オータムジャンボ
いつものように庭で武器の手入れをしていたギロロは、玄関の外から聞こえたバイクの音にふと顔をあげた。もう既に夏美や冬樹は学校へと出かけている。ギロロにはよく分からないが、バイクの持ち主―日向秋の編集者という仕事はかなり大変なものらしい。出勤や帰宅はまちまちだし、数日家へ戻らないこともざらではない。それでいて多感な年頃であろう夏美達にはしっかり気を配っている。女の細腕で一家を支えるというのは並大抵のことでは務まらないだろう。母というのは偉大なものだな、とギロロは密かに感心していた。
「ギーロちゃん、おはよう」
珍しく秋が庭へと回って来た。両腕にヘルメットと、仕事の残りと思われる大量の本の束を抱えて。その顔はとても2人の子供がいるとは思えない程あどけなく好奇心旺盛でにこにことしていたが、明らかに疲れの色が見えた。
「…今、帰りなのか」
「そうなのよー、やっと落ち着いてね。って言ってもこれからまだ片付けないといけないことあるんだけど」
「ご苦労だな」
ギロロはあまり秋と話す機会がない。本当なら一応居候の身・もっと労わってやるべきなのだろうが上手く言えず、また自分達は侵略者なのだという真意もあり、ぶっきらぼうに返事を返す。
「いい天気ね」
「ああ」
「夏美達はちゃんと時間通りに学校行った?」
「…俺に聞くな」
「でも、見送ってくれてるんでしょ、いつも」
「…」
「ありがとね。ってギロちゃん達に言うのも、変な話なんだけど。ギロちゃん達がいるから、助かるわ」
俺は別に何もしていない。
お前がいない間家事をしているのは夏美であり冬樹であり、ケロロだ。
俺達はこの家を守っているわけではない。俺達は侵略者だ。馴れ合う気はない。
そう言いたかったが、秋の親身のこもった言葉に言い返せない。なんだかんだで世話にはなっているのだし、そういった恩義を忘れる程自分は馬鹿ではない。それに、侵略侵略といいながら、今のこの生活に慣れてしまっているのも事実だった。命令を、自分の立場を忘れたわけではないが、日向家と過ごすこの時間が続くのも悪くはないな、などとあり得ないことなども感じてしまっている。
ケロン星にいた頃には夢にも思わなかった、この幸福な時間。ゆるやかな時間。
自分が戦士として認めて、別の感情をも抱いてしまった、夏美と、そして地球人と過ごす時間。
幼馴染達と馬鹿馬鹿しく過ごす時間。
そして、自分を掛け値なく受け入れてくれる人と過ごす時間。
「…俺達は侵略者だぞ」
「うん、分かってるわよ。それでも言いたいの、ありがとうって。たとえ侵略者と一緒でも、子供を何日も二人っきりにさせとくよりは全然安心だもの」
「お気楽なものだな」
秋はギロロの返事を気にすることなく、縁側に腰掛ける。
「ちょっとここにいてもいいかしら?」
「お前の家だ。どこにいたって構わないだろう」
「お邪魔じゃない?」
「別に。俺の方が居候なのだからな」
「なんか、こんな日差しを浴びるのも久しぶりだわー」
そう言って秋はうーんと伸びをした。その姿を見るともなしに見て再び止まっていた武器の手入れを再開しようとして、ギロロは次の秋の言葉に幾分ぎくりとした。
「ところで、クルちゃんってもう起きてるかしら?」
「…な、なんで、俺に聞く」
「だって、仲間でしょ?ちょっと頼みごとがあってねー」
秋はさらりと言った。侵略者・しかもその中でも最も危険なクルルに普通に頼みごとをしようとするこの地球人に、ギロロは呆れる。
「また妙な実験につきあわされても知らんぞ」
「それはしょうがないわね、クルちゃんがそう言うからには」
「あいつは生活が不規則だから、起きているというより寝ていないと思うん、だが…」
内心の動揺を知られはしないかと緊張しながら、それでもギロロは律儀に答えた。秋が顔を覗き込む。
「いつものクルちゃんのお部屋かな?」
「あ、ああ…お前なら、いきなり行っても大丈夫だろう」
「どうして?」
