愛と欲望の惑星

 

1

 

『…毎度のことながら、参りましたな』
『しかしあの男にしか任せられんだろう。口惜しいことだが』
『全くだ。だがどうする?まさか一人でという訳にも…』
『かと言って、奴とそんな長期間共に行動し、さらにサポートや護衛までというとなかなか』
『一応、奴本人に聞いてみてはどうだ?』
『…何度も何度も奴の顔を見るのは正直気が重いのだがな…仕方がない』

 

 ある日のこと。
 ギロロは後輩の指導で演習に出ていたところを突然軍本部に呼び出された。こんな風にいきなり自分が本部に呼びつけられるなど初めてで、現在特に急を要する戦況ではなかったし、もちろん何か身に覚えがあるわけでもない。慌てて本部へ向かうと、出入り口で既に若い本部の警備兵が待っていて、ギロロを見ると直立不動で敬礼した。
「ギロロ少尉、お疲れ様です。中佐より申し付けられてお迎えにあがりました」
「すまんな。この通り演習場から直接来たのでな、少し身なりを整えたいが」
「いえ、中佐は至急のお越しをと申しております」
「…分かった」
 仕方なく汚れた身体はその場で軽く払って警備兵について行くと、案内された部屋はいまや少尉となったギロロでもめったに入ることはない場所だった。緊急の作戦か、もしくは自分の行動に何かまずいところがあったか、とギロロは首を傾げつつ、警備兵がドアをノックする後ろで静かに深呼吸した。
「失礼致します。ギロロ少尉をお連れ致しました」
「ご苦労。少尉、入りたまえ」
「はっ」
 ギロロは案内の警備兵に軽く目線だけで礼を言い、重厚なドアを開け、部屋の中に滑るように入る。そこには中佐をはじめ数人の士官クラスの者がソファに並んでおり、思わず表情が強張った。
「…ギロロ少尉、参りました」
「そんな顔をしなくていいぞ」
「は…」
 一瞬のギロロの変化に全てを読み取り、比較的くだけた雰囲気で下からの信望厚いその中佐は軽く笑った。
「演習中にすまなかったな」
「いえ…」
「まあ楽にしてくれ。貴様に重要な任務を依頼したい」
 任務、と言われてギロロに緊張が走る。中佐はデスクからファイルを取ると、側の椅子にゆっくりと腰掛けた。
「先程、我が軍の情報部隊のひとつがたまたま、第41惑星付近で未知の衛星惑星を発見した。しかしやはりたまたま出くわした敵性種族より攻撃を受け、ともかく帰還した。詳細は不明だが、調査する価値のある資源や地形があるらしい。生物反応もあるそうだ。軍としてはかなり興味がある。ただ」
 ファイルをぺらぺらと捲り、軽く目を通したあとで中佐はギロロに向き直った。
「何しろ未知の惑星だ。その惑星が我々にどのような影響を与えるかも分からん。さらに、その惑星近辺は敵性種族や他の星の軍事関係者の通り道でもある。我が軍がそこを発見したのも偶然なのだ、遅かれ早かれ他の星にも見つかるだろう。我々としては早いうちに調査したいが、調査しつつ、襲撃の可能性を退けるとなると難しい。そこでだ」
 キイ、と椅子が鳴る。
「貴様にその惑星の調査者の護衛と、サポートをしてもらいたいのだ」
「…サポート、で、ありますか…」
「まあ、サポートと言ってもたいしたことではない。主な任務は護衛だ。貴様ならば、任せて何の心配もないからな」
 ギロロは黙り込んだ。直接中佐からこのような任務を与えられるのは名誉なことだが、多少自分の範囲外のものが混ざっていることに疑問を覚える。自分より優秀でそういった技術面にも明るいものは他にもいるだろうに。
「…不審、と言った感じだな」
 そう言われてギロロは慌てて姿勢を正した。
「い、いえっ、そういう訳では…」
「ははは、貴様がそう思うのも無理はない。実際、貴様には本当は演習の方に参加していてもらいたいのだがな、これは我々の希望でもあるのだよ」
「…と、申しますと」
「その惑星を我々の希望通りに調査し、分析出来る者は一人しかいない。その調査者の護衛に、貴様以外に適任がいないのだ。ついでにこれは、調査者の希望でもある」
 中佐は部屋の隅をついと見遣る。デスクの向こうの椅子がこちらを向き、初めてそこにもう一人の人物がいたことを認めた。
「…よう、先輩」
「クルル…!」
 上官の前だというのに相変わらずのだらけぶりで、それでも珍しく身なりだけは整っていた。くく、と笑って、足を組みなおす。
「そういう訳だからよ、頼むぜえ」
「クルル、お前…っ」
 中佐殿達の前でその態度は何だ、と言いかけてギロロははっとした。上官の前。よく考えればこの男も自分にとっては上官なのだった。うっかり普段通りに口を聞いてしまい、慌ててクルルに直る。
「…失礼、しました…クルル少佐」
「先輩に傅かれるのも悪くねえがよ、居心地悪ィな。いつも通りでいいぜえ。俺とアンタの仲だろうが」
「な…」
 何てことをと思うが、中佐は気にもしていないようだった。他の士官達もクルルの扱いには辟易しているのだろう、ため息交じりに同情するような目でギロロを見遣る。
「…まあ、こんな奴なのでな。貴様以外依頼する者がいないのだよ、ギロロ少尉。貴様なら腕は確かだし、少佐とのつきあいも長いだろう。調査にも時間を要するのでな、正直長期間この男と過ごす気力のある者はおらん」
「長期間…?」
「クルル少佐開発の二人乗り調査ポッドで、一週間だ。すまないが、この男と二人でその間過ごすことになる」
「!」
 クルルと二人で、一週間、密室で…
 ギロロの背中を嫌な汗が流れた。クルルはにやにやと笑っている。
「我々としてはもう少し時間がかかると思っていたのだがな、少佐は一週間あれば十分だと言っている」
「調査ポッドって言っても居住空間はここの施設と変わらないから、快適だぜえ」
「…」
「いいだろ、先輩?」
 黙りこんだギロロの姿に、もちろん二人の「仲」など知らない中佐は、ギロロを憐れむような顔で見て、それからクルルに向き直った。
「クルル少佐、貴様のその態度はどうにかならんのか。確かに貴様は少尉より上だが、先程から貴様が言っている通り少尉は貴様の先輩だろう。階級はともかくもう少し先輩に対する敬意は持てないものかね」
「これが俺だからなあ」
「…いえ、構わないのです、中佐。こういう、奴、ですから…」
 ギロロはなんとか平常心を保ってそう言った。士官達の前で失礼なことこの上ないが、クルルがそう来るのなら自分も同じスタンスで構わないだろう。
「では、やってもらえるかね。出発は明日零時だ」
 中佐の声にギロロは向き直り、姿勢を正して敬礼の形をとった。
「は!ギロロ少尉、クルル少佐の未知惑星調査の護衛の為、明日零時に出発致します」
「よろしい」
 中佐はデスクからファイルをとると、直れの形になったギロロにそれを渡し、肩を軽く叩いた。
「急ですまないが、よろしく頼む。詳細はそのファイルの中だ」
「はっ!」
「もう戻っていいぞ。明日からの為に身体を休めておきたまえ」
「ありがとうございます」
 中佐と士官達に最敬礼し、クルルをちらりと見てからギロロはその場を辞した。

