本部でずっとやりたくねえことやりっぱなしだしよ、こんくらいの休暇いいんじゃね?」
あまりにクルルがさらりと言うので、正直任務に関係ない要求をされたことを怒るのも、ギロロはすっかり忘れていた。
未知の惑星を、たった4日で全て調べ上げられるというのか、こいつは…
「俺結構頑張ってんだぜえ、そんくらいいいだろ、先輩」
「…クルル、お前…」
「何すか」
「凄いな。今更…本当に今更だが、お前は凄い。そう言い切れる自信が凄い」
「当たり前だぜえ。俺は自他共に認めるケロン軍、いや全宇宙に名の轟く世紀の天才・クルル少佐だからな、こんくらい言い切れなきゃそんな名前も名乗れねえよ」
「…」
言うことは何だが、確かにそう言うに相応しい男だ。それだけの男だ。なんだかんだ言ってもこの男なくしてはケロンの繁栄は望めないだろう。ギロロは改めてこの天才が自軍にいることを誇りに思った。
…そして、この男が自分の側にいてくれることを、誇りに思った。
「まあ、それでもその3日4日は集中しねえとだけどな。しかも面倒なことに道中の観測も頼まれてっから、アンタは基本的にはモニターから目ぇ離さないで、なんかあったら遠慮なくやってくれよ、少尉。頼りにしてっからな」
クルルは笑みを浮かべたまま軽く振り返る。その顔にはギロロが普段知る顔とは違う、本部作戦参謀としての表情が見て取れて、ギロロはすかさず立ち上がって敬礼した。
「ヤー、少佐」
「半径200キロ以内に敵性種族・または同胞以外が感知されたらアラームが鳴る。それまでは通常待機で構わない」
「ヤー」
「…とりあえず、直っていいぜえ。今んとこ異常ねえから、座ってな」
ギロロは姿勢を戻すと、愛用のライフルを抱えたまま隣のナビ席へゆっくりと腰を下ろした。ふうと一息ついたその姿を横目で見て、クルルはまたくくっと笑う。
「そんな固くならなくていいぜえ。俺とアンタの『仲』だろ?」
「…」
「今からそんなんじゃ持たないぜ。アンタならすぐ戦闘態勢とれんだから、普通でいいよ」
「は、あ」
真面目なギロロは先程自分の中に湧いたクルルへの上官としての姿勢を崩さない。心の中で苦笑して、クルルはからかうように言った。
「長い道中だからいろいろあんだろうけどさ、とりあえず俺も努力はするから、そん時は先輩も我慢してくれよな?」
「は?」
「俺が集中してる時はもしヤりたくなっても我慢しろっつってんの」
「!…ッ」
可哀相なくらい驚いてライフルを取り落としかけるギロロを視界に認めて、クルルは続けた。
「…お、もしかして今そんな気分だった?」
「な、何を…!」
「違ったか。いやあ、俺様の凄さに惚れ直したみたいな顔してたからよ」
「…ご冗談を」
ギロロは言葉遣いこそ丁寧だが、ガシャリとわざと音を立ててライフルを立てかけると、自分を落ち着かせるように腕を組んで息をついた。
滅多にない一緒の、しかも二人きりの作戦行動。普段から自分はいろんな意味で流されて弄ばれているに違いないのだが、今日は尚更だ。自分といられて嬉しいと言い、奥に潜めた優しさをほんの少し見せたところでいつものように軽く流し、それでいて自分を部下として信頼していると言う。
自分には分からないクルルの苦労がいろいろあるだろうことは、ギロロも分かっている。そういったものをなるべく見せず、わざとひねくれたそぶりをするのがクルルなのも十分承知している。そして、誰にも見せないそれを自分には見せてくれる。それは嬉しいし多少の優越感でもあるのだが、それでも、それにあっさり流されてしまうのはなんとなく気に入らない。ギロロはクルルに敵わないのは承知で幾分嫌味を込めて言った。
「…ご自分の都合のいいように物事を捉えるのがお得意ですね、クルル少佐は」
「それ、褒めてんの?」
「…一応」
「アンタといる時くらいポジティブじゃねえと、さすがにいろいろ萎えるわけよ、いくらこの俺様でもさ」
「…」
「もういい加減慣れたけどよ、上の文句や人の余計な感情につきあってる暇あったら俺だって仕事に回したい訳。ったく、一番疲れるよな、他人と関わるってのは。そう思わないかい、少尉」
「…は、あ…確かに自分も、得意ではないですが…」
「まあもうガキじゃねえからな、嫌だ嫌だだけじゃやってけないのも分かってるけどな。アンタが羨ましいよ。アンタはそれでも人並みにゃあ他人とつきあっていけるんだろうし、戦闘になりゃそんなもん関係ねえだろうし」
「…」
キーボードを操る手を止めずに、クルルはそう自嘲気味に言った。ギロロはどう返答していいか分からず、黙り込む。
「…しょうがねえけどな、今アンタにこんなこと言ってもよ」
「いえ…」
「だからさ、せめてアンタといる時は、息抜きさせてくれ」
「…自分で、お役に立つのならば…」
「立つ立つ。言ってんだろ、アンタじゃなきゃダメなんだって。ついでに余計なところも勃っちまうかもな」
クックック、と笑いを含んだ声でクルルはギロロの反応を楽しむようにそう言った。
「し、少佐…!」
「アンタには悪いが、余計な敵襲なんて来ないことを祈るばかりだな。楽しみの時間が減っちまう」
「…ク、ルル…」
思わず少佐、の階級をないことにしてしまいたくなる。そこにいるのは確かに『クルル少佐』だが、この男はそういった階級に縛られるのが嫌いで、上下関係なく自分のしたい通りに相手を扱う。そしてギロロにだけはわざと階級をひけらかしたり上官というその名の下に半ばからかい気味に命令したりする。もちろんそれはクルル特有の嫌がらせみたいなもので、自分にしかしないとギロロは分かっているのだが。
調子が狂う。
自分はこれでも、個人としてのクルルと少佐としてのクルルの両方を理解し、好いているのに。
少なくともその気持ちだけは本物なのに。
彼はなかなか真っ直ぐにそれを返してはくれない。…もちろんそれでこそ彼なのだと、分かってはいるけれど。
「ま、いいや。さくさく行きますか。そんじゃねえとオーダー期間内にやりたいことやれねえからさ」
「…ヤー」
「頼むぜ、先輩。アンタだって俺と二人っきりで何にも期待してないわけじゃねえだろ?」
「!」
くるくると立場を変えるその言い草に、ギロロは頭を抱えた。困惑と…恥ずかしいのも含めて。
恐ろしく頼もしい。軍の…俺の誇りだが…どうしてこう…
「どうしたギロロ少尉、なんか俺変なこと言ったかい?」
「…上官なら、常に上官らしくしてろ!」
静かなポッド内に、拳骨の振り下ろされる鈍い音が響いた。