「どうしてって…クルルはお前を気に入っているみたいだから…」
「そお?」
「…お前は地球人にしては、そして立派な大人にしては変わっている。そういうところが、クルルの好みなのだろう」
「まあ嬉しい。私もクルちゃん、大好きよ。面白い発明いろいろしてくれるから。あの子って変わってるし、なんか想像力かきたてられるのよ、色々と」
その言葉の軽さにギロロは多少めまいがしたが、今までの様々な実験に喜んでつきあっている姿を思うと、この地球人は特別なのかもという気がする。さすがケロロをあっさり受け入れる冬樹の母であり、ケロロを、そしてこの自分をも掌握してみせる夏美の母なのかという気もする。
「あ、もちろん、クルちゃんだけじゃなく、ギロちゃんも好きよ。みんな大好き。家族だもんね」
「…そりゃあ、どうも」
ギロロはどう返事していいか分からず適当に答えるが、秋は変わらずにこにことしていた。あくまで自然体。ある意味、いちばん恐るべき存在なのかもしれない。
さすがはクルルが気に入る地球人の女性成人体、と言ったところか。
「ギロちゃんもみんなのこと好きでしょ?」
「好きとか嫌いとか、そのように考えたことはない。俺達は仲間だ。命令された以上、例え嫌いでもやっていかねばならん。俺の立場は、そういうものだ」
「結構大変なのねー。でも、嫌いじゃあないわよね?」
「は?」
秋はにっこりと笑った。
「嫌いなら、いくら命令でも一緒にいられないでしょ?」
「そんなことはない。合わない、と割り切ってしまえば何だって出来る」
「でも、一緒にいたらそれだって変わるわよね」
「…何が言いたい」
鈍感なギロロでも微妙に誘導尋問されていることに気がついて、訝しげに秋を見る。鋭い目線に負けることなく、秋は続けた。
「クルちゃんのことよ」
「ク、クルルが…何だって言うんだ」
「犬猿の仲だって聞いたけど、うちで見てる限りでは全然そんなことないじゃない」
「な…何を…」
「これでも母親なのよ」
秋はそう言ってギロロを見つめる。その表情は柔和で笑みが湛えられていたが何か逆らえないようなものをギロロは感じた。
「こうやって何日も子供に会えないような生活を続けてるとね、自然と勘みたいなのが働くの。夏美の、冬樹の顔を見ただけでああ元気なんだな、何かあったんだなって思えるようになってくるの。ケロちゃん達にもよ。これだけ一緒にいると、たとえ宇宙人でも分かるのよ」
「…」
「クルちゃんのことが好きなのね」
「!」
「嫌いじゃないでしょ?」
回り道することなくあっさりと言われてギロロは慌てる。
「いや…日向秋、ちょっと待…」
「違うの?」
「違わないが…いや、そうじゃなくて…なんでいきなり…」
「いきなりでもないのよ、ずっと聞いてみたかったの。ギロちゃんとサシで話すことって、めったにないから」
「…」
「あの子の孤独が、あたしにはあの子の本当が少しだけ見えるから、心配だったのよ。…クルちゃんはギロちゃんのことが、凄く好きなんだから」
かあっと頬が赤くなるのが分かったが、秋は気にもせず続けた。
「クルちゃんは人よりなんでも出来すぎるせいで、きっといろんな思いをして来たのね。とっても、大変だったのね。ああいう子って、分かるわ。周りがいけなかったり、自分自身でもよく分からなくて、ひねくれてしまうの。でも、ギロちゃんや、ケロちゃん達だけが、クルちゃんを分かってあげられるのね」
「…理解は…完全には出来ないが…俺達になくてはならない存在だし、俺達の元でなくては扱えない人物だと、自負して、いる」
ギロロはやっとの思いでそう言った。秋の真意が全く分からないが、今はそれよりもクルルとの関係を悟られていたことにギロロはかなり動揺している。それでも、秋が決してからかったりするようなつもりで言っているわけではないことは分かった。『母親』として、侵略者で居候のカエル達…特に波長の合うクルルのことを気にかけているようだった。
「そうね、ケロちゃんが隊長じゃなきゃ、持てあましちゃうんでしょうね」