 

 

 出発の三時間前。護衛はともかく、主要任務でクルルに迷惑をかけるようなことだけは避けたいと思い、ギロロは早々と本部の戦艦発着所へと到着した。通常発着の終わったその場は静けさに包まれている。装備と荷物を担ぎ、真新しい調査ポッドを見つけて近づくと、そのドアが音もなく開いた。
「よう、先輩。随分早いな」
「…クルル」
「俺は昨日っからここに寝泊りだ、最終確認でね。ファイルは読んでくれたかい」
「ああ…実動前に見ておきたいと思って、早めに来た」
「じゃあまあ、どうぞ」
 招かれて狭い入り口をくぐる。二人乗りと言うだけあって中はかなり広かった。
「…」
「こっちが操縦席。自動制御装置もついてるが、こいつに搭載したコンピュータにいろいろ教えてやるためには実際動かしてやった方がいい。オートはエネルギー食うしな。ま、俺もアンタも操縦出来るから問題ねえだろうけどよ」
「従来のものと基本動作は変わらないのか?」
「アレより遥かに優秀だぜえ」
 クルルからマニュアルを渡され、ギロロはそれと照らし合わせながら慎重に操縦席やパネルを確認する。確かに通常のものより性能や使いやすさはかなりよさそうだった。改めて、クルルを見遣る。
 普段、あまりに近い距離にいるから忘れてしまう。ちょっと人には言えない距離にいるから忘れてしまう。自分はもとより、ケロン軍で使用されている武器や戦艦、移動装置のほとんどにはクルルが携わっている。実際軍にとってクルルのこの性格や何やらはかなり煙たいようだが、それでもクルルを頼らざるを得ない。それ程の男。見返りは期待されるが、頼めば自分にも、要求を100%クリアした武器を作ってくれる男。
 本物の天才。

 …どうして、この天才は俺のような奴を選んでくれたのだろう…

「なんだよ、先輩。どうかしたかい?」
「い、いや、やはりお前は凄いな、と思ってな…少佐に、言う言葉じゃないんだろうが」
「ふーん…」
 クルルは操縦席に座り、パネルに肘をついてにやにやと笑った。
「例えどんな言葉でもアンタに褒められんのが一番嬉しいぜえ、俺は。いちいちそんなの気にすんなよ」
「いや…しかし…」
「俺が気にしなさすぎなのかもしれねえけどな。もしアンタの方が俺より上だったとしても、変わらないと思うぜえ」
「…」
「ま、そんな話はいいや。先輩、ちょっとこっち、座ってこのボタン押してみなよ」
「え?」
 ちょいちょいと手招きして、クルルがパネルの一部を指差す。言われるままに座り、ギロロが示されたパネルを覗き込むと、隙をついてクルルが軽く唇をあわせた。
「!…ッ、ば、馬鹿!」
「はいはい隙ありごちそーさん、っと」
「お前という奴は…ッ」
「いーじゃんよ、一週間も一緒なんだからこんくらい」
「…」
「とりあえずこれ、押してみそ」
 頬を赤くして、何か言いたげに口ごもるギロロを見、クルルは楽しそうに笑う。息をついてギロロが言われたボタンを押すと、操縦席の逆側にいきなりモニターともうひとつの席が現れた。
「お…」
「こっちが先輩の、本来の席になんのかな」
 ただの内壁と最低限の居住施設と思われた操縦席の反対側に大きなモニターが現れ、今は発着所内を鮮明に映し出している。ちょうど今クルルが座っている席と背中合わせに現れた席には、パネルを兼ねた武器の固定台までついていた。
「アンタがあのモニターに向かって撃てば、それが直接外部に発射されるようになってる。こいつに直接搭載した武器もあるが、アンタが使い慣れてるヤツの方がいいと思って、ここに固定しないでブッ放しても、モニターにさえ向かってりゃあ攻撃はアンタの思い通りだ。これは骨が折れたぜえ」
「…」
「今はボタンで作動させたけど、実際その場になったらそんなことしてる暇ねえだろう。音声認識つけたから、アンタの言いやすいキイワード、後で考えて入れてくれ。入力したとほぼ同時に作動するようになってる」
「あ、ああ」
「まあ、メインモニター側でも迎撃は可能なんだけどな、俺がここにいるとアンタの邪魔になるだろうし、かと言って俺は手が離せない。アンタに全て委ねるからな、頼むぜ、先輩」
「クルル…」
 感嘆を通り越して、ギロロは呆然としていた。
「お前…ほんとに、凄いな…」
「あんがとよ」
「これは…今後、軍でも使用されるのか…?」
「あー、多分そうなっちまうんだろうけどよ、この機だけは、先輩の為に作ったぜえ」
「俺、の」
「いつもそう思って何でも作ってんだけどな。先輩が乗る戦闘機。先輩がぶん回す武器。いつも、先輩がどう使うか、どう作ったら先輩の為になるかを思ってやってる」
 煙草に火をつけて、くく、と笑う。
「…最初、調査を依頼された時、本部は一ヶ月はかかるだろうと言った。言いながら、俺と一ヶ月も一緒なんて冗談じゃねえって顔してた。ほんとに困ってたんだろう。でもまあ俺の予測では、俺がやれば一週間で十分だと思った。それでも本部に言わせると俺の面倒を見る生贄が見つからなくて、俺の希望を聞いてきたから、先輩を指名した」
「…」
「まあ、聞かれなくても先輩を指名したけどな。先輩仕様で作っちまったから、みんな」
「クルル…」
「ん?」
 煙草を灰皿に押し付け、クルルが自分の頬に手をかけてきても、ギロロはされるがままになっていた。
「…どうして…俺にそこまでしてくれるんだ…?」
「そりゃあ、先輩が好きだから」
「俺は…お前に何も返せない…」
「そんなことないぜえ。戦場の赤い悪魔をここまで好きに出来るのは、俺だけだ」
「俺は戦闘兵だ。いざとなったら、お前の側を離れなければならない。軍の為になることで、お前を守るしか出来ない。側に、いることすら」
「先輩」
 ちゅ、と軽くキスをする。
「そんな分からない未来のこと、今は考えたくねえよ。今、先輩がいてくれればいいんだ。それに、先輩が戦闘で飛び出していけば、俺の作った武器がそこにある。そこに一緒にいる。そんだけでも、俺は十分だよ、先輩」
「クルル…」
「先輩、俺のこと、好き?」
「…ああ」
「そんなら尚更オッケー。俺も、先輩が好きだ。先輩じゃなきゃ嫌なんだ。それに、俺達の状況じゃありえないことだから、例え軍の為でもこうやって一週間先輩と一緒にいられるなら、こんな嬉しいことはねえさ」
「ク…」
 クルルは構わずにまた唇をあわせた。ほんの、ほんの少しの間だけ。今いる場所を忘れて、ギロロはクルルに身を任せた。
「クルル…少佐」
「何?」
「貴方は…俺が必ず守ります。俺に出来ることであれば、サポート致します。ご存分に…」
 そのままの姿勢でギロロはクルルを見つめる。真摯な眼差しに、クルルは緩く微笑んで言った。
「宜しく頼むぜえ、少尉」

 

「スタンバイ。各種エンジン、シグナル確認。最終安全装置解除確認。発射20秒前」
 モニターにわずか見送りに立ってくれた発着所の係員が映る。
「いってらっしゃいませ、クルル少佐、ギロロ少尉」
「見送りご苦労。後を頼む」
「無事ご帰還を…」
 発射直前の爆音に声はかき消され、係員はあまりの物凄さに仰け反った。
「10秒前」
「!」
 未体験のGにギロロの顔が歪む。
 やがて瞬きする間もなく、最新鋭の調査ポッドはこれまでにないスピードでケロン星を経って行った。


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