「まあ…あれでいてケロロは、そういうところには長けているようだからな…」
「よかった、ちゃんとクルちゃんを分かってあげられる人がいて」
安心したように微笑む秋に、ギロロはふと聞いてみる。
「…地球人にも、ああいうやつはいるのか…?」
「クルちゃんみたいな人ってこと?」
「ああ」
「はいて捨てる程いるわよ」
「病んでるな、この星は」
「まあね」
秋はふふっと笑うとギロロを見た。
「ギロちゃん」
「…何だ」
「クルちゃんを、もっともっと大切にしてあげてね」
「な…」
ギロロはまた赤くなるが、秋の表情は真剣そのものだ。思わず秋を見つめ返す。
「初めて手に入れた幸せを、まだどうしていいか分からないのよ、きっと。だから、変な回り道しててもちゃんと導いてあげてね」
「…俺、が、あいつに、出来ることなど…」
「ギロちゃんの存在が、あの子を確かなものにしているのよ。ギロちゃんはクルちゃんより大人なんだから、しっかり見ててあげて」
「年は上でも、あいつの方が俺より頭の回転がいい。何も、心配することなど…」
「まあ、そういうとこもあるかもね。それに、ちょっとクルちゃんはギロちゃんのこと好きすぎるみたい」
「え…」
「そこ、どしたの?」
秋が悪戯っぽく笑ってギロロの肩口を見る。ほんの少しだけいつもよりずれたベルトの脇に、赤い痕。
「…!!」
「もしかして朝まで一緒だったの?あたしが来るの見越してたのかしら、クルちゃん」
「っ、な」
秋はくすくすと笑った。
「そういうとこは、やっぱクルちゃんのが上手なのねー」
「〜〜〜っ」
「…ごめんね、別にギロちゃんを困らせるつもりないのよ」
今の自分の脳天からは湯気があがっているかもしれない。ギロロは必死に言い返した。
「…そういうものは、あいつだけで…十分だ…」
「分かってる。あなたたちの間に入り込もうなんて気、さらさらないわ」
「入り込む、とか、そういう問題じゃ…」
秋と視線を合わせることが出来ない。それでもなんとかベルトを直し、顔を背けて黙り込んでいると秋は言った。
「地球にはこういう格言があるの。『人の恋路を邪魔する奴は、馬に蹴られて死んでしまえ』って。もっとも、馬に蹴られる前にクルちゃんに何かされちゃいそうだけど」
ふう、と息をついてから勢いをつけて立ち上がる。
「さて、ちょっと行ってこよっかな」
「…」
「クルちゃんに言っといてあげるわ。あんまり無茶しちゃダメよって」
「ば、馬鹿、そんなこと言わんでいい!!」
「冗談よ。でも、あたしが言ったことは、忘れないでね」
秋はギロロを見下ろして言った。
「余計なお世話だって言われるのは承知だけど。クルちゃんには、幸せになってもらいたいのよ。おせっかいおばさんだって思われてもいいの。こういうおせっかいがいないと、クルちゃんみたいな子も増えちゃうだろうしね。母親って、こういうように出来てるのよ」
「…分かっている」
ギロロは幾分気持ちを落ち着けて、秋を見上げてはっきりと言った。
「俺にとって、クルルは特別だ。嫌悪しあったこともあったが、俺は…あいつを受け入れる。あいつも俺を、受け入れてくれる。それだけは、今後何があろうとも、変わることはない」
秋はその言葉に嬉しそうに微笑んだ。
「ありがと。後でお茶でも飲みにいらっしゃいよ、クルちゃんと一緒に」
「…気が向いたら、邪魔する」
*****
「クールーちゃん、いるー?」
「…日向秋か、開いてるぜ」
ラボの扉がシュンと開く。クルルは椅子を鳴らしてラボ内へ入って来た秋に向き直った。
「おはよ」
「アンタ、あんま先輩を困らせるなよ」
「あら、見てたの?」
「あの人は馬鹿がつくほどクソ真面目で実直なんだから。今頃自分の身体でお湯沸かしてるぜ」
「でも、嬉しかったでしょ?」
秋は悪戯っぽく笑う。
「…アンタ、怖い女だな」
「あたしが確かめたかったってのもあるけど、クルちゃんのために聞いたっていうのもあるんだけどな」
「お生憎様。俺もとうに知ってるよ。つか、相手がアンタじゃなきゃ抹殺もんだぜ、ありゃ」
「あらあらごめんなさい。余計なことしちゃって」
そうは言うものの秋は当然悪いとも思っていない。このようなとき普段クルルが立つのは逆の立場なのだが、秋が相手ではそうもいかない。さすが自分が見込んだ地球人か、とクルルは心の中で自嘲気味に呟き、秋を見る。
「で、何の用なんだい?」
「ああそうそう、ちょっとバイクの調子悪いの」
クルルは秋の軽い物言いにわざとらしくため息をついた。
「…この俺にバイク直せってか。俺これでもケロン一の技術者なんだぜえ」
「だからその宇宙一の技術者様に頼んでるんじゃない。ね、お願い。一仕事したらまたあたし出かけないといけないから修理になんて出してる暇ないのよ」
両手をあわせて頼む秋に、クルルはゆっくりと椅子から立ち上がるとにやにやして秋を見上げる。
「高くつくぜえ」
「なんでもおつきあいするわよ」
「…しょうがねえな」
「とりあえず前金が、さっきのね」
「日向秋」
「なあに?」
クルルはくくっと笑って言った。
「俺は基本的に女に興味がないが、もしアンタと俺が同じ種族で、先輩の存在がなかったら間違いなくアンタを俺の女にしてるよ」
その言葉に秋は一瞬きょとんとするが、ふうと息を吐くとクルルの額を軽く指先でついた。
「嘘おっしゃい」
「なんだよ」
「ギロちゃんがいるでしょ」
「だから、もし先輩がいなかったら、って話さ」
「それはないわね」
秋は強い口調で言い切った。
「クルちゃんに、ギロちゃんのいない世界なんて、あり得ないでしょ」
「…」
「どう転生しても、どう生まれ変わっても、ギロちゃんの存在する世界にあなたもいるわ。だからもったいない話だけどそれはないわね。ありがとクルちゃん、あたしも好きよ」
「…ちっ」
ウインクしてみせる秋に、クルルはわざとらしく舌打ちした。自分が先程のようにやたら他人に心配されるのはむず痒いし、このように言い負かされるのはいい気分ではないが、相手が日向秋では仕方がない気もする。そういったところも気に入っているのだし、何より秋のいうことに間違いはないのだから。
つくづく、地球人にしておくには惜しい女だ。
そう感じながら秋を見遣ると、彼女は指先で眼鏡をあげると言った。
「聞いてたでしょ。あたしは馬に蹴られて死にたくないって」
*****
「ギロちゃんありがと、クルちゃん起きてたわー」
「いやあ、太陽がまぶしいねェ」
「…クルル」
居間の方からガラス戸を開けて颯爽と庭へ降りてくる秋と、その後ろをだるそうに歩いてくるクルル。手をかざして太陽の光を遮りながら、それでもギロロの姿を見てクルルは笑った。
「おはよ、先輩」
「依頼を受けたのか」
「ああ、前金つきでね。あとは身体で払ってもらうぜえ」
「…お前が言うと何か別意味恐ろしいものを感じるな」
ギロロは本気でそう呟くが、今更クルルは気にもしない。秋もその言葉に特別な反応を示さない。やはりこの地球人は普通とは違うのだ、と思う。
クルルに気に入られた女。
侵略者を『家族』と言い切る地球人。
クルルを理解する、自分以外の存在。それには多少胸がちりっと痛むが、秋と自分は違うのだ。
地球人。女。母親。
敵わないものはある。
でも、それでいいのだ。
自分は自分らしく、クルルと共にいればいいのだから。誰かと争ったり競うようなものではない。
「新兵器の実験台くらいだよ。おい、日向秋、それでいいんだよな」
「分かってるわよ。それより早く見て」
「へいへい、どこがどうだって?」
クルルが半ば強引に秋に引っ張られていくのを見遣り、ギロロは武器の整備を再開した。
…なんかやっちゃった感満載だようわーん。
秋ママを書いてみたかったのです。私の中では最高のクルギロの理解者なのです。
てか、私もう普通の話書けないのかな…?(死)
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